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「タイ古式に学ぶ大人のワガママタイム。」

 タイ古式マッサージに行った。ヌアボーランと云うらしい。

 立ち仕事をかれこれ10年以上も続けていると、どうにも若い頃とはそろそろ勝手が違ってきて首や腰に違和感が……。体力の回復にも時間がかかるようになってきた気がしたので何年か前には不肖の身ながらスポーツ整体なぞに通って、身体のメンテナンスをお願いしていた。

「もう少し頻度を上げて来てくれたら、この固まった筋の奥を伸ばせるんだけどねぇ。前来たの、3か月前でしょう?」

「あ、はぁ……。すいません、悪くなってますか」

「そりゃあ、もう。これはひどい」

「ハハハッ……」

 忙しさを理由にひと月に1回は来てねとハガキまで定期的に貰っていたがなかなか通えておらず、丁度引っ越しを境にさらに通うのが億劫になってしまい、身体に違和感を覚えてもう随分と経つ。そんな話をチラリと聞いていた仕事先のお客様から「この都内にあるお店はなかなか良かったですぞ。ていくさんもぜひ」とサロンを紹介された。

 こじゃれたお店は昔から苦手で未だ美容院などは行った事がなく、カフェも利用しない身であるので予約したそのお店の前までついてはみたものの「やっぱりやめようか」などと情けない考えが頭をよぎっていたが、ええいままよと扉を開けて飛び込んでみる。こういう話を周りにすると「オーセンティクバーは1人でがんがん行けるのに可笑しい」と笑われるが、それはそれである。もし本業でなかったら、BARにもきっと、行けておりませんよ。

 最初はとても緊張していたのだけれど、途中担当していた先生と同い年だという事が判明し、そこからはかなり気持ちも楽になった。ヌアボーランは組体操のようで、終始どこかしら伸びていてとても楽になって寝てしまえるようなモノではなかったが、結果として足の先から頭の先まで、感動的な90分間であった。

 施術後、出されたお茶をすすりながら談笑していると、

「凄くこういったお店に慣れているのかと最初は思っていました」と先生。

「どうして?」と問えば、日本人に合わせて短い時間のコースも用意しているけれどタイ式は基本的に90分以上かけてゆっくりやるモノで、初見でその時間の予約を入れていたからだそうだ。紹介してくださった方がまずは90分でと頻りに言っていたのでそのまま選んでみたが、そういう事であったか。

「本来は180分、3時間かけてやるのが普通なんですよぉ」

「え?3時間?今日の倍ですか」

 思わず驚いてしまったが、冗談ではないらしい。それはやる方も受ける方も大変そうですねぇと返すと、彼女は笑って「意外とあっという間ですよ。ぜひ今度受けてみてください」とお答えしてくださる。

 3時間か。12月にくる飲食業の繁忙期を乗り切った際には、お願いしてみようかしら。

 元気になった身体でせっかく久しぶりに都内に出たのだからと気になっていた近くのBARに入り、先ほどまでの余韻に浸りながらウイスキー&ソーダを飲んでいると、ふとある事を思い出した。

「お客様は自分の大切な時間を使って来てくれてるんだ。だから毎回ちゃんと迎えてあげないとな」

 我が師が独立し、僕の前からいなくなるまで毎日のように言われていた言葉である。学のない僕はこの人はいつも当たり前な事言っているなぁ程度にしか聞いていなかったが、ある程度社会人としての常識がついてきた今では世間がこれを”可処分時間”と呼んでいる事を知り、なんとなく意識している。詳しくは他の聡明な方々におまかせするとして、要は自分がワガママに過ごせる時間は休日を除けば1日に4時間程度しかないという話だ。

 そう考えてみればマッサージの3時間も、ふらっと寄ったBARで過ごす2時間も、今の日本人にはかなり貴重な時間だろう。「また来てくださいね」は自分もよく使うし、先ほどの先生も、ここのバーテンダーさんも最後には言っていた。案外、軽い言葉ではないのかもしれない。

「本当は毎週通ってもらうのが良いのですけど、ほとんどの方は1か月に1回くらいのペースですかね」

 先生の笑顔に騙されたと思って、”良い時間の使い方”を改めて考えてみる事にしよう。ワガママに過ごせる時間がもっと簡単に捻出できる生活が出来たら、良いのですけれどね。

『バーテンダーの視(め)』はお酒や料理を題材にバーテンダーとして生きる自分の価値観を記したく連載を開始しました。 書籍化を目標にエッセイを書き続けていきますのでよろしくお願いします。