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P7 去る者と追う者

「ここのお宅の事情は分かったけど、それがおたくとどんな関係あんのやろ?」


時の流れが止まり、空気が再び凍りついた気がした。

なぜ彼が言葉を発する度に、こうも空気が揺れ動くのだろうか、それがとても不思議でならなかった。


彼が言っているのは問いかけでも、投げかけでもないような気がした。

相手のなにかに向けて、”なにか”を響かせているように聞こえるのだ。

深い水面の底にある一点に向けて小石をそっと落とすように。

それは小さな波紋から、やがて世界を覆い尽くす大波となってその影響を広げていくのだ。


「そりゃあ…ねえ……いちおう近所に住んでる間柄やし、あまりにも心配やんか。」

不意を突かれたからか、彼女たちの声のトーンは下がり、僅かに震えていたように聞こえた。



「おばちゃん、同情は美徳でもなんでもないんやで、それは相手を救うどころか、貶めとるだけや。」


彼は、論じたいのだろうか、教えを説きたいのだろうか、それとも持ち前の人生哲学を語りたいのだろうか

いずれにせよ、私は彼の話す言葉ひとつひとつに影響を受け、その男に興味を抱いていった。

それまで私が知っていた大人とは、あきらかに何かが違っているように思えたからだ。


「それに他人の家をじっと見続けるもの、あんまりいい趣味とは言えんのちゃうかね」


たたみかけるように男は言い放ち、少しの間、また沈黙が流れた。



私は彼らがいま、どういった状況にあるのかが容易に想像できた。

彼らはその面持ちを合わせながら相手を図っているのだ。


片方は冷たくも、煮えたぎった視線を相手に送っているだろう。

そしてもう片方は、柔らかくも鋭く、全てを見透かしたような視線を相手に送っているだろう。



それから一切の言葉が交わされることもなく、やがてコツコツとした慌ただしい足音が聞こえてきた。

その足音はドロドロしたものを、少しずつ地に落としているような音だった。



空気が少しずつ日常の流れを取り戻していくと、私は一つの緊迫したシーンが終わったことを理解した。

ハイエナはオオカミと睨み合い、本能で何かを悟り、

争うことなく、群と共に去っていったのだ。


しかし、あの乾いた声の男性の所在が掴めなかった。

少なくともその男性の足音と思われるものは私の耳に、残っていなかったからだ。


まだ、家の前で立ち尽くしているのだろうか。

彼女らの騒々しい足音にまぎれてどこかに去ったのだろうか。

それとも彼は、覚醒したての私の眠気がもたらした、幻想だったのだろうか。


そんなことを考えながら、私は緊張の糸を少しずつ緩め、また少しずつ意識を眠りへと落とそうとしていた。



けれど私はそれが夢でも、ましてや幻想でもなかったことをすぐに知ることになる。



玄関のチャイムが鳴ったからだ。





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