真の自己を見ることができるか #禅の言葉
真の自己、すなわち仏心を見ることができるだろうか。説明することができるだろうか。昔から、仏心を言葉で説明することはできないと言う。どうすれば見ることができるか。それは向上の一路しかない。迷いを離れ、悟りへの執着をも打破することだ。それは修行しかない。
縫虍(ほうこ)なき処、瑕痕(かこん)を見ざる処 縫い目も虎の模様のような隙間もなく、傷痕(きずあと)もないところ。純粋で清浄なるところ、仏心の境地。いわば、無縫塔(むほうとう、卵型の墓石から転じて真の自己を比喩するもの)と言ってもよい。あるいは、無影樹(むようじゅ、影のない樹)のようだと言ってもいい。または瑠璃殿と言ってもいい。
孤迥迥(こけいけい)、円陀陀(えんだだ) 迥とは「はるかに遠い」、陀とは「仏陀」のこと。縫虍(ほうこ)なき瑕痕(かこん)見ざる処を形容すると、ただ一人はるかに遠く諸縁を離れ、円満な境地であると言うことができる。それは、「眼力尽くる処」(見ようとしても見えない処)とも言える。あたかも、「月落ち潭(たん)空(むな)しうして夜色重し」(月が隠れると池には月影も写らず真っ暗になる)のようだ。
雲収まり山痩(や)せて秋容(しゅうよう)多し 迷妄の雲がおさまり、葉が落ちた(辺見・凡見がなくなる)木々のある山が痩せてしまうと、秋の清々しさを味わうことができる。それが、仏心の境地。
仏祖は、仏心(真の自己)を知ってはいるのだが、どのように説明してもしきれない。真の自己は言葉では完璧に説明することはできない。
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