失われた「かわいい」を求めて、 原田治展
わたしは一時期、「かわいい」についてめちゃくちゃ考えていた。
「かわいい」会社でファッション商品の企画デザインに携わる会社員として、常に「かわいい」を考え、「かわいい」を使い、「かわいい」を作ってもらい、「かわいい」を売ってきた。それは誰からもわかる「かわいい」なのか。どうすれば「かわいい」が伝わるか。
かわいいについてはイヤというほど考えてきたつもりだったけど、まだまだちっとも足りていなかったんだと、この展示を見て思い知らされた。
「かわいい」の発見 原田治展である。
OSAMU GOODSよ永遠に
というキャッチコピーのついた展示が神戸のファッション美術館で現在開催中だ。
原田治展 「かわいい」の発見 2021年7月3日ー8月29日 10:00ー18:00(入館は17:30まで)休館日:月曜日、8/10(ただし8/9は開館)神戸ファッション美術館
1970年代後半から90年代にかけて、女子中高生を中心に爆発的な人気を博した「OSAMU GOODS(オサムグッズ)」の生みの親、原田治(1946ー2016)。50−60年代のアメリカのコミックやテレビアニメ、ポップアートなどから影響を受けたイラストレーションーとりわけ、簡潔な描線と爽やかな色彩で描かれたキャラクターたちは、その後の日本の“かわいい”文化に多大な影響を与えました。神戸ファッション美術館 展覧会チラシより
当たり前だけど絵が上手い
展示では、幼少期やニューヨーク留学中の作品も展示されている。当たり前だけど、子どもの頃から絵がめちゃくちゃ上手い。原田治にかぎらず、一線で活躍している著名なファッションデザイナーも、やっぱり絵が上手くて打ちのめされる。何かを表現して突き抜けている人は、絵も文章もうまかったりする。やっぱり絵は毎日描かなあかんな。文章も。
職人的なオールラウンダー
そして原田治は「オールラウンダー」だ。イラストレーションのあり方について「あくまでも大事なのはテーマや内容にそっていること」と語った原田治は、自在にスタイルを変えて作画したという。この展示では原田治の様々な作画スタイルを見ることができてたのしい。
その職人的な気質、めちゃくちゃ共感できる。わたしもドレスやリメイクにおいてそこを目指しているから。「あくまでも大事なのはご本人に似合っていること」その上で「これはわたしにしか作れない」が出せたら最高。
「かわいい」へのこだわり
興味深かったのは、原稿の色指定校まで見ることができること。すごく細かい。細部へのこだわりを感じることができる。こういう「舞台裏」が見れるのってワクワクするよね。
かわいいの発見
展示では、原田の「かわいい」についての見解も、作品とともにわかりやすく紹介されている。
イラストレーションが愛されるためには、どこか普遍的な要素、だれでもがわかり、共有することができうる感情を主体にすることです。そういった要素のひとつであると思われる「かわいらしさ」を、ぼくはこの商品デザインの仕事の中で発見したような気がします。(原田治「別冊美術手帖」1983年秋号より)
終始一貫してぼくが考えた「可愛い」の表現方法は、明るく、屈託が無く、健康的な表情であること。そこに5%ほどの淋しさや切なさを隠し味のように加味するというものでした。
正直、わたし自身はOSAMU GOODSに関してそこまで馴染みがあったわけではなかったが、そのような思いを知って作品を見てみると、また印象が変わってくる。
かわいいについて、相当考えてこられたんだと思う。仕事として、もちろん好きなこととして、表現として。
そういった意味で、晩年の「だれにも見せなかった作品たち」はとても印象的だった。そして、展示の一番最後の作品。この作品が、表現することの根源を語りかけてくる。(この晩年の作品と、最後の作品の写真は載せないので、ぜひご自身の目で見て、感じていただきたいと思います)
「かわいい」についてわたしも考えた
今まで「かわいい」について考えてきたつもりだったけど、全然足りていなかった。この展示を見て、やっぱり「かわいい」はもっと真剣に追求していくものだとの認識をあらたにした。それと同時に、世の中の人々の発する「かわいい」という言葉や形容詞に対しても、実はモヤモヤを持っていたことに気がついた。
人気のタレントさんとか、圧倒的に美しく可愛らしく万人を惹きつける才能に溢れる人に対して、簡単に「かわいい〜」って言ってしまうのは、どういう感覚なんだろうとなんとなく疑問に思っていたのだ。最初はかわいい人を素直に「かわいい」ということで、いや、わたしは別にひがんでなんかおりませんよ的アピールをしているのではないかという仮説を立てていたのだけど、娘(14歳)の発する「かわいい」を観察しているとそういうことでもないみたいだ。
21世紀に生まれたティーンエイジャーたちは、はなからあまり「人をひがむ」という感情を持ち合わせていない。それよりも彼女たちはとにかくジャッジを早くしないといけない宿命を背負っているので(だってtiktokは数秒で切り替わる)、散歩に行きたくない犬も、あいみょんも、ガッキーも、箱に入る猫も、秒で「かわいい」と判断してスライドしていく必要があるのだ。
ちょっと待てい!
「かわいい」をそんなに簡単に使うでないぞ!とわたしは心のどこかで思っていたんだなと。だから、そこまで馴染みのなかった「原田治」のかわいいに対する姿勢に、すがすがしいものを感じたのだ。そうだよ、「かわいい」ってめちゃめちゃ考え抜いた先にある言葉なのだ。
と、考えていたら娘がわたしの部屋に置いていた原田治のチラシを見て、「あ、かわいい、これもらっていい?」と言って立ち去ろうとしている。わたしは娘を引き止め、聞いてみた。
「どうかわいいと思うの?」 ←(めんどくさい母親だな)
「ん〜レトロなかんじ」
そっかレトロか。これも簡単に口にしてはいけない言葉じゃないか。レトロっていうけどさ、と言おうとして顔をあげるともう娘はそこにはいない。早い。スライドされたのは母親のわたしだったわ。95%のかなしみ。
原田治展 「かわいい」の発見 2021年7月3日ー8月29日 10:00ー18:00(入館は17:30まで) 休館日:月曜日、8/10(ただし8/9は開館) 神戸ファッション美術館
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!