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旅に馳せる思いを胸に

私はご存じの通り観光業ですから、こんな苦難な半年を過ごした事は、初めて海外生活をした2001年911テロ以来だと思います。今は全く見通しも立たない状況でトンネルの中を手探りで歩いているようなもんです。
でも、先日ボホールのホテルがFBのオンボード・ライブでホテルのビーチから、素敵なアコースティックバンドのサンセットライブを配信して「あー死ぬほど今すぐ旅行に行きたい!」とあわや幽体離脱するところでした。

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初めての海外旅行の思い出

海外に行けない今考えてしまうのが、海外に行った楽しかった思い出。今日は海外旅行の思い出を振り返ってみます。

1985年大学の卒業試験の結果を待たずに2月ドキドキしながら旅行会社が主催の3週間サンフランシスコホームスティ+ロスアンゼルス+ラスベガス+ハワイ1週間 と言うプランを2年間ローンで申し込んだのが私の初めての海外旅行でした。
当時は年間500万人ほどしか海外に行かない(今の1/4)中で国内を含めて1か月旅行に出るのは初めてで、凄く興奮してました。どれぐらいかと言えば伊丹空港(関空はまだ出来ていない)から成田へ向かう飛行機が離陸した途端、思わずツアーメンバー全員で拍手喝采した位でした(汗)

僕のホストファミリーは、このツアー現地リーダーの夫婦の息子さん。食事はお母さんの家、寝るのは息子さんのアパート(しかもルームメートあり)でした。
初めて靴を履いたまま入る家、家の中にいる大きな犬、デザートを頼むとパイント缶ほどのチョコアイスが出てきて震えながら食べた事など新しい経験の連続でした。同じ星空でも日本で見るのとは全然違うし、空気感がアメリカそのもので毎日がワクワクの連続でした。
喧嘩もあったし、共に笑い共に泣き、プチ恋愛三角関係事件はまるで、私のテ〇スハ〇ス体験の様でした。

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旅行者をもてなす側になって

今度は2001年カオハガン島から海外移住生活が始まりました。ペンションハウスのマネージャーとしてもてなす側での生活が始まったのです。きっかけはこちらを!

カオハガン島は本当にきれいな島でした。目の前の海には1メートル以上のテーブル珊瑚にカラフルな魚が泳ぎ、真っ赤に燃える夕焼けが沈んだ後は、満点の星空が頭上に広がります。天の川を英語でmilky way と言うのは、夜空にミルクをこぼした様に天に白い星の道が出来ているからと目で理解しました。

当時殆どのお客様はオーナー崎山さんの本を読んで生き方や幸せについてちょっと考えたいと思う人が多くて、そんな人が美しい自然に触れ、のんびり穏やかな島民の暮らしを見ながらゆっくりした時間を島で過ごすと、とても心を開いてくれると言うか、本当に色んな事を話してくれました。当時の私の一番大切な仕事がお客様と3食共にして、色々な話をしながらもてなす事でした。それこそ会社社長もいれば、学生や恋に破れた女性、彼と一緒に海外旅行と、様々な人が色々な話をしてくれたのです。

旅の醍醐味はやっぱり人との会話かな?利害関係のない人だからこそ、思い切って話せる所もあるしアドバイスも出来る感じが心地よかったです。それに大自然に囲まれている事で、その心地よさが加速したような気がしました。

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コロナで苦しむ旅の裏方

そして今年は最初に書いた様に旅行関係従事者にとっては、未曽有の年となっています。
特に海外で働く人はより大変だと思います。フィリピンのホテルスタッフの多くは休職(給与なし)で自宅待機です。又、都市封鎖も行われていて転職活動もままならないです。つまり収入の道が閉ざされた上に、外国人は支援も何かと後回しなのです。

悪夢の911テロの年、セブの主要ホテルでは半分近いの人が辞めさせられました。今同じことになろうとしているかもしれません。目途が立たないのです。911はアメリカだけだったけど、コロナは世界中に蔓延しています。

それに旅行関係の特にフロントラインで働く人はやっぱり接客が好きなんですよね。旅のワクワクをお手伝いできる喜びは何ものにも代えられない充実感があります。それが出来ないのは本当に辛いです。お客様の笑顔で元気が出ていたのにそのお客様が来れないんですから。
それでも多くのスタッフが出来る事を頑張っている様子がFBなどを通じて見れた時、自分もやれることをやらないといけないな!と勇気づけられます。

今コロナ禍で医療従事者への感謝はしてもしきれないですよね。だって自分や家族に感染するリスクがありながらもめげずにやれる事を命がけでしてくれています。絶対になくてはならない人であり職業です。

人を癒す気持ちは英語でHospitality と言いますね。辞書だと「親切にもてなすこと、歓待、厚遇」とありました。
語源は「ホスピタリス」で巡礼の旅に疲れ果てた信者を受け入れ宿として泊めてあげた修道院のシスターのもてなしに起因しています。そこから派生した言葉がHotelで同じ様に癒しを提供してくれます。Hospital 同じ語源だからです。

「今はみんなコロナで弱った体をケアする医療従事者の優しさに感謝」してると思います。

コロナが終息したら

「次はきっとストレスで弱った心をケアする癒しを提供する人が必要になる」と思います。

そのサービスを提供してくれるのがホテルマンであり、旅に従事する人達の優しさと仕事への誇りだと信じています。

この修道院はスイスの峠にあった事から、ヨーロッパには歴史があり厳格なホテルが多いのです「セザール・リッツ」はスイスの実業家で、1850年にスイスに生まれ、15歳で地元のホテルのボーイとなり、その後に様々なホテルで経験を積んで、「お客様は常に正しい」、さらに「ホテルはお客様に満足を売る」というサービス哲学を軸にして、高級ホテル「リッツホテル」を確立しました。

旅は昔から人々には欠かせない大切な事。だから旅は無くならないし、ホテルの癒しが不可欠な時代は必ず戻ってくると思います。

今苦しんでいるこの人たちに元気を与える事が出来るのが、皆さんが旅をすること、そして楽しむ事です。

近い日に大きなスーツケースに荷物を詰め込んで。
だからコロナ収束を信じ、今はStay Homeを続けます。

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