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📗「おどかしっこ」があったから、頑張れた


 友人同士が集まって、学校の休み時間や、塾の行き帰りなどに、どうでもいいような、あまり役にも立たないようなことを「実はね、ネットでこんな情報を見つけたんだけど、知ってる?」などと誰かが話しはじめる。そして、その内容がみんなの琴線に触れた時、いわゆる「おどかしっこ」が始まる。

 「じゃあ、こんなの知ってる?」「それ、すごいね!」「じゃあ、こういう風になったらどうなる?」・・・と、時がたつのも忘れて「おどかしっこ」は続いていく。

 その日におどかされっぱなしだったヤツは、次回、おどかすためのネタを仕入れるために、本を読んだりネットを調べたりと、かなりの時間を使って、準備をしてくるのだ。

 そしておどかし、おどろかされる友人関係は人生において、かなり大切な役目を果たす。

 私も今でも続いている人間関係を振り返ってみると、「おどかし、おどろかされる」友人が多い。そして、人生の分岐点で、良い刺激を貰ったのだ。知らず知らずのうちに、信頼関係が築かれていたのだと思う。

 実は、この「おどかしっこ」という言葉は、庄司薫という作家の作品群の中に頻繁に出てくる言葉だ。

 私は、この作家から多大の影響を受けているので、「パクった」のだ・・・。(汗)

 その作品の中に出てくる日比谷高校生の間では「おどかしっこ」と言うのが流行り、自分の持っている知識を級友に「披露」し、「そんなことまで知ってるのか!これはびっくりした!」のような、知識を互いに披露し合って相手を驚かす「知的遊び」だったのだ。

 庄司薫氏は「赤頭巾ちゃん気をつけて」という作品で、第61回芥川賞を受賞している。
 失礼を覚悟で言うと、数年前に亡くなったピアニスト中村紘子さんのご主人である。

 庄司薫氏について書き始めてしまうと、切りがなくなるので、ちょっとだけ呟いて、本筋に戻ろう。

 ・・・内緒の話だが、
 村上春樹の「鼠」四部作は「薫ちゃん四部作」を下敷きにしていると言われているし、「ノルウェイの森」には「赤頭巾ちゃん気をつけて」の一部がそのまま再現されていると指摘されている。
 ただ、未確認情報ではある。(汗)

※「薫ちゃん四部作」とは、
「赤頭巾ちゃん気をつけて」 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫
「さよなら快傑黒頭巾」 中央公論社 1969 のち文庫、新潮文庫
「白鳥の歌なんか聞えない」 中央公論社 1971 のち文庫
「ぼくの大好きな青髭」中央公論社 1977.7 のち文庫

 私は、社会に出てからも、この「おどかしっこ」がビジネスマンや、研究者、芸術家たちの、「頑張りの原動力」になっているような気がするのだが、どうだろうか?

 庄司薫氏は、このような「おどかしっこ」は高校生までだと、何かに書いてあった。それは、大学に行ったり、社会に出たりした場合、それぞれが「何らかの専門家」になっているからだ。

 例えば、医者になった友人が、「膵臓がんのバイバス手術の有効性について」うんちくを垂れても、言語学者になった友人が「アイヌ語と日本語の共通点から考察する縄文時代一言語説」のうんちくを垂れても、それは「おどかしっこ」にならないと述べている。

 それぞれの専門について他の友人より知っているのは当たり前だからだ。

 しかし、その当時から大きく時代は変化している。こんな考え方はできないだろうか。

 社会人になってからでも、「異業種のスタッフが集まって、新しい方向性を模索する」プロジェクトがあると聞く。

 それぞれの専門家が他業種の専門家と「おどかしっこ」をしているのだ。つまり、自分と違う専門家の意見に驚くことが刺激となって、より上のレベルのプロジェクトになっていくのだ。

 庄司薫氏の時代の「おどかしっこ」は、時代を超えて「頑張る原動力」になっていると改めて思った。
 
 参考に、「薫ちゃん四部作」のリンクを貼っておく。

💛「ECSワークショップ」という会社のような名前の個人ブログを、教育をテーマに、開いています。覗いてみてくださいね。⏬😀

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