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📕2021.04.29 竹風太の料理日記😌カレーライス

退院して、一番食べたかったものは「トンカツ」、二番目は「コロッケ」というのを以前書いた。実は三番目は「カレーライス」だった。糖尿病食とは対極にある、輪郭のはっきりした味が魅力だ。

カレーライス、みそ汁、卵焼きなどは、我が家の味が一番落ち着く。
今日も、療養という名目で夕食は家人に任せた。

🍛カレーライス

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🧑👩幼稚園の食事の思い出

私が幼稚園に通っていたときの話だ。その幼稚園は山の中腹にあって、お寺に併設していた。経営母体が寺だったかどうかは分からないが、お寺の敷地内に幼稚園があったと記憶している。

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あまりに昔のことで、細かい成り行きなどは全く頭に残っていないのだが、鮮明に覚えている食事に関する記憶が二つある。

一つ目は、お弁当の時間に、赤いビーズで彩られたプラスチックの水筒をからかわれて、大泣きしている場面。幼稚園の先生が「素敵な水筒よ。」と慰めている笑顔。

その当時はまだ「男いろ」「女いろ」という概念が存在していた時代だ。ここでは、ジェンダーフリーの議論を持ち込むと話がややこしくなるので、「昔々のお話よ。」ということにしてほしい。

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その当時、赤は「女いろ」に属していたのだ。幼稚園児のことだ、女いろの水筒を持っている男の子を「いじり」たくなっても責められはしないだろう。しかし、いじられた方はたまったものではない。それ以来、文具・洋服・靴など一切の女いろを拒否したのだ。大げさに言うなら「トラウマ」である。

今では、そのトラウマも摩耗して、自分としては赤いスーツや赤い靴を履いて出かけるのは、やぶさかではないが、近所のおばちゃんと道ですれ違って、挨拶を交わしたら、そのままスルーしてくれるとは考えにくい。
きっと、「カズレーザーみたいで素敵ですね!」とか、「還暦のお祝いですか?」などといじられるに決まっている。
結局、赤やピンクの「女いろ」を身につける事ができないでいる。

この幼稚園でのもう一つの食事の思い出は、お坊さんの食事風景である。

頻繁にではないが、幼稚園児がこぞって、お寺の僧侶の生活を体験するイベントがあった。確か、廊下を拭くまねごとをしたり、お経を読んでみたりしたと思うのだが、はっきり覚えているのは、食事の風景だ。お坊さんがご飯を食べた後、お茶をご飯茶碗に入れ、一枚の沢庵でご飯茶碗に残っている米粒をきれいにこそげて、少しも残すことなく食べていたシーンだ。

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だからといって、その日から米粒一つ残さず食べるようになったかというと、残念ながらそんな絵に描いたような訓話にはならない。
しかし、ある状況下ではこのシーンを思い出し、お坊さんの真似をしてしまうのだ。

ご飯が柔らかくて、茶碗にへばりつき、きれいに食べられなかったときと、入院中に糖尿病食を食べさされ、とても空腹だった時である。

🦉以上

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