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常に暫定版の詩集(仮)

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消え去るイメージを中心とした私的世界。
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記事一覧

【詩】きらめき

手をつないで眠る 土曜の午後は まどろみのなか あの小路のパン屋さんに 売っていたものを 思い出す作業で きみは食べることが好きだから ぼくを地上に捕まえておくように ときどきぎゅっと手を握った あとどれくらい一緒に パンを食べられるか まだあの店はあるはずなのに 時の営みが 瞬間、瞬間の積み重ねならば 一瞬でも長く きみのそばにいたい 落日の速さに負けないくらい 世界の涯てまで走ってゆきたい あしたは来るのか いのちがあるのか 不確かなことに ふるえて動けなくなるならば い

【詩】詩人、?

コトバに弓をひいた おまえはもう生きてはゆけまい ざまあみろ いや、そんなことはない 破壊して 粉砕して 何もなくなったあとに生まれる そんなコトバが必ずあるはずで 愚かな、たかがコトバごときで それは罰でしょうか 涸れた泉のほとりで倒れていた 汚い身なりの男 握りしめた手には 二、三のコトバ 生きていました たしかに生きていたのです 日本語でも外国語でもない ひらがなでもカタカナでも漢字でもない アルファベットでもヒエログリフでもない コトバ本体のコトバ 男は陰茎を握っ

【詩】絵日記

○月✕日 オリオン座が 死滅するとき 夢でうなされた僕も 小さな村の寄り合いに 参加させられて その中心にいるのは まだ顔も知らない 夫なのだった 体温計は 三十八度五分をさし 苦しみのなか 手をつないで逃げる 生きることに向いていなかった者の 結末にふさわしい朝焼けだ ✕月〇日 浮袋をつけて泳ぐなら 北千住より 錦糸町にかぎる おじいちゃんはそう教えてくれた 宮大工をやっていただけあって 泳ぎが得意 ではなかったので 浮袋には精通していた 僕もその血を引いている きょうも

【詩】アネモネ

吐息の混じった欲望が空気をふるわせる、遠い国からそれはやってきた、もうすぐ会えるというのに、あと一日が待てない、あと一時間が苦しい、手を伸ばした先には雪をかぶった熱い肌、それが溶け出したらもうあとは知らない、明日なんて来なくていいから、流れていく体には、アネモネの血の色が、日に透けて、無数の空に溶け出した、わたしはそれをひとつひとつ掬って、あなたに捧げる、わたしがこの世でできることは、たったそれだけ、アネモネの青色が降り注ぐ夕方、わたしとあなたにも、やがて深い暗闇が訪れる、手

【詩】鼓動

血が流れていない 生きることが薄い 世界とは透明な壁一枚で隔てられ 人びとは無関係に通り過ぎて行く 泣いても叫んでも 声が聞こえることはない しかし あなたの言葉にだけは あたたかな血が脈打っている 濃密な生の刻印 誰かはきっと気づいている いまこの瞬間にも必ず 妙本寺の海棠の花は 無限に落ちていく それを見ている男ふたりを わたしがまた見ている あれはいつだったか 男のうちのひとりは詩人で もうひとりの男に恋人を奪われた かなしみはそんなところに宿る 海堂の木は す

【詩】世界の終わりと僕たちと

空が割れて落ちてきた、海が崩れてこなごなになった、世界の終わり、僕は君の手を取って走り出す、街ではひとがあっちへこっちへ、でも僕は君を離したりはしない、だって木星の裏でやっと見つけたんだからね、星が地滑りを起こしているから、いまここでキスしていいよね、フジサンが噴火したら大変だ、逃げまどうひとたちで道路は大混雑、僕らは手をつないで走る、坂口安吾の「白痴」かよ、みんなとは違う方向へ、二人きりになれるチャンス、こんなときなのに君はうれしそう、僕もニヤけている、フジサンは怒っている

【詩】春の日

寝ても寝ても夢の中、春の午後、僕は君の髪に溶けてゆく、絡めた指までいつしかひとつになって、どうせだったら桜の花びらになってしまえばいいのにねって君が笑うから、一緒に散る姿を想って僕は欲情してしまった、春だから発情かな、消える、僕らはいつか、それまでは、好きすぎてどうしていいかわからないから君の耳を噛んでみた、他にやることもあるだろうに、外は春の嵐、洗濯物が飛んで行きそうだったから、とりあえず洗濯ばさみになってみたかったのかな、君はくすぐったそうに笑う、いつもそれを見たくて僕は

【詩】憂鬱な午後

いのちをかけているひとにしか 用はない いのちをかけて作られたものしか 欲しくない いのちをかけた恋しか したくない いのちをかけた言葉しか 書きたくない 読みたくない 話したくない 聞きたくない いつかは終わる あした死ぬかもしれない だからすべては美しい だけど、でも、ときどき思うよ 愛さなければ 傷つけることもないし 傷つくこともなないし さみしくなることもなければ せつなくなることもなくて 楽なんだけど それでも僕たちは 愛するのを やめることができない

【詩】性、なんて

坂の下で 小さくなった 老夫婦とすれ違う いたわりあって この世界を生きている ふたりにも 激しい性愛があったのかなあ、なんて わたしは考えてしまう なんだか変な感じ もう脳内は あなたの唇や舌の感触で いっぱいになっている あの夫婦にも そんなときがあったのかな みんなが あんな奴はやめろって そういうひとを 好きになってしまう気持ち わからないかな きっと つまらないセックスしか したことがないんだろうね かわいそうに、平和なんだね、おめでとう、ご苦労さん わた

【詩】重なる

あなたはとても繊細で 感受性が鋭いから 何でもお見通しで 私はいつも バラバラに解体されていく あなたの愛撫は行き届いていて 何をされたら喜ぶのか すべて見透かされていて 私はいつも ゆるやかに溶けてしまう 私とあなた あなたと私 境界が消えるときの ゆるやかな記憶 私たちはきょうも からだを重ねる すき だいすき あいしてる 消えることのないあなたのさみしさ 溢れて止まらない私の愛しさ 混じり合って ひとつになって せつなさになる 私たちはせつなさで満たされている

【詩】Night and Day

満たされても せつないのは あなたが好きだから せつなくても 満たされているのは あなたが愛しいから 拙い言葉 拙い愛を 投げては受けとめて また返して たったそれだけのことなのに どうしてこんなに 満たされるんだろう せつないんだろう あなたが、愛しいんだろう ひとつひとつ 言葉を選んで ゆっくりと話すこと 言葉にならないときは ちょっと困った顔で 言葉にできないと伝えてくれること 放たれる言葉の数々の美しさ もうこのままずっと 無限に あなたと話していたいと

【詩】十一月十五日

あなたの代わりは誰にもできない。わたしの代わりは誰であろうときかない。それが骨身に沁みてわかったとき、ひとははじめて真から生きようとする。自立していく。自分を愛し、誰かを愛するようになる。かけがえのないあなた。かけがえのないわたし。生きること。死ぬこと。生きているあいだは見られないと思うほど恋焦がれていた、ミュシャの「スラヴ叙事詩」が、日本にやってきた。美術館の大行列。絵群。体がわなわなと震えた。そして、あなたはこの絵を見たことがあるだろうか、と思った。感動を真っ先に伝えたい

【詩】声

言葉に、飢えている。言葉に、欲情している。言葉に、感じている。いつも。四六時中。でも、どんな、誰の言葉でもいいってわけじゃない。嘘のない言葉。それそのものでしかないような言葉。何より、その言葉を発する、声。わたしが欲しいのは、あなたの言葉。あなたの声。あなたの声を聞いた瞬間にあなたが欲しいと思った。それはまるで暴風雨になぎ倒されるような。愛しさがからだじゅうに溢れる。ああ自分はこんなにあなたのことが好きだったのか。求めていたのか。この広い宇宙にぽつんと立っているわたし。そして

【詩】あいする、だきしめる

あなたのなかにある 醜いもの 汚いもの おぞましいもの わたしは驚かない だから安心して あなたのすべてを見せて だってあなたは同じくらい 美しいもの きれいなもの 素晴らしいものを 持っているのだから そしてわたしは すべてをかけて あなたを愛しているから 知っているよ 本当はいつも 我慢していること 自分をあとまわしにして みんなのために 私はどうなるのって 心のなかで 泣き叫んでいるのも 全部わかっている 振り返ったときに 誰もいない もうそんな思いは 絶対にさせない