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「真理の奥深い智慧」を得る(931)

前回の#930「暗闇の中に光を見る」で、人々は本来「般若の智慧」(仏の智慧、真理を示す奥深い智慧)を有していると述べました。では、その般若の智慧に気づくために何をすべきかを述べてみたいと思います。

まず念頭に置くことは、貪(むさぼ)り欲する気持ちを捨てて、お互いに見返りを求めない応分の施し(慈愛の言動)をしなければならないというこです。なぜならば、私達は生かし生かされているからです。

そして次に、般若の智慧に気づくために清く正しい常識を遵守すると誓います。いわば、「100%近くの人が正しいと思うこと」だけに従って生きていくということです。悪や誤ったことを排除していきます。
たとえ辱(はずかし)めを受けようが、正しいことだけを行っていけば良いと信じて耐え忍ぶのです。

ここまでに述べたことを、不断の努力をもって繰り返し生活していきます。これを精進と呼びます。一般的に言う「向上の精神をもって活動する」のと同じことです。

たとえば、自分の身体が外界に接して何かを感じて受け取ると、自分にとって苦なのか楽なのかを感じます。そこから生じる(想起する)思いをもって行動を起こして、その結果を意識するようになります。それらの中で、善行となるものだけを行っていくという繰り返しをしていくというわけです。最終的に、正しい生活を順守することが精進ということになります。

精進、すなわち不断の努力によって正しい生活ができている人(またはそのように努力している人)が、次の段階に移ることができます。その次の段階とは、「身体を安静に保ち、人間が本来持っている般若の智慧を得るために精神を集中する」ことです。これを、禅定(ぜんじょう)と呼びます。 

心を静める禅定によって、清らかな般若の智慧が生まれまるのです。禅定のやり方として「坐禅」があります。坐禅して心を落ち着けて自分をみつめていくと、私達が生活している世の中は無常である(常なるものは無く変化している)ことがわかり、世の中のものごとは自分が勝手に思い込んでいる幻のようなものなのだとわかります。そうとわかれば、自分が苦しんでいることもまた何の実体もないと知ることができます。結果として、苦しみを無くすことができるようになります。

そのような自分中心の世界が空である(ただただあるがままにある)とわかってこそ、はじめて外の世界が、あたかも鏡に物が映るようにはっきりと見えるようになってきます。曇りガラスが取れたようなものです。すると今までの自分中心の見方が無くなりますから、初めて平等に見る(あるがままに見る)ことができます。その時の状況がよく観察できるようになるのです。そうすれば、その時その場でどう動けばいいかが明瞭になってきます。これが智慧の実践なのです。
智慧の実践は、必ず慈悲となって現れてくるものです。智慧と慈悲とは一体のものなのです。

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