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[note53]学校をどのように創造していくか?

学校を考えるフリートーク

昨年の11月から思いついて始めた先生方とのフリートークタイムは、一先ず3月で一区切りになった。ここまで授業の合間に全13回、10名の先生とお話することができた。これを多いと思うか、少ないと思うかは考え方次第だし、元々が「話したい人が話したいタイミングで気軽に集まりましょう」をコンセプトに始めたから、数の問題ではないのかも知れない。トークタイムのほとんどは私と誰かという2人の会話だったけれど、具体的で、時には本質的な問題を話すこともできた。そうした意味では10人もの先生方と本音に近いものを話し合えたことは大きいと思う。

フリートークはこんな感じでラフに呼びかけてみた!

先生方の問題意識

今回のタイトル画像に象徴されるように先生方は本当に色々なことを考えていた。学校の将来像、進路指導、生徒指導、教師のキャリア、教育環境etc…どれも学校、生徒、教師にとって重要なテーマだ。一方で、現状を踏まえた時、いくつかの部分で機能不全を起こしかけていることに対する危機感を抱いていると感じた。「本当にそう思います」「完全に同意です」という言葉を幾度となく使った。中でも最も強く感じたのが【学校の目指すところ・将来像】だったように感じる。様々な問題意識は最終的にはそこに帰結する。そもそも、学校はどうあるべきなんだろう!?もちろん生徒の未来のために存在するものである。それと同時に教師が働くことに、喜びやワクワクを感じることができる場所であるべきなんだろうな…というのが私の感覚の中にある。生徒も教師も「うちの学校、結構楽しいな」と思える環境、そうしたものを作っていけたらいい

創造社会『ジェネレーター』を読んで感じたこと

ある先生から紹介された一冊の本がある。それが表題の『ジェネレーター』である。その中で以下のような文章がある。(一部を抜粋、編集)

ここ100年とこれからの社会の変化を3つのCで象徴される変化として捉えている。Consumption(消費)を中心とした社会、Communication(コミュニケーション)を中心とした社会、そして、いま始まっているのがCreation(創造)を中心とした社会だ。「創造社会」では、どれだけ生み出しているか、どれだけ創造的でいるかということが生活・人生の豊かさを表すようになる。誰かが作った一般的な基準や、やり方を受け入れる、進んでいる国のモデル・手法を模倣するのではなく、自分達で自分達の在り方・やり方を作っていかなければならない。これが僕たちが生きる創造社会であり、そこでは、それぞれの人が自分達の創造性を駆使し、問題を発見・解決する社会になる

『ジェネレーター/学びと活動の生成』(市川力+井庭崇 学事出版)

今日、勤務校に限らず、学校には様々な課題が山積している。それに対し、批判的に見る視点は大切だが、自分を課題の外側に置いたままでは問題解決を図ることはできない。以前、参加した研究会の中で講師の方が述べた「私達は評論家になっていてはいけない」という言葉が記憶に強く残っている。果たして、自分は評論家的に批判するだけに留まっていないだろうか…。

当事者(わたしごと)として考える

これは私が受け持っている中学生に対するゼミナール授業の基本コンセプトであるが、あらゆることに言えるマインドだと思っている。学校の当事者は生徒、教師、保護者である。理想的には三者が協働して学校を改善していくことが求められるだろうが、まずは生徒と教師が「学校をより良い場所」にするために協働していけたらいい。そこには無関係者は存在しない。生徒にとって学校が成長の場であるべきことは疑いの余地がない。彼らが学校生活を通じて自己と向き合い、可能性を大きく広げてくれるならば、素晴らしい場であると言える。それと共に、私自身は「働くことの楽しさと良い意味での面倒くささ」を感じる場であったらいいと感じている。現状維持が悪いということではない。これまでに培ってきた価値観や実績は諸先輩方の努力によるものであり、大切にすべきことも多い。ただ、VUCAと呼ばれる不確定で変動する社会に向き合う生徒達を前にして教師だけが現状に留まっていることはできないとも思う。「どうすればいい学校になるか?」を考えるためには、そもそも「いい学校って何だろう?」という問いを考えなければならない。【生徒が希望進路を実現できる学校】というのもあるだろう。端的で分かりやすく、社会的評価も得やすいかも知れないが、良い学校の要素は他にもあるはずだ。しかし、それは誰かが教えてくれるものではなく、自身が想像し、創造していく必要があるものだと感じる。だからこそ、こうした作業は面倒くさい(『ジェネレーター』では「つら楽しい」という言葉が使われており、それに近いものを感じる)…でも自分達で作ることができるならば、それ以上の意味や存在意義を生み出すことができる

次のステップに向かうために

『ジェネレーター』の中では、課題に直面した人々が問題や課題に対して、主体的に向き合い、発信し、相互に影響を及ぼすことで、何かが「生成」されていく過程が描かれている。フリートーク自体も「こんなことしたら意外と面白いかな」という自身の興味関心で始めたことだが、「先生方と色々な話ができて有意義でした。おしまい」では単なる自己満足に帰結する。
ここから、どのように具体的な行動に進んでいくかが大きな課題になる。何事も全ての人が参加して、動いていくことは難しい。こうした時、以下の一文が参考になるかも知れない。

ジェネレート(生成)するためには、「大きく」「一気に」ではなく、「小さい」ながらも「じわじわ」と作り続ける場と仲間を作ることだ。

『ジェネレーター/学びと活動の生成』(市川力+井庭崇 学事出版)

自分達の学校をより良いものにするために、「小さく」、「じわじわ」と何ができるか、次のステップとして、それを考える場を先生方と生み出すことができたらいい。それは、面倒くさいけど、結構楽しい営みになると思う。

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