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「身の程を知る」ということ(875)

組織活動をしていると、役職や階層や仕事の割り当てによって「身の程に合った」活動をすることがあります。これは、仕事をスムースに行うというような良いこともあり、自己過信によって身の程を超えた改善・改革ができないといった悪いこともあります。

「身の程」とは、分際(ぶんざい)と言ったり、分限(ぶんげん)と言ったりします。特に江戸時代のような封建制度のもとでは、人を説諭したり、自他を戒める時に利用された言葉です。(例: 「学生の分際で贅沢だ」)

それでは、「身の程に合った」や「身の程を知る」というのはどういうことなのでしょうか。
ここで考えなければならないのが、「身の程に合った」や「身の程を知る」というのは、自分を現状の地位や資格から逸脱しないということです。すなわち、自然と身の程に見合った謙譲や謙遜になりうるということです。

謙譲や謙遜が過度になってくると、卑屈さにも結びつくことがあります。適度の謙譲・謙遜は問題はないのでしょうが、卑屈になってくると問題です。自分を意図的に下位に位置付けるようになりますから、身分制が強固になっていくということを意味します(例: 江戸時代の士農工商という身分制度)。身分制度を堅持すればするほど、凝り固まった組織や国家になってしまいます。言い換えると、全体のダイナミクスの観点からは優れた人が出てきにくくなっているわけです。

「身の程」を超えて優秀な人が出てくると、組織や国家も立派になってきます。逆に言うと、組織や国家を立派にしたいためには、優れた人を見出すための方策が必要になります。それが教育です。

身分制度がある江戸時代では、寺子屋や学校によって、優秀な人を見出すこともあったようです。その結果、農業の人が商業や工業の分野に出ていくことができた訳です。現在でも同様に、自分の分際を広げるためには高校や大学を利用するのが効果的です。高校や大学で得た知識や経験は、公務員や企業人になるための試験や面接などで利用されています。もちろん、大願の在学中や卒業後に各種の資格を取ることも可能です。優秀な人は、司法試験に早々と受かる人もいます。

いずれにしても、現時点の「身の程」は、教育などによって変えていくことができるというわけです。


「身の程」を示す分際や分限を高めていくためには、学校などによって自分自身の向上努力をすることで、現時点の能力(身の程)を高めていくことができるのです。

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