宗教二世問題を、今こそ。「1Q84」村上春樹
宗教二世のストイック女子
本作の主人公は、カルト宗教にすべてを捧げる両親の元で宗教二世として育った女性だ。
アラサーになった現在は、両親と絶縁しジムのインストラクターとして堅実な人生を歩んでいるが、夫にDVを受けた親友の死をきっかけに大きな渦の中に飲み込まれていく。
嫌悪していた宗教の、しかしつい口をついて出てしまう祈りの言葉。質素な生活が嫌だったのに、自分の好きなものを自分で買える今になっても、高価なものを手にする罪悪感。
刷り込まれた価値観の呪縛は生活のすべてにある。
筋トレって大事なのね
巷でクローズアップされている宗教二世たちの悲惨さに比べると、主人公は恵まれている。
学生時代に女子ソフトボールで才能を発揮し、学費免除で大学に進学、社会人になってからは企業のソフトボールチームで活躍後、スポーツジムのインストラクターとしてある程度の地位を築いている。絶縁後の両親は、主人公を切り離した人生を送り、関わってくることもない。
それでもカルト宗教は彼女につきまとう。
両親が信じていたカルト宗教は輸血を禁じるものだったから、自分が幼いころに大けがをしたら死んでいただろうという事実は、自分が生きるべくして生きているのではなく、たまたま運よく生き延びただけだと自分の生をうまく肯定できない。
生活はストイックそのもので、そこにかつての宗教的な家庭のストイックさが見え隠れするが、運動が彼女の強いメンタルを支えている。
一発の銃弾は、外から放たれたのか。内から放たれたのか。
カルト宗教は継ぎ目のない閉じられた輪である。
原初はきっと、自由に出入りできる場所だった。
それがいつしか外界との出入口が小さくなって輪のように囲い込むようになり、拡大したり収縮したり、次第にそこからどこへも行けなくなる。外界からの声は届かず、辛いことや難しいことは自分ではない誰かが考えてくれるから、輪の中で眠っておけばいい。
輪はやがてひとつの生き物となって、その輪を生み出した教祖でさえ制御不能となって人々を飲み込んでいく。
たくさんの人を飲み込んで肥大化した生き物は醜悪で、生き物めがけて一発の銃弾が飛んだとき、その輪に穴が開いてばらばらになっても、ばらばらになった生き物はまたそれぞれに生命をもち、同じことが繰り返される。
みんながオウム真理教を忘れたころ、2022年になって弾丸は放たれた。
それが自分でなかった保証はない
著者は「アンダーグラウンド」「約束された場所で」で、オウム真理教に関わった様々な人に膨大なインタビューを行った。それらがこの小説に収斂されている。
巨大なシステムの前で無力な一個人を示した上で、それでも人間の可能性と美しさを見せてくれる小説だ。
悩みのすべては、本当は個人的なはずだ。
神様のためとか先祖のためとか世間のためとか親のためとか子供のためとか、そういう耳触りのいい動機は醜悪な結果を生みがちだ。
自分の悩みは自分のもので、他人に預けるとろくなことにならないぞ、と著者は教えてくれる。
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