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【その②】教員だった私がITエンジニアへジョブチェンジしたけど、やっぱり教育業界へ戻ってきた話②「ITエンジニアに転職して、心穏やかに暮らせるようになりましたとさ(仮)」

以下、前回の話。

教員としての自分に限界を感じていたところ、プログラミングの楽しさに魅了され、IT業界へ未経験転職した私。

私の新しい人生がスタートした。

当たり前だけど教員の頃とのギャップが凄かった。

本当に何も喋らない。

パソコンの前に座って黙々と作業する。会話はチャットで行われる。1日の声を出したのが「おはようございます」「お疲れ様でした」の2語だったこともある。声が枯れるまで喋り続けていた教員の頃とは180度違う。

仕事も、1つの作業を期限までに終わらせるシングルタスクが中心だ。教員の頃は、少なくとも5個以上の作業を常に同時並行で進めていかなければいけなかった。

イレギュラーも発生しない。スケジュール通りに仕事が進む。作業の途中で、「死にたい」と相談にくる生徒も現れないし、「うちの子が学校行きたくないと泣いている」という保護者からの電話もこない。自分の作業だけに集中して打ちこむことができる。

昼休みもちゃんと1時間とれる。職場の人と社外に出て、近くの定食屋さんで休憩時間ギリギリまで談笑しながらご飯を食べたりできる。また、社外に出ずに午後の作業に向けて昼寝をすることだってできる。

教員の時は、昼休みは次の授業の支度をするとか、食事を手早く終わらせて昼休み中の校舎の見回りをするとかで休憩らしい休憩がとれない。カップラーメンにお湯注いで3分待っていたら、生徒が問題行動を起こして対応しなくてはいけないこともあった。その後、午後の授業へ行き、夕方、職員室に戻ってくると伸びて冷めきったラーメンが机上に鎮座していた。

また、定時で帰れるようになった。毎日必ずでは無いけれど、定時で帰れる日が格段に多くなった。まだ夕方の明るい時間に帰りの電車に乗れる。夜遅く、酒臭い電車に揉まれて帰っていたあの頃と違う。

教員の頃は疲労で電車を寝過ごし、戻ろうとしたら終電が終わっていたことがしばしばあった。見知らぬ駅で降り、駅前のネットカフェで一夜を明かす。ネットカフェがない駅ではカラオケボックスか、酷いときは24時間営業のファミレスでテーブルに突っ伏して眠ったときもある。なんだったんだろうね、あの時の自分は。

残業という概念が存在するので、「今日は残業しなくてはいけないか」を上に確認して仕事をしなくてはいけない。教員の頃の残業(無給)がある前提で、大量の仕事を抱えていたのとは違う。

最初の頃は、それがよく分からず、定時になっても普通に仕事をしていたら上司に突かれた。

「お前はなぜ残業の確認をせずに仕事をしているのだ。残業することで、会社はお前に残業代を支払わなくてはいけないのだぞ。不要の経費を会社に使わせるな!」

これが残業代の存在する世界線か。私は胸に熱い物がこみ上げてきて、涙を流した。

そのお叱りを受けた翌日、私はタイムカードを切って残業することにした。これなら会社に無駄な金を使わせることもない。

すると前日と同様に上司が私のところへやってきた。

「お前、昨日話したことを忘れたのか? 勝手に残業をするなと話しただろうが。その残業代は会社にとって…」

「あ、その話なら大丈夫です。もうタイムカード切っているので。それなら残業代は発生しないですよね?」

「えっ!? まさか、お前はタイムカードを切って、無給で仕事をしているというのか」

「はい、それなら会社に損失はないですよね? 私が好きでやってるのでお構いなく」

「お構いなくじゃない。それは逆に大問題だぞ。ここで監督所の監査なんかが入ったら、怒られるのは会社なんだぞ!」

「大丈夫です。そうなったら、私が『自分で勝手にやっていたことなので問題ありません』と説明します」

「なにが大丈夫だ! そういう問題じゃない! タイムカードを押したのなら、今すぐ帰りなさい!!」

これが残業の存在する世界線か。私は胸に熱い物がこみ上げてきて、涙を流した。

そんなやりとりをしたくらい、労働時間について考えていなさすぎていた。今考えてみると、自分でもかなり馬鹿な奴だと思う。

月に働ける時間の上限も決まっていたので、上限が近くなると上の人に話して定時帰りを徹底してもらったり、有休を使ったりして調節した。

イレギュラーが発生せず、ずっと喋らず座り仕事で、労働時間も管理されていたから、帰宅後の疲労感はほとんどない。

さらに仕事を家に持ち帰ることがない。というより、できない。社外に設計書やプログラムなどの資産を持ち出すことは厳禁だから。そのため、帰宅後や休日は、仕事のことは完全に忘れてリフレッシュすることができた。授業準備のことで追われていたあの頃とは全く違う。

教員と比べると、労働環境も良いし、休日は好きなことやっても自己嫌悪に陥らないし、有給も取りやすい。そして、やってみたかった開発の仕事に携われている。

「なんて落ち着いた仕事なんだ。何も大変なことがない。これで給料をがもらえるなんて、楽すぎるだろう…」

教員以外の仕事がこんなにも精神的に健康になれるのだとは思わなかった。

ストレスが原因で始めたタバコも、気づくと全く吸わなくなっていた。

また、実年齢プラス5歳くらいに見られていたのが、転職して1年経つくらいには、逆に実年齢マイナス5歳に見られるようになった。人から「そんな年齢には全然見えないです!」と驚かれる度に、ニヤニヤした。キモいね。

心が健康になると、生活習慣や見た目にこんな影響が出るのだと驚いた。

給与の話についても触れておきたい。

「未経験の業界へ転職すると、今の給与よりも下がることは覚悟した方がいい」

というのは調べなくても分かっていた。知識と経験で昇級していた現職から、それを捨ててゼロの業界へ転職しようとするのだ。当たり前といえば当たり前ではある。

しかし、私の場合は下がらなかった。

恐らく教員の給与が低かったからだと思う。面接で社長から希望金額を聞かれた時、最後の勤務先の給与額くらいは欲しいと伝えたところ、快く承諾してもらえたのだ。それくらい全然だせるよ、と。その時は「なんて気前のいい会社なのだ!」と感動したが、教員の給与が安かったからなのではと思っている。何故か日本は教育系と福祉系の仕事は給与が低い。

基本給は教員の頃と同じ。しかし、教員の頃と違って残業代が100%支給されるので、むしろ収入は増えた。

未経験で転職をしたが、給与は実質上がり、心穏やかに仕事ができ、昼はしっかり1時間の休憩がとれ、まだ空が明るい時間に帰宅でき、休日は仕事のことを忘れて遊べ、簡単に有給を使って休める。

転職は大成功だった!!

教員という狭い世界で心身を疲弊させていたが、世界はこんなにも広かったのだ!!

私はこの先はITエンジニアとして、第2の人生を歩んでいくのだ。第二章の幕開けだ!!

転職して本当によかった!!

私は心からそう思った!!

めでたしめでたし…






















…と終わらせたいところだが、この話には続きがある。人生はそんな簡単にはいかない。

仕事や生活スタイルに慣れた頃、私の中でフツフツと違和感が沸き起こってくるのを感じた。

それはまた、次のお話。

次のお話はこちら。


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