見出し画像

田中小実昌「ポロポロ」の物語にしない戦争

田中小実昌さんの小説は不思議だ。「さっきはこう書いたけど よく考えたら記憶違いな気もする」「どうしてそうなったかは定かではないが確かにそうだった。でもそれだとここと矛盾する」こんな調子で流れが行きつ戻りつして 小説が進んでいないと思いきや 妙な所に行き着いたり、出発点にいたりする。流れで小説を書いていない というか。

「ポロポロ」は短編集で 表題作「ポロポロ」は作者の子どものころにあったことを書いたものなのだけど 他は戦争中(終戦後も)小実昌さんが中国で行軍していたときを書いたものだ。

大尾がちいさく、映画の縮小人間のように見えたというのは、もちろん、南京で見た映画のせいだろう。それは、上海のどこかにあったこのバラック小屋でも、すぐ、ぼくにはわかっていたはずだ。
しかし、こういうことは、わかれば、そんな姿は消えてしまうものなのに、やはり、大尾が映画の縮小人間みたいに見えたのは、どういうことか。
内地をでてから、湖南省の現地の中隊につくまで…そのほうが、中隊にいたあいだより長いのだが…ぼくは行軍の途中で落伍し、また、分隊にもどったりしたけど、大尾とはずっと分隊もおなじで、南京では、大きな醤油樽に吐いたうがい水を、ふたりですてにいったり、そういったことは、ほんのわずかなことで、ずっといっしょにいて、とくべつな気持をもっていた大尾が、高熱にうなされ、死にかけている…そんなことはウソだ、ウソにきまっている、という無意識のぼくの気持が、それこそ絵空事の映画のなかの縮小人間のように、大尾の姿を見ようとしている、あたかも、映画がおわれば、ダメなトロい初年兵だが元気な大尾が、バラック小屋の入口にあらわれるように…。これも物語だ。こんなのを、映画の見すぎというんだろう。
いつからか、二段の仕切りの上段から見た大尾が、ひどくちいさく見えるようになった。ただそれだけだ…。しかし、ただそれだけ、というような言いかたにも、用心しなければなるまい。ただ、それだけ、と区切りがつくみたいだからだ。ぼくたちのありように、区切りなんかはあるまい。物語には区切りがあったり、そこでおわったりするけれども…。
また、バラック小屋の土間に寝ている大尾の真上の、二段仕切りの寝場所にぼくがいて、あるとき、ひょいと、大尾が、南京で見た映画の縮小人間のように見えだした…なんてことだったかもしれないが、これも、用心したほうがいい。
前にも言ったことがあるが、ひょいと、なんていうと、物語を展開させていくのに必要な要素の時間性を否定してるようだけど、じつは、みじかい物語時間用語だったりする。━「大尾のこと」より

引用が長くなってしまったが、小実昌さんは「物語になること」を非常に注意ぶかく避けている。だから 気になった一つのことに対して ものすごく長くなるし、行きつ戻りつする。

小実昌さん自身は 喋ることが好きでうまいらしく、(テレビにも出ていたらしい)口では中国での話を「物語のように」語っていたそうなのだが、小説では「ぼくたちのありよう」をそのまま書きたかったのだろうか。

「物語」は他者に伝えたいことのための 便利な装置でもあって、便利なのだが 本当に伝えたいことはこれなのだろうか?とわずかな違和感を抱くことが私のような瑣末なものにもある。装置に入れた結果、型にはめられて少し変形するというか。

わずかな違和感も見逃さない小実昌さんの小説は 文体は淡々としていて軽快なのだけれど 戦争を「物語」にしてつじつま合わせなど絶対にしない という恐ろしさすら感じる決意がみえる。この「恐ろしい」という言葉もつじつま合わせだ。じつは少し違和感を感じている。でも他に言葉が思いつかない。

戦争を体験したときと 戦争を語るときのあいだで生じる違和感が小実昌さんはどうしても流せなかったのかもしれない。戦争は悲惨だ と伝えるために大なり小なり 皆 自分にあったことを変形させて伝えやすいようにしてしまうのかもしれない。口から出ることはどうしても物語になってしまってうんざりしている とも書かれている。(もっとたくさんの言葉と思考で)

「ポロポロ」に収められている小説で書かれていることは だいたい病気のことだ。マラリアにかかった、悪性の脳炎がはやった、病気や衰弱で死んだ友人たちのこと。

派手な撃ち合いや 待っている家族がいるんだ、生き残るぞ!…みたいなドラマはなく かといって あったことをそのまま書いているわけでもなく 自分が感じた、起こったことは本当だろうか、つじつまを合わせていないかと自分自身の思考と記憶を探っている。小実昌さん自身も病気だったのによくここまで記憶しているなと驚く。

「ポロポロ」には未来や将来といった先のことを感じさせる描写がほとんどない。もちろん生き残った未来から過去のことを書いているわけなのだが行軍中に この行軍が終われば楽になれる や、また朝がくると地獄が始まるのだ…という先の描写すらない。

先というのは あるていど未来は保証されていると思っている人の発想なのかもしれない。


この記事が参加している募集

つけヒゲに憧れているのでつけヒゲ資金に充てたいです。購入の暁には最高のつけヒゲ写真を撮る所存です。