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たけしの自立生活4 「新しい地平」は開かれるのか

壮(たけし)の自立性生活を始める2019年10月、私はある決意をした。

「ここからたけしの自立生活が始まる。彼の新しい人生が始まるのだから、私は手出ししない!」と。
結構きつめに決断したはずだった。
しかし、6か月を終えた2020年3月。
たけしは家に帰ってきてしまった。
6か月。まあ、いろいろな理由はあるのだが、結果的に、たけし自身が「家にいる。家族とも暮らす」という選択肢を手放さなかったのだと思う。

 先日、あるシンポジウムに参加した。障害者(知的障害者も含めて)自己決定、自立、脱施設化といったことを目指している,身体障害者系の人たちの議論の場であった。
制度化や法令化につなげるためにある程度きれいなわかりやすいスローガンにしないといけないのはわからなくもない。
しかし、そこですったもんだしている障害者や親や施設の職員にとって、彼らの生活や自立がそんなに簡単に割り切れるものではない。

私はそれに超絶、悩んでいる。
この自分でも、心と体がちぐはぐみたいな感覚をどうしたらいいのかわからないのだから。

たけしの将来や自分のことを思えば、たけしがわたしから離れて自立して生活してくれればいい。
もし、実験した6か月の生活がたけしにとってワクワクして楽しくて、「もう家なんか帰ってやるか!」って態度だったら、私は諸手を上げて喜べたのに。

しかしたけしは違った。
私をアルス・ノヴァで発見するや否や「かえろー」アピールはすごかった。また熱を出し、体調を悪くする、食べない、飲まないなど(ヘルパーさんの管理も悪かったところはあるのだが)、言葉を持たないたけしがあらゆる手を使って、家に帰ってこようとした。
手を出さないと決めていた母(私)の気持ちに揺さぶりをかけ、「これでもお前は俺を家に帰さんのか?」といわんばかり。
これに対して「母親」である私は、結局「手を出す」のである。

この期間、私は自己嫌悪の連続であった。
自分の判断が正しかったのか、それとも私がここをグッとこらえれば違う世界を見ることができたのか・・・。
私の優柔不断がいけなかったのか・・・。
今でも考えるとつらくなる。今でも答えは出せないでいる。

しかし、自分がたけしの母ちゃんとして常にこうして戦ってきたことを改めて思うと、やはりここで手を出したのは母親としての感みたいなものだったと思う。
それが正しい行為かどうかではなく、わが子の生命の危機みたいなものも感じたのも確かだ。
これは母親の性としか言いようがない!

冷静に考えれば、この事態を招いたのは物事を性急に急いだ結果だった。
それはほとんどたけしに慣れていないヘルパーさんとのコミュニケーションの問題だったし、問題が起こったときに対応できるチームもシステムも作れていなかったことが原因である。
だからそんなに深刻に考えなくても、チームとシステムさえあればたけしの生活自体は成り立つだろう。

しかしだからといって彼の自立は成立しないのだ。
それは、何だろうか、メンタルというのか、感情というのか・・・。そこが人間である所以みたいなものをどう昇華していくかの問題である。

 特に知的障害者は家族とずっと生活してきている。
家族はすべてをなげうって子どもたちの子育て、介護を行ってきている。
そこには、膨大な時間と喜びと苦悩と、人生と、家族それぞれの誇りと尊厳がつまっている。
だから、彼らの自立は、家族(特に母親の生き方)とどう折り合いをつけていくのか。
そこも含めて考えていかないといけないテーマだと思う。

考えてみれば、人と人が関わる中で生れるさまざまな機微や葛藤が哲学を生み、文化を生み、新しい「世界」を生む。
私が目指しているものは、今までどこかでやったことの踏襲ではなく、たけしにしか開かれない「新しい地平」を見出してみたいのだと思う。(だから私たちの活動はアートなんだけど)

日本は、介護、子育てを家族が担ってきた。それによる弊害もたくさんある。
人権的にもどうかと思うこと(母親の負担が大きいこと)が多い。しかし、それが我々の文化でもある。
そもそも人権教育がそれほどできていないこの国で、障害者の自立だけが課題なのではない。
彼らの自立を考えることは、健常の子どもの自立、家族の自立、母親の自立、高齢者の自立など、すべてが含まれていく。
それは壮大になってしまうことだけれど、私はこうしたグルグルした議論をしていかないと、本当に腑に落ちる活動にはならないのだと思う。
また同時にこうしたいろいろな価値観を切り捨てず、補完し続けることは、わかりにくさや、迷いや、時には弱ささえ生む。
しかし、だからこそ、文化に携わる我々がそこを無視することはできない。(それがわたしの葛藤とつながっているのだけれど。)

壮は24歳。
片親しかいない我が家で、私や娘だけで彼を介護していくことはもはやできない。我が家と彼にあったシステムが必要なのである。
そして、家族も一人の支援者として、どうかかわるのか。かかわる人たちが同じパワーバランスで、壮の生活を「自治・共生」していけるのか。

いやはや、大変な挑戦である。



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重度の知的障害のある「たけし」さんは現在23 歳。「たけしと生活研究会」では様々なゲストとともに「生活」「暮らし」を考えていきます。ともに住む、ケアだけではない関係性など、重度知的障害のあるたけしさんの生活を考えることは、私たち自身の暮らし方、生活を考える機会でもあります。

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NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表であり、くぼたたけしの母でもある久保田翠が考えるシリーズ。「家族」や「自立」、「生活」について日々の想いを綴ります。

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