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維摩の病は衆生が原因 #禅の言葉

『維摩経』の主人公である維摩(ゆいま)居士は、病に苦しんでいたという。これは、「衆生病むが故に、我れ病む」という病気であり、衆生が救われない限り治らないという。しかし、きっと治せるはずだ。どうすればいいのだろうか。どのような薬草があるのだろうか。

通身を病と做(な)す  衆生は(私たちは)、常に四苦八苦の煩悩に惑わされている。禅では、そのような病に対する薬草として坐禅を提供している。坐禅を通して得る悟りが病を克服させると言うのだ。坐禅から得た分別をしないという「無分別智(仏の智慧)」が薬草となる。
ただし、悟るためには、坐禅だけでなく、悟り切った人(向上の人)の指導を受けることも必要である。

悟り切った人は、いわば仏性(真の自己)に従った生き方をする。それ故に、「妙薬何ぞ曾って口に過ごさん。神医も能く手を捉うること莫し」(<仏性は普遍的なもので無病息災であるが故に、> 薬を飲む必要はなく、名医も脈を取る必要がない)と言える。
渠(かれ)本無に非ず  禅では、仏性のことを「渠」と呼ぶことがある。仏性は、あるようだが無いようでもあるというように、つかみどころが無い。元々無ではなく、普遍的なものとしている。だから、真空のようであり、生滅を超えた普遍的に生き通しの法身仏とも言う。

仏性を表現するとすれば、「成平(せいへい)や天蓋(おお)い地ささぐ、運転や烏(う)飛び兎(と)走る」(天が万物を蓋い、地が一切のものを支えているような平静さだ。太陽や月が運行して日月があっという間に過ぎるかのようだ)と言える。

 [補足] 烏飛兎走(うひとそう)= あっという間に月日が過ぎていくこと。
    中国の伝説で、「烏」は太陽、「兎」は月をたとえている。

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