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命が終わるとき

佐藤花子は若く美しかった。世間一般的に若い女性というものはたといその相貌が朱、白粉を纏わずとも崇高なる美として存在するものだが、花子は中でも格別の美しさを誇った。彼女の豊かな黒髪はわずかにウェーブし、要綱を浴びれば瑪瑙のごとき輝きを放ち、常時わずかに潤む大きな瞳はほのかな哀愁と目一杯のあどけなさを宿し、まるで朝日を拒絶した青薔薇のごとき至高を髣髴とさせた。さらに花子の所作は見目に違わず、美の根源たる聖母マリアの清廉さと同時にあらゆる男衆を見下す高額毒婦の高邁さという、一見すると二律背反するコケティシュを主成分としていた。その一例として、花子は自分の思い通りにならないことがあると薄い唇をきゅっと結ぶ癖があった。その様子はまるで綿毛で出来た赤子をあやすためのおもちゃ糸を蝶々結びしたかのようで、彼女の周囲はそれだけで花子のすべてを許容し、大きな粘性を以て愛してしまうのだった。

さて麗しの花子様仏様だが、彼女本人はその悪魔的な魅力に至って無頓着であった。というのも、生まれつき不注意な人間が大人になるにつれてその欠点を許容し自身の変わらぬ特徴として受容していくように、彼女もまた悪魔を構成する己を、赤子時代から手を取り合う、糟糠の伴侶として捉えていたからだ。そして悪魔の養分として食らわれた己を時には憐れみ、また時には天来の美しさという天災に対する祈りをささげていた。花子にとって美しさとは己と周囲とを包括して支配するアンコントローラブルな光であり、同時に魂の居住地を窄め、濃縮する重圧であった。しかし花子はその圧倒的な美しさという、天からの祝福を模した呪いを憎むことは決してなかった。彼女の収縮された魂が自身に向けられた最高純度の悪快を追い出してしまったのか、花子はユートピアの無垢な農民のように粛々と受け入れていたが、ほっそりとした首首を拘束する黄金の鎖には、現代のヴァリューを攪拌させていたのだった。つまり、美しさという呪いに対する悪感情は、彼女自身の巧みな心理コントロール術、又は天性の心理形状によって+-0を可能とし、相殺され結果無関心から平行線をたどっていたのだった。

常人離れした美貌と品性を備えた花子だったが、彼女には唯一といっていい、ありきたりな欠点が存在した。いかに天使、女神ともてはやされようと、彼女もまた土で出来た人間だったのだ。土には確かに金の粒が含まれていたが、「あなあやまてり」と同じくして、土は土であることから逃れることはできなかった。

花子はとある男に恋をした。その男は身体壮健、頭脳明晰、器量良しと、一見すると非の打ち所のない青年だった。花子の顔を悉く嫌っていたことを除けばだが。

「その醜い顔を近づけるな!」

花子が青年に歩み寄る度、青年は般若の形相で逃走するのだった。本来であれば青年のキリリと整えられた眉から三角定規に肉を与えたような高い鼻は、希臘彫刻に劣らず清澄だったのだが、地上の美を目にすると青年という芸術作品も忽ちに萎み衰え、その妙を瓦解させた。一方の花子といえば生まれてこの方初めて受ける仕打ち、否、美しさへの罰に最初は戸惑いを見せたが、やがては脳髄を走る快楽に変換され、青年と離れること自体を罰ととらえるようになった。青年も青年で、己の美への反逆、サボタージュに酩酊しつつあった。二人は倫理と常識の破壊の内に生じる陶酔に蕩けて、一つとなりながらも隔別する存在を知った。されど二人は結ばれることはなく、月日の流れと共に疑似的な相互崇拝も歴史的視方の遠近法にまぎれていった。

全ては夏のせいだったのだ。青年も花子も、夏が壊したのだ。


青年は銃煙の成す入道雲に消えた。花子はヒマワリの種と共に堕ちた。

天が祝福し、呪った二人は、空気に生暖かい鈍さを残し、壁に掛けたジャケットの類も今や物好きでさえ買い取ることはない。灰となりソメイヨシノの下に埋っているのやもしれぬ。しかし儚い二粒の朝露は確かにそこに存在していたのだ。イエスとユダを銀貨30枚がつなぐように、二人は憎み合いながらも互いの存在を許容していた。

概して美しさは罪である。されば友よ、醜くも、いざ生きめやも。






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