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冥想法について考えてみよう(841)

あなたは、「目を閉じて静かに考える冥想法には何があるか」と聞かれたら何と答えるのでしょうか。多くの人は、心の健康法とか身体的エクササイズとしての「ヨーガ(またはヨガ)」と答えるでしょう。ちなみに現在では、ヨーガ体操、パワー・ヨーガ、ホット・ヨーガ、マインドフルネスなどが有名です。

ここで注意しなければならないのが、冥想と瞑想の違いです。
「冥」は、覆われて暗く見えない様子を表し、「奥深いところ」「深遠な道理」という意味に用いられます。
「瞑」は、死者のように目をつぶるという、いわば生きている人にとっては意図的に目をつぶるというやや広めの意味を持つ漢字なのです。

よって、宗教的実践の場合には冥想法と書き、単に精神的及び身体的な練習などには瞑想と書くことに留意しておきましょう。その意味では、ヨーガは瞑想を主とする古代インドの伝統的な行法であると言えます。(注:  ヨーガでは、あえて目を開けて行ずることもある。)

今回のタイトルには「冥想」としましたが、以降ではやや広めの意味を持つ「瞑想」も含めて考えていくことにします。

瞑想は多くのスタイルが存在します。例えば集中するという観点では、
・特定の対象に集中するもの(ヨーガ等)
・主としてある対象に注意を向けるものの、雑念が生じれば意識をそちらに向け、また元の対象に意識を戻すもの(ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス等)
・特定の対象に注意を向けずに無念あるいはそれと同等となるもの(止観、禅等)
などがあります。このうちの2つ目の半分と3つ目が冥想と言っていいでしょう。仏教では、3つ目の冥想となります。

冥想の主たる留意点として、坐法と調気法及び心の持ち方があります。
・坐法 坐り方、足の組み方を言い、坐禅では調身と呼んでいます。
・調気法 呼吸によって気をととのえるものです。坐禅では調息と呼んでいます。
・心の持ち方 止観する。坐禅では調心と呼んでいます。
 心の働きを止める「止(サマタ)」によって、一つのことに集中する。
 事物をあるがままに観察する「観(ヴィパッサナー)」で、現在に気づく。

仏教の密教では止観を重視するので、瑜伽教(ゆがきょう)とも言います。
禅宗では、坐法を中心に、さらに止を重視した坐禅を修行法としています。特に、坐禅は静慮、禅定の境地を作る修行法と言えます。

冥想(特に坐禅)は、自分の心を落ち着かせることもできるし、静かな境地を楽しむことができます。多くの禅寺などでは、無料(または少額の布施)で行っている坐禅会が案内されています。近くの坐禅会の場所は、インターネットで調べることができます。一度、試してみてはいかがでしょうか。

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