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肉と包丁。課題とツール。何かが違う。

最近、面白くてよく聴いているPodcastに「超域Podcast」がある。


すでに配信数はそこそこあるのだけど、最初の回から後追いのようなかたちで少しずつ聴き進めている。

超域Podcastを知るきっかけとなったのは、現代アート写真研究者の「北 桂樹(きた けいじゅ)」さんを知り、その方がPodcastで配信されていたので、聞いてみようと思ったから。ちなみに、北さんは他にもPodcastをいくつか配信されている。これはその中の一つ。あと、noteも。


そもそもなぜ北さんを知ったか、と言えば、以前から視聴している写真家の渡部さとるさんの「2B Channel」で対談された回があったため。とてもわかりやすく面白い回だったことがきっかけ。

話をもどすと、

超域Podcastで「本を使ってどう勉強するか」の回があった。
※前編~後編まであるので前編をリンク

この中で、本は包丁でもあり、肉でもある。包丁で目の前のテーマである肉を切り、美味しい料理を作る、といった表現があった。すっと入ってくる表現で、なるほどと思った。
※解釈が間違っていたらごめんなさい。

聴きながら、目の前の課題をどのようなツールを使って解決するか、に近いかもと思った。しかし、同時に何か違うなとも感じた。たぶんそのキーとなる要素は、例えの中心に料理をもってきている点にある気がした。

課題解決という単語にはどこか冷めた感覚がある。例えば他人の課題を解決といっても、何となく自己に向けられたもののような印象がある。相手の課題解決によって対価を得るための自己目的のようなイメージだろうか。

料理も同じでは?レストランなどでは料理を提供して対価を得る。確かにそうした側面もある。しかし、料理にはどことなく他者への提供といったニュアンスを感じる。美味しい料理を食べた時に溢れる喜び。料理人への感謝の気持ち。

課題解決の場合は困ったことや煩わしいものといった要素が強いかもしれない。もともと要らないのに目の前にある邪魔なもののような。だから料理における食後の喜びと異なり、課題解決時は清々したような安堵感のような気持ちとなる。

料理の場合、もし食べたこともないような新しい料理や味が出てきて、さらにそれが美味しいとなれば何とも言えない喜びに浸れるだろう。そして、その幸福そうにしている相手をみたら、きっと料理人も幸福に満たされるような気がする。

幸福の共有。

そうした経験や体験はとても大切であり人類から無くなることない、または無くしていけないものなのだろう。

探求や研究といったものが過去から連綿と人に魅力を与え続ける理由の一つもここにあるのかもしれない。それに、そんな少し小難しそうなことでなくても、日々の生活の中にもちょっとしたことはたくさんあるはず。

そのちょっとしたことをより味わうことが贅沢の一つのなかもしれない。”贅沢”については、最近読んだ「暇と退屈の倫理学」でとても面白い視点だった点。

この本も超域Podcastの別の回で雑談のような感じで会話の中に出てきた本だった。テーマだけではなく、そんな本の紹介がさらっと出てくるのもこのPodcastの魅力の一つだ。

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