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『アイ・ノゥ・エンゼルフィッシュ』

※この物語はフィクションです。

彼からの呼び出しはいつも決まって突然。
曜日は決めない。時間だけいつも夜の20:30。
集合場所は駅前のレジャーホテル。

「――開いたよ。先、入って。」
そう言って、彼は部屋のドアを大きく開けたまま私を優しく見つめる。
いつもの儀式、のようなものだ。
私も何も言わず、中に入り、部屋の壁を手で探って、明かりを付ける。

彼の事は嫌いではない。
彼との関係も嫌いではない。
とても心地よくて―――とても『空虚』なのだ。

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彼――啓太は、幼馴染の私の友人・梨花の彼氏で、私や梨花より6歳上の社会人。
啓太と梨花はSNSで知り合って、付き合って今年で2年目になるそうだ。
今現在、梨花が押しかける形で同棲している状態だそうで、彼女が大学卒業と同時に、籍を入れると本人から聞かされたことがあった。

梨花から啓太を紹介されたのは1年前。
流行りのスモーキーメイクを施し、アッシュブラウンに染まったミディアムヘアを緩く巻いて、タイトなファッションを好む彼女が、好きになりそうなタイプの男性だなと思った。
背が高く目鼻立ちの整った『優男』なのだ。
梨花曰く、誰に対しても紳士的だそうで、並みいるライバルから勝ち取ったと、自慢話として耳にタコができるぐらい散々聞かされた。
SNSにも彼との写真を載せていたと思う。

私にも一応、彼氏はいる。
――いやもう『いた』と言った方がいいのかもしれない。
自分の研究に熱を注いでいる人だった。
会ったのは一度きり、その後手紙のやり取りをして――。
ある日突然『消えてしまった』。
梨花には散々笑われたが、今でも彼からの返事を待っているのだ。

啓太と知り合って半年が過ぎた、ある日の夜の事だ。
ふと自分のLINEに彼からメッセージが届いた。

「彼女と喧嘩して、『居場所』がない」と。

元々一人暮らしをしていた梨花と違って、実家暮らしの私の家に、成人男性を上げるわけにもいかず、心配する親を『梨花から呼び出されたから』と適当に誤魔化して、彼と二人きりで会った。
気の強い彼女に散々言い負かされたのだろう。彼は待ち合わせ場所の公園のベンチで小さく丸まってうなだれていた。
泣きじゃくりながらずっと自分ばかり責めていた。
喧嘩の理由は『彼からの愛情表現が足りない事』だと後から梨花本人から聞かされた。
そんな彼が――『かわいそう』で『寂しそう』だと思ったのだ。

そこから、曜日不確定、夜20:30待ち合わせの、彼との交流が始まった。
お金は全部割り勘。だって彼とは単なる友人の関係でしかないのだから。
最初は24時間営業のファミレスから始まって、カラオケ、アミューズメント施設を転々として、最終的にレジャーホテルに落ち着いた。

ちょっとした『二人の秘密』になっていた。

彼は梨花に『仕事の残業で帰れない』と言い訳をして。
私は親に『梨花と遊ぶから帰らない』と言い訳をして。

それでも、彼からも私からもそういったスキンシップは一度も取ることはなかった。
どちらかがどちらかの手に触れると言ったことも、一切なしだ。
やましい事なんて1mmもない。本当に友人の関係なのだから。
何もせずに、各々の過ごし方で、明け方まで過ごすのだ。
スマホでゲームしたり、動画を見たり、たまにお菓子を食べながら他愛ない会話をしたり。ただ同じ時間を共有し合うのだ。
今だってクイーンサイズのベットの上で二人、仲良く並んで寝転がっている。
私にとっては、それが楽しく、しあわせ、な時間であった。
彼にとっても、と思い込んでいたかった。

単に『きっかけ』がなかっただけかもしれない。

一度、彼に『何故、彼女より化粧っけのないTシャツ・デニムスタイルが定番の私と、こんな時間を過ごすのか』と聞いたことがある。

「彼女の事は愛しているよ。美人で可愛いし、スタイルもいい。『相性』も最高なんだ。性格は難があるかもしれないけれど、根は明るいからね。女性として魅力的だよ。」

「―――ただ、一緒にいて落ち着くのは『君』の方なんだ。」

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彼と泊まるレジャーホテルには、ホテルの『売り』として、各部屋に『アクアリウム』が置いてある。中には大抵、岩のオブジェとサンゴっぽいものと、熱帯魚が数匹泳いでいるのだ。

普段は二人とも、モーターの低い音とポンプの水音を聞きながら各々の時間をまったりと過ごしているのだが、その日はふと、アクアリウムが気になってしまった。

水槽の一点を見つめ、ゆっくりベッドから降りて水槽に移動した私を「どうしたの?」と啓太が不思議そうに優しく声をかけてきた。
水槽にはごつごつとした岩のオブジェの他に、一匹だけ、体に渦を巻いたような模様の黒い魚がゆらゆらと優雅に泳いでいた。

「・・・この魚、何て言うの?」
「あぁ、『タテジマキンチャクダイ』だね。」
「ふーん。」

ベッドのスプリングが一瞬の軋む音がして、彼の声が近づく。
気配を察してか、水槽の中のタテジマキンチャクダイが慌てて岩のオブジェの隙間に隠れた。彼と肩を並べて水槽の中を覗き込む。
―――彼と付き合った中で、一番近い距離になった。

「可愛い模様してる。」
「大きくなると、色も模様も変わるんだ。頭から尾にかけて体に縞々が出来る。」
「・・・それ、ヨコジマじゃない?」
「頭を上にしたらタテジマになる。日本語の解釈って、面白いよね~。」
「???他には?」
「コイツ、普段は暖かい海で生息してるんだけど、このぐらいの大きさだと、黒潮に乗って日本まで来ることがあるんだ。でも夏ならまだしも、日本の冬の水温じゃコイツらは生きていけない。」
「死んじゃうの?」
「適応、できない限りはね。」
「・・・。」
「そういうのを『死滅回遊魚』って言うんだ。カクレクマノミなんかもそうだよ。」
「詳しいね。」
「趣味でね。部屋にアクアリウム作ってたんだ。」
「…なんか言われた?」
「…付き合いたての頃、私より魚に愛情注ぐのかって、水槽倒された。」

少しだけ、岩の隙間からこちらの様子を窺うようにタテジマキンチャクダイが顔を出した。

「あの子ならやりそう。ごめんね。友人として謝るわ。」
「あんまり思い出したくない。散々だったから。」
「・・・何で、別れないの?」
「――愛してるから。」

『パンッ!』

顔を出していたタテジマキンチャクダイが水中で音を上げながら、一瞬だけ、自分の身体の『渦』を見せつけるように飛び出し、また元の岩の隙間へと戻っていった。

何故だろう、彼の一言に思わず息を呑んでしまった。
水槽から顔を逸らし、そのまま至近距離で彼を見つめる。
その間、啓太はずっと水槽の魚を見つめていた。

彼が、ゆっくりと水槽から視線をこちらに向ける。
優男の彼に似合う、いつもの柔和な微笑みだった。
でも穏やか、という笑顔ではなかった。

目の奥の虹彩がどんよりと渦を巻いているように見えた。

「――ごめん。今日は帰るわ。」
「えっ、何で?」

彼の顔から急いで視線を外す。そのまま弾かれたピンポン玉のように、壁にかけていた自分の荷物をひったくるように手に掴むと、急いで部屋のドアを開け、一直線に飛び出した。

背後から彼が何かを大声で叫んでいる声が聞こえた気がした。
ホテルの廊下を走る足音。
非常階段を駆け下りる足音。
ホテルから外に飛び出して、走り続ける私の耳元で渦巻く風の音。
――それらで全て誤魔化した。

見えてしまったのだ。
彼の瞳の渦の中で、溺れている『私』の姿が。
のまれて、しまいそうだった。
それが、たまらなく嫌だった。

息の仕方も方向も、分からないままずっと下を向いて走り続けた。
一瞬、道の段差で前によろめいた。なんとか両足で踏ん張って、その反動で顔を上げた。

見上げた先の都会の高層ビルの隙間から、ゆっくりとまっすぐに太陽の光が差し込んで、私の頬を撫でてきた。

あたたかかった。

多分、いま世界でいちばんやさしいのは、この朝焼けだけなのだろう。
涙が、止まらなかった。


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noteの企画『2000字のドラマ』に寄稿。

読者様並びに関係各所様。

本作に『死滅回遊魚』が出ますが、某少年漫画とは一切関係ありません。

大事な事なので2回言います。

某少年漫画とは一切関係ありません。

2000字で物語設定&説明難しいって!!
文字数で省かれるかもしれないけれど、チャレンジだけはしてみます。
『あとがき』とかいっぱい書きたいことありますが、おいおい書きます。
その後の物語もあるので、企画には間に合わないけれどそれもおいおい。

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
また別の作品でお会いしましょう。

                            2021.09.26

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