高山京子

詩を書きます。詩にまつわるエッセイのほか、たまに短歌を載せます。仕事は近現代の日本文学…

高山京子

詩を書きます。詩にまつわるエッセイのほか、たまに短歌を載せます。仕事は近現代の日本文学研究、教育。ブログ:https://takayamakyoko.hatenablog.com/(文学や映画の長めのお話はこちら) X :@takayamakyoko

マガジン

  • 取り残された者たちの詩

    生きることのせつなさ・かなしさ・わびしさ・やりきれなさについて。

  • スナック京子

    虚構の文学的私詩。

  • 常に暫定版の詩集(仮)

    消え去るイメージを中心とした私的世界。

  • 短歌

最近の記事

【断章】いとしさ、せつなさ、なつかしさ、あるいは峯澤典子論のためのノート

むかし、付き合っていたひとから、こんなことを聞かれたことがある。「あなたの、胸の中心を占めている感情は何か」と。わたしは、ためらわず、「せつなさ」と答えた。 子どもの頃から、すべてがいとしくてせつなくて、こんな自分では、到底この世の中を渡ってはいけない、と思っていた。幼稚園へ持って行くお弁当を、母が毎日作ってくれる。それがわたしをやりきれなくさせた。申し訳なかった。いつだったか、お弁当がのどを通っていかない日があった。わたしは発熱していた。泣いた。せっかく作ってもらったお弁

    • 【断章】詩誌「アンリエット」のためのメモ

      きのう、2024年9月28日、峯澤典子さんと髙塚謙太郎さんによる詩誌「アンリエット」が発売された。まだ、手に取っていない方もいらっしゃるだろうから、内容に深く入ることは差し控えておく。というか、一日中読んだぐらいでは、この詩誌のことは書き尽くせない。ただ、わたしは、その感動だけ、ここに記録しておきたい。 いままでこのnoteでは書いたことがないが、わたしは峯澤典子さんの詩の大ファンである。それどころか、はじめて読んだときから(『あのとき冬の子どもたち』だった)このひとの世界

      • 【詩集評】サラ・カイリイ『ヴァージン・キラー』

        やられた。 最初の一編から、やられてしまった。 すぐにわかった。これはわたしの大好きな詩集だ。わたしは、詩はロックであり、ときにブルースだと信じている。切ったら血が出る言葉を書いてなんぼである。サラ・カイリイの詩集『ヴァージン・キラー』は、そうしたわたしの欲求を十分に満たしてくれた。これは、すごいよ。優等生的な大人しい抒情詩など、お呼びでない。あっちに行きな。そうだよ、こういう詩集が読みたかったんだ。わたしを一発で虜にした、冒頭の、「シアトルズベストコーヒー」の一節。 「濡

        • 【断章】詩について考えてみる:3

          今年の6月、第一詩集を上梓した(『Reborn』)が、わたしは、自分には詩の才能がないと思っている。ってちょっと待て。詩の才能って何だ?となると、これはもう、言葉に対する鋭敏な感覚、それを駆使する技術、だと確信している。それについて考えるとき、わたしの指標となるのが、中野重治の次のような言葉だ。 「この本のもとの名は『鷗外 側面の一面』であつた。ところが一、二の人があつて、せめて『鷗外 その側面』としたがよかろうといつてくれた。わたしは忠告にしたがつたが、中身には変りないか

        【断章】いとしさ、せつなさ、なつかしさ、あるいは峯澤典子論のためのノート

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        • 取り残された者たちの詩
          409本
        • スナック京子
          69本
        • 常に暫定版の詩集(仮)
          369本
        • 短歌
          3本

        記事

          【断章】詩について考えてみる:2

          また、初心者的な話から始める。抒情詩って何やねん。と、抒情なるものを否定したくなるときがある。おまえの詩だって抒情詩じゃないか、と言われればそれまでだが、わたしはそれを書いている自覚はない。調べてみると、抒情詩とは、個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩、のことらしい。してみると、すべての詩は広義の抒情詩だとも言うことができる。だがちょっと待て。 先日、ある詩集を読んでいたときのことだ。それは、とても、よい詩集だった。孤独、ということがよく表現

          【断章】詩について考えてみる:2

          【断章】詩について考えてみる:1

          わたしは詩を書くようになってからまだそれほど経っていないので、誰にも聞けないような素朴で恥ずかしい疑問を持ちながら詩作をすることが多い。そこで、わたしなりに、詩についていろいろ思うこと、考えたことを、このnoteに記していくことにした。連載、とまではいかないかもしれないが、いつか、書き溜めたものが、髙塚謙太郎さんの『詩については、人は沈黙しなければならない』のような、カッコいい詩論になればいいなあと思っている。道は遠い。 さて、今回の話題は、「詩を書くひとたち(詩人とはあえ

          【断章】詩について考えてみる:1

          【詩】天使の涙

          わたしは天使の羽根を折る それがあなたへの愛の証 どんなに遠くにいたとしても 異なる宇宙にいたとしても わたしの羽根は必ず届く 他にできることは何もない 二度と飛ぶことはできなくても もはや天使ではないとしても きっとどこかで生きている ずっとあなたを愛してる まだほんの子どもだった 足もとはおぼつかないけれど 陽のひかりをいっぱいに浴びて 見るもの、聞くもの すべてに驚きながら手を伸ばした 背中には羽根が生えていた どこへでも飛んで行ける はずだった 羽根は無惨にも折られ

          【詩】天使の涙

          【詩】SとN

          雪が降るためには もう少しがんばらないといけない きみと約束したから ぼくができることは たとえば海をかたちにするとか 北の空のあの星を取ってくるとか そのぐらいしかないから 子守唄さえ歌えない だからせめてこんな夜には 静かに雪を あるいは星を降らせてあげたい あなたはいつも風だから わたしの願いを叶えてくれる こんなさみしい冬の夜 せめて雪でも降ればいい 何なら星が降ればいい あなたはいつも言葉にならず だけどそばにいてくれる 磁石のSとNのように ぴったりあなたに抱き

          【詩】SとN

          【詩集評】西原真奈美『迎え火』

          詩の読み方。文学の読み方。本当は、どこをどう読んでもいいはずなのに、いつのまにか型に嵌めてしまう。ある権威によって、あるいは、偏見によって。何かを読み取ろうとしたり、学ぼうとしたり。それは、しばしばその世界を見る目を曇らせる。西原真奈美さんの第一詩集『迎え火』は、そんな自分からわたしを解き放ってくれた。わたしはこの詩集を、きわめて個人的な体験として読んだ。痛みの刻印。ぎりぎりまで己と、あるいは他者と、世界と向き合い、言葉にした詩は、激しい痛みを伴う。だが、本当の意味で書き手を

          【詩集評】西原真奈美『迎え火』

          【詩】偽善者たち

          誰かが死んだときに ペラペラとしゃべる奴の 命は紙切れのごとく 薄っぺらい しばしの間でいい その紙で 奴らの口をふさいでしまえ 大変驚きました 言葉もありません ご冥福をお祈りいたします しっかりしゃべってるじゃねえか 死に直面してさえいない テンプレートの生 あのひとたちを見てごらん 世界を四つに切り分けている たまに六つ せいぜい八つ それですべてを理解したと思っている 多様性、とかいって 言葉に人間が支配されて この教室の四十人ですら みんなのっぺらぼうだ 僕は

          【詩】偽善者たち

          【詩集評】乙申『Alchemia』

          いははや、参った。すごい芸術家がいたものである。この時代、既成の文壇や詩壇、商業ベースに乗っているものだけを見ていては、つくづく、大切な文学を取りこぼしてしまう。乙申、八番目の兎。月のウラ。詩はもちろん、装丁まで、すべてやってのける。この詩集も、そこから出版されたものだ。詳しくはHPをご覧いただきたい。 月ノウラ – 月ノウラは創作のLABです。 (tuki-ura.jp) 「あとがき」によると、この乙申名義の『Alchemia』は、ハンス・ベルメールをテーマにした、澁澤

          【詩集評】乙申『Alchemia』

          【詩】スナック京子69 決めゼリフ

          スナック京子 ママは何度も死にかけたことがある 必死に生きて来たひとの顔をしている たくさんのひとを捨てて たくさんのひとに捨てられて来た だから京子ママは誰よりも 鬼になったんだ 涙はいつも飲み込んで だけどたまには鬼の目にも涙 スナック京子の夜はきょうも更けていく スナック京子は トーキョーの場末にある だけだと思ってはいけない ススキノにも ミナミにも どこかの小さなマーケット街にも スナック京子はあるんだ そこは傷ついた人たちが集まる店 みんな生きては死んでゆく 京子

          【詩】スナック京子69 決めゼリフ

          【詩集評】吉川彩子『浅き眠りは地上に満ちて』

          いい詩集とは何か。いい詩とは何か。最近、そんなことをよく考える。もちろん、わたしの詩歴が浅いからなのだが、しばしの間考えたのち、とどのつまりは、結局、何と言われようと、何が流行っていようと、惑わされず、書き手が、己の信じたものをひたすら書いているものが、いい詩集であり、いい詩なのだ、というところに落ち着く。上っ面だけ真似てみても、すぐ、化けの皮は剥がれる。それなら、とことん、自分を掘り下げた方がよいのだ。 詩ではないが、坂口安吾が小林秀雄について、かつてこのように書いていた

          【詩集評】吉川彩子『浅き眠りは地上に満ちて』

          【詩集評】中田満帆『不適当詩劇』

          中田満帆の詩は、詩ではない。それは、いわゆる、「詩壇」なるものに属するような表象でもなければ、「#詩」というタグのもとに日々SNSで垂れ流される言葉らしきものの羅列でもないという意味において、である。これは、いわば、孤高の魂の刻印である。だが、それこそが、本来、「詩」と呼ばれて来たものではないだろうか?本物の詩に出会いたければ、中田満帆の詩を読め。 わたしが中田さんの書くものに最初に惹かれたのは、ふとしたきっかけで知った歌誌『帆』第3号の序文であった。そこには、ぎらぎらする

          【詩集評】中田満帆『不適当詩劇』

          【詩】どこかで

          かなしいことがあったとき 涙が出なかったら 夕方 ちょっとだけ思いっきり走る 河川敷の公園とか 誰もいないまっすぐな道とか さみしいときも ちょっとだけ思いっきり走る 涙は出ない たくさんの涙が 頭のうしろでたぷたぷしてる だから ぼくという存在が きみのいのちに映ればいい ちゃんと、生きています ここに、います そう告げることが ぼくにはできないから どうか見つけて欲しい 雑踏のなかに 海辺の砂に 木々の葉に 風の向こうに ひかりのその先に ぼくは、います きみのいのちに映

          【詩】どこかで

          【詩】メルヘン

          美しくて 醜くて 綺麗で 汚くて 優しくて 冷たくて 瀟洒で 野蛮で 開いていて 閉じていて 愛しくて 憎くて 遠くて 近くて 深くて 浅くて 有機的で 無機的で 明るくて 暗くて 鋭くて 鈍くて 真っ白で 真っ黒で 血が通っていて 機械的で 面白くて 怖くて ずるくて 誠実で 濡れていて 渇いていて おとなで こどもで 大好きで 大嫌いな 無限の ことばというもの 詩 そしてわたし あなた

          【詩】メルヘン