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生きていれば死は必ずある(859)

私たちは現在を必死に生きています。人間、必ず死は訪れるものです。したがって、死ぬ前に与えられた人生を全(まっと)うする、最後まで成し遂げることが大切になります。無駄な時間などない、瞬間瞬間を生きていくことが大切です。この世でやりたいことや経験したいことを、全てを味わい尽くしてから死ぬことを「人生を全うする」と言います。

では、人生を全うするためには、どのようなことを念頭においておくべきなのでしょうか。
「身体が滅しても、心がこの世に残っていればいいではないか」などと考えていませんか。「心がこの世に残っていれば十分ではないか」などと考えていませんか。

念頭に置くべきポイントは、「身と心は切り離すことはできない」ということです。すなわち、「身体が滅したら、心も滅する」ということなのです。

このことを、日本曹洞宗の道元禅師は「身心一如のむねは、仏法のつねに談ずるところなり。しかるに、なんぞ、その身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらん」(『正法眼蔵』弁道話 より)と言います。すなわち、体を離れて心はなく、心を離れて体はないのだと言っています。
その身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらん」とは、「身は滅なのに心が滅しないというのはいかがか」と言っているのです。つい自分の心だけは生き残っているという誤った考え方をしてはならないというものです。仏教では、魂というものを論じてはならないのです。常に身心一如(身と心はひとつ)なのです。

そこで私たちは、自分の言動を振り返り、礼儀や作法にかなった立ち居振る舞いや行動をすることが求められるのです。このことを「威儀を正す」と言います。要するに、誰からも後ろ指をさされないような正しい生き方をすべきなのです。

身心一如の言動は、「行・住・坐・臥(ぎょうじゅうざが)」(歩き、とどまり、坐り、寝る)の四つの局面に出てきます。後ろ指をさされない言動をするためには、形を整えることから入っていけばいいのです。そうすれば自ずから心も整ってくるのです。

でも、心がゆらぐこともあるでしょう。たとえば、他人に言われたことが怒りに結びつくような場合です。そのような場合には、「そうか、あの人はそのように思っているんだ」と受け止めることができれば、心は整っていくのです。それを、「腹が立つ」=> 「怒る」=> 「頭に来た」=> 「キレる」となるのは、心が乱れていることになるのです。「腹が立つ」までに収めることができれば、「受け止める」ことができていると言えるでしょう。受け止めたものは、「そうか、気にしないでおこう」と思い、必要に応じて捨てていけば(忘れ去れば)いいではありませんか。

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