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自我が消えていくということ(906)

悟りとは自我が無いことがわかる」ことだ、と説明することがあります。いわば、自分と自然との区別がなくなるのです。

心理学者が用いるPNSE(Persistent Non-Symbolic Experiences、継続的非記号体験)もまた、悟りと同じような「自我が消えていくこと」を説明しています。「自我が消えていくこと」とは、PNSEに入ると「思考が大幅に減少していくこと」なのだと言うのです。何らかの思考(自然に出てくる雑念)が発生しても、それにとらわれることがほとんど無くなると言うのです。(ここで言う雑念には、感情も含みます。)
   [参考] 自我とは、自分の存在や思想に対し執着する心。

注意しておくことは、雑念などの思考が無くなっていっても、他者とのコミュニケーションは問題なくできるのであり、課題や問題を考えて解決していく問題解決の能力は依然として有る(活用できる)ということです。

さて、自我が消えていくといっても程度の問題があります。PNSEの最初の段階では、自我は出たり入ったりとします。すなわち、完全には無くなっていないのです。ただ、その自我にこだわらなくなっていくのです。

その段階を過ぎると、非常に強い「思いやり」「喜び」「愛情」が混ざったような、例えて言えば慈愛のような感情が出てくると言います。いわば、赤ちゃんと接しているような状況です。

さらにPNSEの最終段階になって、一切の感情を感じなくなると言います。

ここでしっかりと認識しておくべきことがあります。それは、PNSEの状態に入っても依然として社会生活をしているわけですから、外部からの刺激があるということです。その刺激には、悪意のものと善意のものがありますが、それらに惑わされると元の木阿弥(もとの状態に戻る)になるのです。

悟りたいと思っている人は、元の木阿弥にならないようにしなければなりません。要するに、外部からの刺激に惑わされないようにするのです。気にしない、こだわらない、ということです。

最後に、もう一つ補足しておきます。PNSEの段階が続いていく(悟りの状態が続いていく)と、過去の記憶に頓着になります。過去の記憶が重要ではなくなってくるのです。過去のことに興味がなくなるということです。禅の世界では、「過去心不可得」(過去のことは状況が変わっているので再現できない)という言葉があります。過去のことは気にしなくなるということです。これも同様のことを言っているわけです。

注意しておくことは、過去の記憶は脳内に残っているので、過去の出来事について質問すると問題なく思い出すことができるということです。PNSEの段階では、過去の出来事に興味がなくなるだけです。おもしろいことについ最近の出来事は、新たなことに目が向いてしまい興味がなくなってくるがゆえに、思い出しにくくなっているようです。

私たちの環境において入力となる情報などが、多くの場合に誤っていたり不完全であったりします。それがゆえに、誤った考え方が刷り込まれて自我になってしまいます。したがって、自我が消えていくのは、決して悪いことではないと思うのです。

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