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渡米初日 ボストンへのフライト それぞれのA Movie Starを乗せて

「最悪の夏休みが始まった」一ヶ月前、次男が発した言葉だ。この春、遂に大学院に留学できることが決まったことを報告したとき、妻は「行ってらっしゃい」と、少し涙まじりのくぐもった複雑な声色で言った。僕以外、家族の誰もがアメリカ行きを望んでいなかった。4歳年下の妻と、12歳と8歳の息子。みなそれぞれに日本での安定した生活があり、大切な友達がいて、やりたいことがあり、叶えたい夢があり、でもそこにはアメリカで2年ほど生活するという未来予想図は含まれていなかった。

それでも妻は言ってくれた。「もし子どもたちを説得できるのなら、家族でアメリカに行ってもいい」と。次男も「もしみんなでアメリカに行くのなら、行ってもいい」と言い出した。最後まで一番頑なにアメリカ行きを拒んでいたのは中1になったばかりの長男だった。思春期を迎え始めた彼は、幼い頃から家族ぐるみで仲の良かった女の子の友達とも距離を置くようになり、「あんなに仲が良かったのにどうして遊びたくないの?」と理由を訊ねても「遊びたくないから」の一点ばり。アメリカに行きに対しても同じようなスタンスだった。僕の影響もあるのか音楽が好きで、中学校では吹奏楽部に入部。小学生の頃からドラムを習っていた彼は、一年生でパーカッションのレギュラーにも抜擢され、いい先輩と仲間に恵まれていた。それでもどうしても、僕にはアメリカで暮らすというこの思春期の2年間が、彼らのこれまでの既定路線にはない化学反応をもたらすだろうという直感があった。奨学金も得ていたため、財政的にはひとりで渡米するのも、家族を伴ってそうするのもどちらも選択は可能だった。もちろん、彼らの今の言葉だけに耳を傾ければ、「じゃあ、パパ一人で行くよ」ということもできる。その方が、僕自身、自分のやりたいこと=映画のを撮ること、だけに没頭できる。でも僕は一ミリたりともその選択肢について考えなかった。

「もちろん、パパは一人で行くこともできる。でもこれはね、君たちが大人になったときに、『どうしてパパはあの時、本気で僕たちを説得してくれなかったの?』ときっと問いただすぐらいの事案だよ。パパはね、君たちには今、君たちが暮らしている世界だけがこの世界の全てではないことを知ってほしいと思っている。その上で、やはり今住んでいる場所が一番だと気づくのであれば、それは素晴らしいことだし、その後の人生は自分たちで決めればいい。許された時間の中でパパがしてあげられることは限られている。今回の渡米は、君たちにとって、人生の視野を広げる上でもとっても大きなチャンスになると思う」

家族でハイキングをしながらこの話をしようと思っていたが、目の見えにくい僕は箱根の急峻なハイキングコースの途中でうっかり足を滑らせて滑落してしまい、腰を強打し、息も絶え絶えになりながら下山した後で、その思いを伝えた。なんて不器用で不完全なパパだ。長男や次男は僕の目を気遣って、人混みでは手を引いて歩いてくれる。もし僕がもっと人並みに目が見えたら、自分で車を運転して、もっといろんなところに連れて行ってあげて、もっといろんな経験をさせてあげられたのに。そんなふうに自分の運命を呪いたくなるときがある。それでも妻は僕の代わりにいつもハンドルを握ってくれて、家族で出かける機会を最大限作ってくれた。家族に支えられている僕には、感謝という言葉以外に何が見つけられるだろうか。そして、今回はそんなパパである僕が、子どもたちの成長にとって、きっとエキサイティングな環境を与えてあげることができる最大のチャンスだ。

説得の後、遂に長男もアメリカに行くことに一度は同意してくれた。しかし、その後も何度もやはり行きたくないと言って、どうにかこの渡米を拒もうとしていた。よくわかる。きっと僕が君の立場だったら、同じように反応したことだろう。「日本人なのになぜ英語を話さなきゃいけないの?」と高2までは僕だってそう言っていたのだから。抵抗も虚しく、遂に長男も次男も妻も、今日の日を迎えてしまった。仲のいい友達と別れる。出発が近づくに連れて、友達との別れを惜しんで涙を流す姿を目にする機会も増え、兄弟同士の喧嘩も増えた。きっと本当は僕にぶつけたい怒りにも似た気持ちを抑えきれないのだろう。僕は息子たちに一時的に、嫌われても仕方がないと思う。別れを惜しんでくれるこんなに沢山のいい友達がいて、自分の意思ではなく、新天地に向かうことになるのだから。

「行ってこさされまーす!」今日、見送りに来てくれた妻の家族や親戚に対して、子どもたちは少し冗談まじりに、でも本気でそう言って、車の窓の外に手を振っていた。そこにはわずかな怒りさえも感じられた。ほぼ徹夜での荷造りの後、妻は空港まで送迎してくれた父親と別れる際に、顔をくしゃくしゃにして大泣きしていた。また彼女を泣かせてしまった。ごめんね。その言葉以外に今は何も言えないと思った。

大きなスーツケース7つに加えて、妻の仕事用アロマベッド、最近購入した長男の電子ドラムを入れた巨大なダンボールが二つ。まさに大移動が始まった。今、ボストンに向かう機内でこの日記を書いているが、この先の移動や新生活のことを考えると、とても大船に乗った気持ちでというような心境ではない。自分自身が船長であり、僕の判断や言葉一つで、家族を嵐に巻き込んでしまうことだってあり得る。慎重に丁寧に、しっかり一人一人の気持ちを見つめて、笑顔で優しく・・・。そんな言葉を今自分に言い聞かせている。

これから始まる新たな生活の中では、自分のことよりも家族を見つめ、家族の成長や葛藤についてしていきたい。この世界は主人公に溢れている。誰もがそれぞれの人生の主人公なのだから。A Movie Star。そうやって彼らの心を見つめていくことが、シンガーソングライターや映画作家としても、描くべきことを見つけるヒントになるかもしれない。いつか、自分の子どもたちや妻のような人物を主人公にした映画を撮ることになるかもしれない。

成田からボストンに向かう13時間のフライトが間も無く終わろうとしている。このボーイング787型機には、今日、183人の乗客が乗っていたらしい。眼下にはボストンの街並みが近づいてくる。それぞれがそれぞれの人生を背負って、この飛行機に乗っている。日没を追いかけ、マジックアワーを追い越して、間も無く飛行機は着陸しようとしている。黄昏色に染まる緑の多い街並み。この街で、この国で僕は映画を撮る。まだ見ぬ映画を。これから何を描くのか。自分の中でずっと眠っていたものが目を覚まし、覚醒していく気配を感じていた。

DAY1 20230823水(再投稿0825金0654-0717)

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