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愛に守られた世界遺産の街ビガン

毎年この日が来ると、平和について考えさせられます。今日は広島に原爆が落とされた日です。1年で最も戦争の事を考えさせられる日ですね。
私たちの観光業は「究極の平和産業」だと感じてます。それは日本とフィリピンの両国が平和でないと成り立たないから。だから平和は私にとって死活問題なんです。
悲惨な出来事が多い歴史の中で、少し心が温まる話があります。それが街全体が世界遺産に指定されている歴史都市「ビガン」の逸話です。しばしお付き合い下さい。

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歴史を紐解く前に知って欲しい事

戦争に関しては、皆さんに知って欲しい事があるので最初に書かせて下さい。それはフィリピンで起きた戦争の悲劇の多くが「巻き沿いで被害を受けたのは市民」と言う事実です。フィリピンは支配の歴史を歩んできました。その支配が多くの刹略をもたらしたといえます。

最初は1898年に起きた米西戦争です。つまりアメリカとスペインの戦争でした。アメリカは戦争を有利に進める為に当時スペインの植民地であったフィリピンに独立を条件に参戦を持ち掛けました。当時独立気運が高まっていたフィリピン人の活躍で僅か4か月でアメリカが勝利して、フィリピン人も歓喜の声を上げたのでした。

ところが、負けたスペインは終戦条約となる「パリ講和条約」でフィリピンをアメリカに約2000万ドルで譲渡して、アメリカが統治する事になったのです。
「約束が違う、独立はどうなった?」と両国は戦争に発展し、アメリカが12万の兵隊を導入して制圧、最終的に1901年までの僅か3年で4500人のアメリカ兵士死者に対して約20万人のフィリピン市民が殺されたと記録があります。当時のニューヨークタイムズに「10歳以上皆殺し」と書かれた看板の前でフィリピン人の子供が銃殺されている風刺画が掲載されていました。
これスペインとアメリカの喧嘩の話ですよね。

次が第二次世界大戦で、アメリカと日本が戦っていました。日本はアジア諸国の解放をスローガンにフィリピンを制圧して統治した為、その後アメリカと日本の戦いがフィリピンで繰り広げられる事になったのです。
でも実は戦争が始まる前に、フィリピンはアメリカから独立する約束が既に締結していて、日本が介入・解放しなくても独立する予定だったのです。
1944年から45年の1年間激しい戦闘がフィリピンで起き、アメリカ兵士16,043人、日本人兵士 336,352人の戦死者に対してフィリピン人は市民を含めて100万人以上が亡くなり、マニラなどの主要都市は壊滅、多くの文化財が永久に失われました。本当に胸が痛みます。

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ビガンに伝わる愛の秘話

首都マニラのあるルソン島北部の田舎に、スペイン統治時代に建てられた美しい建造物が残る「ビガン」と言う街があります。第二次世界大戦時はこの街にも日本兵が駐在していて、近くのバギオと言う街からこのビガンに1941年12月高橋大尉と成岡将校が赴任を命じられ街で生活を始めました。
実はこの2人はフィリピン赴任中に現地女性と恋に落ち結婚して子供も生まれてと、根付いた暮らしをしていたのです。2人は誠実な人柄もあって現地のフィリピン人社会に溶け込み平穏な日々を過ごしていたそうです。
時折、日本人上官が街にフィリピン人ゲリラを探しに来た時も、擁護する発言で無益な殺生が起きないように努力されていたようでした。

ところがフィリピン国内で日本の劣勢が酷くなってきて、ここビガンにもアメリカが攻めてくると情報が入りました。当時日本軍は撤退する時に活動の証拠や逃げていく先が分からない様に、基地を壊し街を焼き払ったり、ひどい話ですが女性をレイプして物を強奪して出ていく事が多々ありました。だから多くの文化遺産が失われたのです。

そして、いよいよ高橋大尉率いる部隊も撤退を余儀なくされた時に2人が取った行動は、、、、

高橋大尉は街に住むドイツ人神父を訪ねてこうお願いしたそうです。

「私はこの地で結婚した愛する妻、愛する娘を残して行かねばなりません。アメリカ軍の砲撃によって家族と暮らしたこの美しいビガンの街が破壊される事のない様、我らが撤退した事をアメリカ軍に伝えてください。」

そして美しい街に火を放つことなく山中へと向かったそうです。

神父は広場に大きな白旗を挙げてアメリカ軍に攻撃しない様にとメッセージを送りました。砲撃開始直前にアメリカ人兵士が白旗に気が付き砲火を免れたのです。おかげで多くのフィリピン人の命も失われる事はありませんでした。

残念ながら高橋大尉部隊はその後全員戦士したそうです。

時は流れて1999年にこの美しい街ビガンが文化遺産として町全体が世界遺産に認定されました。当時のイロコス州知事サベリャーノ氏はインタビューに「ビガンの街は、彼ら日本人の『愛』によって救われたのです。」と答えたそうです。

ルールを守ることは大切ですし、必要な事です。でも自分の頭で考えて、本当に大切なものを守る行動をする事が一番必要だと思います。国や時代が狂って間違った価値観がまかり通ったとしても、自分の心と向き合い考える事をしないと、取り返しのつかない後悔をすることになると思います。

高校時代に地学の年老いた先生が授業中によく私たちに「あぁ、戦争中は本当に悪い事ばかりしてしまいましたねぇ」と呟いていたのを思い出しました。何が先生にあったかは知りませんが、何十年経っても消せない後悔があったのじゃないかと思いました。

戦争は人を狂気に駆り立てる、だからおじいちゃん、おばあちゃんが「戦争は絶対にダメだ」と僕たちにメッセージを送り続けてくれていると思います。

*いつもより多めに写真をアップします。美しいビガンの街並みをお楽しみください

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石畳のメインストリート クリソロゴ通り 

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世界遺産 パオアイチャーチ(ラワッグ)

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パオアイチャーチ前にあるレストラン HERENCIA 

お勧めメニューは野菜たっぷりの ピナクビットピザ

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ロマンチックな夜のビガンの街並み

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ベルタワーとメインストリートのお土産屋さん

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ローカルマーケットで食べるエンパナダ(揚げ餃子)とアイス



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