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塵をはらってしまった後はどうするか #禅の言葉

我々は、分別・妄想が起こってくる時点(これを門頭という)で退治していかねばならず、その上で禅と悟りの世界を享受していくことが望まれる。
禅門では、分別・妄想を退治することを、「塵を撥(はら)う」と言う。塵をはらってしまえば、そこには仏心が見えてくる。

塵を撥って仏を見る時、直に須らく剣を揮(ふる)うべし  塵をはらって仏を見るというのは、無いものを見ているのだから、そのことをすら直ちに剣をもって叩き切ってしまうのがよい。
仏というものは、姿・形などの無い、言葉に言い尽くせないものだから、「仏を見た」などというのは妄想でしかありえない。

門庭の施設(せせつ)、入理(にゅうり)の深談(しんだん)  師家が仏法を説く時には、門庭の施設(禅宗の道具立て、第二義門的に方便手段を使って分かりやすく説明する)によるものと、入理の深談(第一義門の深い道理の立場で、端的な言い方、いわば哲学的な考証をしたりする)によるものがある。そのほかにも、自受用三昧(じじゅゆうざんまい、自分自身で体感して受け取ったものを使いこなす)というけたはずれな素早いやり方もある。

一旦の氛埃(ふんあい)四海に清し  一時的に妄想などの氛挨(ほこり、ちり)によって心は乱れるが、それらを払ってしまえば四海の波が平らかになるように落ち着きが出てきて清々(すがすが)しいものだ。老子は、「統治者は民が欲望をかき立てるような行為をしてはならない。自ずから無為(何もしない統治)が良い」と説くが、それは無為自然の境地/太平無事の境地で接せよということだ。その根底には、仏道修行の大切さがある。

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