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住宅営業についてのメモ【4・完】|Mさまご夫妻とわたしの家づくり

大学卒業後、6年半勤めた住宅営業のお仕事。職場の先輩であるベテラン営業ふたり、F主任とOさんは、それぞれにお客さまの信頼を得て契約を獲ってくる「高い営業力」を持っていました。でも、契約に至ったお客さまが実際に建てる住宅は、意匠的にも計画的にも構法的にも「ヒドイ提案」ではないのかという問題。

そんな「営業力」と「提案した住宅」のあいだにある深い溝を手掛かりに、その深い深い断絶が、実は「産業」「木造」「注文」「営業」の計4本の溝でつくられる根本的な問題なのでは中廊下的なことを9月に書いてみました。「住宅営業についてのメモ【1】」と「同【2】」です。

そして、「売ること」と「つくること」、具体的には営業担当業務と設計担当業務は大きく異なるのに、営業職が設計業務の一部を担わざるを得ない根本的な問題を見つつ、その関係が変化しつつある近年の動向&可能性について触れた「住宅営業についてのメモ【3】」を含め、全3回にわたってnoteを書きました。

住宅営業についてのメモ【1】|「営業力」と「住宅の質」のあいだ
住宅営業についてのメモ【2】|「売ること」と「つくること」のあいだ
住宅営業についてのメモ【3】|家を「売ること」のこれから

おかげさまで、【1】は拙いわたしのnote記事(現在約120本)のなかでも最もたくさんのスキを獲得。【2】や【3】も多くのスキをいただきました。しめくくりにあと1回分書いて「完」にしようかと書き始めたものの、なんとなく蛇足感がしてまとめられず、そのままお蔵入りへ。

そこへnoteから「#熟成下書き」なる企画が!

お蔵入りしていた下書き原稿を思い切って公開しチャイナというステキな促しが出てきたので、これに便乗して公開しちゃおうとお蔵の扉を開いた次第。以下、自身の住宅営業時代の一エピソードを振り返って連作の締め括りにします。

M様がわたしにしてくれたこと

過日、住宅営業時代のお客さま=M様から、立派な立派なブドウが郵送されてきました。大きな豪雨被害があった岡山県S市にお住まいだったので、心配になって電話したことへの感謝とお礼の気持ちだったのだようです。

木造住宅メーカーに入社して2年目に契約いただいたM様。入社後1年半も契約ゼロだった自分にとって貴重な3件目のお客さま。あれからもうすぐ20年になるけれども、今も思い出に残る大切なお客さまです。

M様はお住まいが岐阜、そして建築地は岡山。なぜかというと、退職後に奥さまの実家近くの土地に「終の棲家」を建てる計画だったため。ご出身も岐阜だったご主人さまは同じ職場で奥さまに出会ったそう。大手電機メーカーでの職場結婚。ちょうど会社の全盛期だった頃だろうなぁ。

大手電機メーカーの技術部門で部長職にあったご主人さまとの打ち合わせ。その風景は「まるで上司と部下みたいだ」と奥さまは笑われました。そして、その奥さまも契約前からまるで息子のように接してくれただけでなく、夕方の打ち合わせは早々に、テーブルを囲んでの晩ご飯とセットでした。

いま思えば、実家から離れてろくにちゃんとした食事もとってないであろう若者に、ちゃんとしたご飯を食べさせてあげたいという「親心」もあったのだろうな、と。実際、住宅営業を退職して大学院に進学したときも、その後、結婚したときも、節目節目でお祝いまで下さったM様ご夫妻。

技術の世界で育ったご主人さまゆえか、住宅設計にもあれこれと具体的な要望をお持ちでした。あれこれとご自身でも考えて、あーしたいこーしたい、これはこうしようと、積極的にプラン要望・変更を繰り出されました。

どういう理由でここの部分をこうしたいと思うのだけれども、それについてどう思うか。理路整然と要望を繰り出すM様。そして、その注文はかなり十全に図面へと反映されていきました。そうやってできたプランは、20代前半の新人営業マンと畑違いのベテラン技術部長が共同してつくりあげた「終の棲家」になりました。実際、着工となり遠隔地での施工とあって、あれこれと行き違いもあったりしたけれども、M様は終始満足していたし、上棟や引き渡しの際には担当社員を招いて料亭で食事もちょうだいしました。

そんなM様から贈られてきたブドウ。ただただ感謝の気持ちでいっぱいになります。M様ご夫妻との一生のおつきあい。試行錯誤の家づくりには、そんなご縁をつくる力もあるんだと思います。

M様へわたしができたこと

とはいいつつも。。。引渡しから20年弱になるM様のお住まい。既に70歳を超えたご夫妻にとって、たぶん、私が担当したあの住宅は何かと使い勝手が悪いだろうと思います。

数年に一度、電話をかけるとご主人さまも奥さまも、決まって「もう本当に住み心地がいい家だ」「竹内さんに感謝してるよ」とおっしゃられる。膝つき合わせて実際のところを問うてみたとしても、きっとそう答えるであろうお人柄。

M様の「終の棲家」を建てた敷地は、もともと田んぼだった場所を造成してつくった土地。前面道路が坂になっている上に不整形な土地でした。夫婦ふたりが住む平屋建て住宅の間取りは、新人営業だった自分がつくりました(もちろん設計担当者によるチェックやアドバイスはありますが)。

大学時代、設計課題は提出日前日にエスキスをはじめ、わけのわかんないままに徹夜で図面と模型をでっちあげる劣等生でした。そんな自分がつくった間取りで実際に家ができてしまう。

初契約のお客さまは設計主任がつくったプラン。2件目のお客さまはわたしのプランでしたが、田舎の大きな土地に60坪超えのオーソドックスな(ゆえに安定感ある)間取りで建てました。そんな経験しかない自分がつくった間取りで実際に家ができてしまう。しかも建築地は遠隔。契約した支店と施工する支店が異なるというハンデまで付いて。

もちろん、設計担当が契約図面を作成する段階で、大きなバグがあれば修正されますし、営業会議ではプラン内容が議論になることもあります。そして、会社には社員を育てる教育の仕組みがありました。競合他社に比べれば、むしろ人を育てる気風が強い会社だと今は思います。

そして、そんな会社の教育に沿って、多くの建築学科卒ではない新人営業が、一通りの基本的な間取りをサラサラと作成できるようになっている。三~四流大学建築学科卒であっても実はそうそうプランニングできない現実を踏まえると、この社員教育って実はスゴイと今あらためて思います。

実際、劣等生だったわたし自身、大学に4年間通ってもプランニングのプの字も身につきませんでしたが、その会社に育てられて、お客様の前で要望を聞きながらグリッド用紙に間取りをつくり、外観をラフスケッチできるくらいにはなりました。

そして、そんな営業担当がつくった「間取り」が、会社標準の矩計図や納まり、仕様に沿って「設計図」となり、家はできてしまうのです。とはいえ、「設計図」として表現されたものが、実際に「設計」されているのかどうかは別問題でしょう。

営業マンの間取り作成は設計技術とは異なります。そして、同時に有資格者の設計担当がつくった間取りが営業のそれを上回るわけでもないという複雑な事実もまた。建築士の製図試験が合格しても、よい住宅設計ができるわけではないのと相似形の構図がそこにはあります。

ともあれ、住宅設計としてはいろいろ難もあろうその住宅を、M様ご夫妻は大いに満足して住まわれています。建てたときも、そして、住み慣れた今でも。設計がマズければ、普通は「契約時の満足」は高かったけれども「入居後の満足」は低い、みたいになると思うけれども、実際はそうじゃない。それはM様が例外というわけではなく、あの先輩営業マンのF主任もOさんも同様です。お客様の「満足」はもっと別の次元でつくられる。

M様はたくさんのことを、赤の他人であるわたしに与えてくれました。それに対して、わたしははどうか。20代前半の若造としては、娘たちが巣立っていった後の食卓を一時的に賑わす役割は担えたかもしれません。でも、住宅メーカーの社員としてはなにかできたのか。なんとも複雑な気持ちになります。しかも、M様は間違いなく「満足」されているという。

木造注文住宅がもたらす満足の源泉

「満足」できてしまう理由。それは住宅設計の良し悪しを判断する基準を、住まい手があまり持たないこともあるでしょう(その前に住んでいた家より性能は良くなっていることが多いし)。それ以上に「満足」を導き出す理由として、木造注文住宅が強いる「共同作業」があると思うのです。

請負契約書の完成に至るまでには、あれこれと作業が伴い、いったりきたりの試行錯誤があり、その都度にあんなことこんなことの説明を要する。あーだこーだの注文を請けて、その個々の注文を設計に反映し、さらに変更要望が出て、それを契約図面に反映する。どちらかが諦めるまでの消耗戦の結果、着工になだれこむ。

それは、雑に言うと「汗を流す場面が多々ある」ということ。あれこれ注文し、それに対して誠実に応えるという木造注文住宅がもたらしたある種の努力主義的な「家づくり文化」がそこにあるわけです。一生懸命に対応してくれた担当者がそこには生まれます。「なぜ当社で契約してくれたのですか」という問いに「担当者が熱心だったから」という回答はこの業界の常識です。

家というモノを買ってもらったのではなく、たけうちというヒトを買ってもらったのだ。それが営業力だ、と。その「営業力」が満足の源泉になり、着工後のトラブルを鎮める基礎になる。それゆえ、住宅産業は人間産業だ。そういうロジックがあります。

でも、それは話がズレていると思います。至らぬ技術を人情や人柄で埋めるしかないのが新人時代なのだと言われれば、それはそれで一理あるでしょう。とはいえ、住宅営業にはその至らぬ技術を埋め合わせるような社員教育は存在しません。つまりは新人でなくとも「人間産業」だということ。

間取りはつくれるようになります。資金計画もできるようになります。でも、それらの技術は、よい住宅をつくれることを担保するんじゃなく、請負契約書を作成するための事務能力に過ぎない。何はともあれ売るのが仕事なのだから。素人のお客様より家づくりに関する雑学を多くもっていること。そして印鑑をつかせるのが上手な人。それが住宅営業なのだと。

「じゃあ、住宅営業職はいらないよね」とはなりません。間取りをつくるのは設計担当が、設備仕様の説明・決定はインテリア担当が、資金計画は事務担当が担うことが可能だけれども、印鑑をつく決心をうながす役割(=クロージング)と、トラブルがおこったときにサンドバックになる役割。そして、新しい住まいを手にした喜びをともに分かち合う伴走者としての役割は、やはり住宅営業職が適任でしょう。

請負契約は「結婚」で竣工は「お産」なのかもしれません。施主も営業担当も素人。ただ、産院はとりあえずある。

「いやぁ~、あのとき展示場でたけうちさんにつかまったから、家を建てちゃったよ~」と冗談を言われるその背後に、住宅営業職の役割が刻印されているのです。そしてそこには、住宅営業が間取りを考え、それがなんとなくできあがってしまう木造注文住宅の宿命と、戦後日本の「家づくり文化」の縮図もまた見ることができます。

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さてさて、せっかくお客様からおいしいブドウを頂戴したイイ話だったのに、なんとなくテンションが低くなってしまいましたが、以上のお話、そしてこれまで全4回にわたるお話は、住宅産業批判でもなれければ、住宅営業批判でもありません。そうではなく、戦後日本の「家づくり文化」が必然的にもたらす歪みを、自分の実体験をもとに言葉にしてみる試みでした。

まずは「いったいぜんたい、この問題はなんなのか?」を直視すること。そのためのややダラダラとした序章となります。とりあえず、提案する住宅に営業の「至らぬ技術」が反映される仕組みがオカシイでしょう。じゃあ、ちゃんと規格化された住宅を売るのか、技術職を含めたチーム営業をやるのか、あるいは設計職が営業を兼ねるか。

道はいろいろあるけれど、家を建てたい人の思いもいろいろある。そんな結果として「いろいろな家」があるわけで、いろいろな選択肢が必要となるでしょう。それぞれに譲れないことや大事にしたいことがある。

注意しないといけないのは、木造注文住宅がもたらす「満足」の生態系を意図せず破壊してしまわないようにすること。住宅は立派なのに「満足」がない、なんてこともあり得るわけで。ここに住宅が自動車や電気製品と同じにならない/なれない深い深い問題があります。

住宅営業という仕事を離れて、もう十年以上の歳月が経ちました。ようやくあの頃のあんなことやこんなことが鈍い自分の頭でも少しずつ考えられるようになってきました。拙い思考の歩みではありますが、2019年も「住宅産業論ノート」を一つ一つ記していこうと思います。

(おわり)

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