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【ルイス・リーキー】まさかのゲス不倫!?人類の進化の解明に大きく貢献した化石大好きおじさんの生涯(前編)

どーも、たかしーのです。

今回は、『ルイス・リーキー』について、書いていきます!
世界史で先史時代を学び直していたら、このおじさんにたどり着きました。


ルイス・リーキーは何をした人?

人類の進化の解明に大きく貢献したケニアの古人類学者

妻メアリー・リーキー(左)とルイス・リーキー(右)
(wikipedia)

ルイス・リーキー(1903年8月7日 - 1972年11月1日/本名:ルイス・シーモア・バゼット・リーキー)は、ケニアの古人類学者であり、アフリカにおける人類の進化の解明に大きな貢献をした人物として知られています。

ルイス・リーキーが残した主な功績は、以下の通りです。

  • オルドヴァイ渓谷での発掘:初期人類の化石が数多く発見されていることで有名なオルドヴァイ渓谷(タンザニア)にて、長年にわたって発掘を行い、 ジンジャントロプス・ボイセイホモ・ハビリスパラントロプス・ボイセイなどの重要な化石人類を発見しました。これらの発見は、人類の進化に関する理解を大きく前進させました。

ホモ・ハビリスの頭骨(レプリカ)
by Luna04~commonswiki, CC 表示 2.5
  • 人類のアフリカ起源説の支持:当時主流だった人類のアジア起源説に対して、ルイス・リーキーは人類はアフリカで進化したという説を強く支持しました。彼の研究は、この説の有力な証拠となり、現在ではこの「アフリカ単一起源説」が広く受け入れられています。

↓ 「アフリカ単一起源説」については、こちらもどうぞ。

  • 古人類学の発展:ルイス・リーキーは、多くの才能ある古人類学者を育成し、古人類学の発展に大きく貢献しました。彼の弟子たちの中には、息子のリチャード・リーキーや妻のメアリー・リーキーなども含まれ、彼の死後も、著名な古人類学者として活躍することとなります。

リチャード・リーキー
by Rob Bogaerts / Anefo - Nationaal Archief, CC 表示 4.0

他にも、ルイス・リーキーは、アフリカの野生動物の保護にも力を注ぎました。彼は、ケニア野生動物局の設立に貢献し、密猟の取り締まり野生動物の保護活動にも尽力しました。

そんな偉大な功績を残したルイス・リーキーの生涯を、全2回にわたって振り返ります。前編は、ルイス・リーキーが生まれてから、妻であるメアリー・リーキーと結婚するまでを振り返ります。(途中、胸糞エピソードも挟みます)

ルイス・リーキーの生涯(ゲス不倫編)

イギリス領東アフリカ(現・ケニア)で宣教師の長男として生まれる

本名「ルイス・シーモア・バゼット・リーキー(以下、ルイス)」は、1903年にイギリス出身でイギリス領東アフリカ(現・ケニア)で宣教師をしていた父ハリー・リーキーと母メアリー・バゼットの長男として生まれました。

少しだけ時代背景を書いておくと、この当時、帝国主義列強(イギリス、フランス、イタリア、日本など)により、他国の保護領(もしくは保護国が行われていました。

1895年ごろの東アフリカ

ケニアは、この流れでイギリスの保護領となり、1895年にイギリス領東アフリカが成立されました。

ちなみに、このイギリス領東アフリカで生まれ、のちに独立を果たし、ケニア共和国で初代大統領となった人物ジョモ・ケニアッタです。

ジョモ・ケニアッタは、紀元前1000年頃からこの地に住んでいるキクユ族という部族の出身で、キクユ語を話していました。
なお、現在でもケニアには42の部族があるとされていますが、ケニアで1番割合を占めている部族のは、このキクユ族です(人口全体の22%)。

こうした背景もあり、ルイスの父ハリーは、宣教師として聖書のキクユ語への翻訳に取り組んでいました。

もちろん、この当時の宣教師は、ケニアに住む人たちをキリスト教の教えをもとに教化することを目的としていました。そのため、ルイスが住んでいた拠点も、次第に拡大され、部族たちの学校となりました。

先史時代への興味は一冊の本から

この拠点が学校になったことがきっかけとなり、ルイスは次第にキクユ族の人たちとふれあい、狩りを学ぶようになり、キクユ語も流暢に話せるようになりました。

それから、ルイスはキクユ式の小屋を建てて移り住み、そこで鳥の卵や頭の骨などを集めるようになります。

おそらくルイスが建てたであろう キクユ族の伝統的な小屋
by Alexander Leisser(wikipedia)

また、ルイスは、プレゼントでもらった『Days Before History(歴史の前の日々/H. R. ホール著)』というイギリスの先史時代を描いた児童向けフィクションを読んで、先史時代に興味を抱くようになります。

名門ケンブリッジ大学に入学

そんなルイスですが、1904年から1906年まで(ルイス1歳~3歳?)は父ハリーが、1911年から1913年まで(ルイス7歳~10歳?)は母メアリーが体調を崩してしまい、その間は、イングランドにある母メアリーの実家で生活をし、学校にも通っていました。
こうした生活をしていたこともあり、父ハリーは、母メアリーが体調を崩していた頃、イングランド南部の都市ボーンマスに家を購入しました。

イングランド南部ドーセットの南海岸に位置する都市 ボーンマス
by John Clive Nicholson, CC 表示-継承 2.0

それから1914年(ルイス11歳)になり、第一次世界大戦が勃発しましたが、この頃のルイスは、イングランドではなく、アフリカで生活をしていました。

1919年(ルイス16歳)、第一次世界大戦が終結し、海上航路が再開されると、ルイスは再びイングランドに戻りました。そこで、私立の男子学校に通い始めたルイスですが、ある教師から銀行に就職するよう勧められたことで、父の母校でもあった名門ケンブリッジ大学への入学を決意します。

ケンブリッジ大学
by Diliff - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0

1922年(ルイス19歳)。努力が身を結び、入学試験で優秀な成績を収めたルイスは、奨学金を得てケンブリッジ大学への入学を果たします。

当初、銀行への就職を目指していたルイスですが、大学に入学した頃には、父と同じくアフリカで宣教師になることを志していました。
(ルイス自身がキクユ語を話せたのが大きかったのかもしれません)

なので、この頃のルイスは、周囲にキリスト教への熱意を説くような青年でありながら、同時に進化論を支持するといった一面を持ち合わせており、将来の自然科学者たちとも仲が良かったそうです。

「キリスト教」と「進化論」の関係性については、こちらをどうぞ。

失敗をバネに研究者の道へ

ルイスがちょうどケンブリッジ大学への入学を果たしていた頃、イギリスは、第一次世界大戦の賠償として、ドイツからドイツ領東アフリカを獲得しました。

1922年ごろの東アフリカ

この地域(タンガニーカ、のちのタンザニア)で、ドイツ人がテンダグルと呼ばれる恐竜化石の豊富な土地を発見していました。

この発見を受け、大英自然史博物館が化石の発掘隊を派遣する予定であることを家族の友人から聞いたルイスは、それに応募し、採用されます。

1924年(ルイス21歳)。ルイスは、発掘隊ととも東アフリカへと出発し、調査に乗り出します。ですが、発掘隊は恐竜の完全な化石を発見することができず、翌年、ケンブリッジに呼び戻されることとなります。

ただ、この失敗を経験したことから、ルイスは大学の専攻を人類学に変更し、イギリスの人類学者アルフレッド・コート・ハッドンのもとで、学び始めました。

アルフレッド・コート・ハッドン(wikipedia)

1926年(ルイス23歳)。ルイスは人類学と考古学で最高の成績を収めて、ケンブリッジ大学を卒業します。在学中、ルイスは、アフリカの考古学や古生物学について講義を行ったり、執筆活動をしたりと、すでに有名人となっていたそうです。

大学卒業後は、ケンブリッジ大学の支援のもと、ルイスは東アフリカへと派遣され、先史時代のアフリカ人の研究に従事しました。ここで、ルイスは数十もの遺跡の発掘に成功し、出土した人工品を体系的に研究していました。

結婚、そしてカリアンドゥシ先史遺跡の発見

1927年(ルイス24歳)。現在のケニアに位置するエルメンテイタ湖で調査をしていたルイスは、あるとき、湖の近くにあるギャンブル洞窟という遺跡に、2人の女性から招待を受けました。

エルメンテイタ湖
by Valerius Tygart - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0

そのうちの1人が、フリーダ・アバーンという女性だったのですが、この出会いをきっかけにルイスはフリーダと交際を始め、翌1928年(ルイス25歳)、めでたく2人は結婚することとなりました。

それから、ルイスは結婚してもなお、エルメンテイタ湖近くで調査を続けた結果、前期旧石器時代(旧石器時代の最も早い時代区分)の遺跡の発見に成功します(「カリアンドゥシ先史遺跡」と呼ばれています)。

過去に大発見をした教授に対して賭けを行う

1929年(ルイス26歳)、この成果が認められ、ルイスはケンブリッジ大学の大学院研究員として、研究職を得ることになります。

エルメンテイタでの発見を整理するため、ケンブリッジ大学に戻ったルイスは、発見した2体の骨格を洗浄していると、ドイツ人の教授であったハンス・レックオルドヴァイ渓谷(現・タンザニア)で発見したものと類似していることに気付きます。

ハンス・レック教授(wikipedia)

このオルドヴァイ渓谷は、研究者の中では有名なエリアであり、すでにレック教授は、1913年(ルイスが10歳の頃)にそこから骨格を発掘していました。

そして、その骨格が60万年前の人間の物であると主張していましたが、当時は人はそれよりもずっと後に神によって創造されたものというが一般的な認識(キリスト教的価値観)であったために、レックの主張は大衆から全く受け入れられていませんでした。

そんな骨格と類似していたことから、ルイスはベルリンへ行き、この発見に懐疑的になっていたレック教授のもとへと向かいます。
そこで、ルイスは、レック教授がオルドヴァイ渓谷で見つけた遺物コレクションの中に、自身が発掘した前期旧石器時代の打製石器があることを見つけ、

ルイス「ワイやったら、24時間以内にオルドヴァイでこれと同じもんを見つけられるでー!」

と言い放ち、なんと賭けを行うことにしたのです!

この翌年、1930年に、ルイスは27歳で博士号を取得
1931年(ルイス28歳)には、最初の子供プリシラも生まれています。

1931年11月、ルイスはレック教授を含む探検隊をオルドヴァイ渓谷に連れていきました。

オルドヴァイ渓谷
By Mike Krüger - Own work, CC BY-SA 4.0

ルイスは、24時間以内に石器を見つけると賭けていましたが、まさにその通りの結果となり、ルイスは賭けに勝利しました!(勝ち分の10ポンドを要求したといいます)

そして、1913年のレック教授の発見を検証したところ、人間以外の化石と道具が大量に発見されたのです。しかしながら、ケンブリッジ大学に戻ると、そこを支配していた懐疑主義者たちは、この発見に全く感銘を受けませんでした。

なので、ルイスは、このレック教授によるオルドヴァイ人の証拠を発見するため、再びアフリカへ調査に戻ります。そこで、ルイスはまた新たな化石を発見し、この化石人類を「ホモ・カナメンシス」と名付けることにしたのです。(発掘した場所の地名「カナム」にちなんで)

【悲報】最悪のタイミングで不倫する

ところで、フリーダとの結婚生活についてですが、2人はフリーダの相続財産を使って、ケンブリッジ近郊に煉瓦造りの大きな家を購入して、そこで暮らしていました。1932 年 11 月のことです(ルイス29歳)。

フリーダは、この翌年に2人目の子供を妊娠をしたことで、毎日つわりによる吐き気に苦しんでいました。また、ルイスの本のイラストを担当していましたが、体調不良によって描くことができなくなっていました。

こうした背景から、ルイスは友人から20歳の若い絵描きメアリー・ニコルを紹介されることになります。この出会いが運命を変えることになります…。

ルイスは、当時、友人の本のイラストを担当していたメアリーに、自身の本のイラストを描いてもらうよう説得します。これに応じたメアリーですが、あろうことか、2人の関係はロマンスへと発展することになります。
(はあ????????????)

1933 年 12 月、フリーダは息子コリンを出産します(ルイス30歳)。
すると、ルイスは、息子が生まれるやいなや、フリーダに離婚を申し出たのです。(最悪のタイミングや…)

もちろん、フリーダはこれを承諾しませんでした。
また、ケンブリッジ大学も、ルイスのこの行動を問題視し、調査に必要な補助金を取り下げる判断を下しました。

しかしながら、ルイスの母親が資金調達を行ったことで、1935年、ルイスはメアリーとともに、調査のため、アフリカへと渡ることになります(ルイス32歳)。※この年になんやかんやあって、ルイスはケンブリッジ大学を卒業しています。

極貧生活、メアリーと2度目の結婚

ルイスは、レック教授が歴史的な発見をしたオルドヴァイ渓谷まで、メアリーとともに向かいました。メアリーは当初批判的な目で見られていましたが、メリー自身の技術と能力によって、次第に他の参加者からも認められる存在となりました。

ルイスの調査チームは、オルドヴァイ周辺で多くの採掘場所を発見し、将来の発掘の基礎を作りました。ですが、調査を終え、イングランドに戻ると、2人は職もなければ、メアリーの母親のアパート以外に住む場所がないといった状況に陥っていました。すぐさまコテージを借りますが、電気も暖房もなく、ルイスは井戸から水を汲み、庭に野菜を植えて飢えをしのぐといった生活を余儀なくされました。(これは、自業自得かもしれませんが…)

ただ、この極貧生活が18か月にも及んだので、ルイスはこの状況をロンドン王立協会に訴え続けた結果、協会もついには折れ、収集物を研究するためのわずかな助成金を支給してもらえるようにはなりました。

そして、ちょうどその頃、フリーダが離婚に同意をし、ルイスとメアリーはクリスマスに結婚することとなりました。ルイス33歳のことでした。

メアリー・リーキー(旧名:メアリー・ニコル)
(wikipedia)

おわりに

ルイス・リーキー』の生涯、前編はこれにて終了です!
後編は、また後日、公開をさせていただきます。

正直、ゲス不倫してしまったことは、偉人でも褒められたものではありませんが、おそらくは、日々無機質なものと向き合う時間が多かったことから、ルイス・リーキーは、自分のことを気にかけてくれる、また語りかけてくれる女性には反射的に好きになってしまう傾向があったのかもしれません。なので、この挙動は、人と向き合う仕事ではない反動なのかもしれないな、と書いていて感じました。

他にも、歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!

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