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「有」と「無」とは、何を意味しているのか

禅の世界では、「仏性が有る」と言ったり、「仏性が無い」と言ったりします。しかも、反対の意味合いを持っているように見えて、実は同じことを言っていると言うのです。なぜでしょうか。

昔、釈尊は「悉有仏性」(しつうぶっしょう、ことごとくが仏性を有する)と言いました。別の国師もまた「有仏性」と言っています。これらは、まったく同じことを言っていると思っていいでしょう。しかし、潙山(いさん)禅師は「一切衆生無仏性」と言いました。この言葉は後の人に、素晴らしい言い方だと言われています。「悉有仏性」と語彙的には反対の言い方ですが、なぜ素晴らしいと言われるのでしょうか。

たとえば、著名な科学者が自分の考えを論文等の書籍に記したとしましょう。すると、書籍という物は「有る」(持っている)ことになります。自分の考えは有る(書籍として持っている)のです。それは明確です。

しかし、その科学者は自分の考えを、自分の書籍無しで滔々(とうとう)と何時間でも説明できます。そのとき、書籍は持っていないのですから、「無い」ということになります。書籍と言う物は「無い」(持っていない)のです。それでも、自分の考えを説明しているのですから、書籍は無くても、自分の考えは「無いとは言えない」ことになります。

このとき、書籍は持っていないという「無」は、まったく何もないことを意味する虚無ではないとわかりますね。

このことから分かるように、書籍を指して「有」「無」とは言えるものの、書籍の内容はすべて科学者の頭の中にあるのですから、自分の中に書籍(すなわち自分の考え)が存在しているということになります。

釈尊はすべての衆生は「仏性を有する」と言いましたが、潙山禅師が言う「一切衆生無仏性」とは、仏性が有るとか無いと言っているのではないのです。潙山は、一切の衆生が「仏」として生きているならば、もはや仏性の有無など関係ないと言っているのです。それを「無仏性」と表現しただけなのです。釈尊と同じことを言っているのです。

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