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022:ヒデとの別れ。その狭間で|クレイジーで行こう!第2章

5月、ヒデがミーティング中に飛び込んできた

フラクタのCOOであるヒデ。この「クレイジーで行こう!第2章」では何度も登場し、僕も絶大なる信頼を寄せている。彼はロスアンジェルスに家族を残し、単身赴任でフラクタのオフィスがあるシリコンバレーに来ていた。

ことの発端は、5月にさかのぼる。土曜日だっただろうか。オフィスにはスタッフが少なかったことを覚えている。

僕がミーティングをしていると、ヒデがいきなり会議室に血相を変えて飛び込んできたのだ。ヒデはいつもおだやかで、そんなにも慌てる様子を見るのは初めてだった。

「うちの妻が倒れたと連絡がありました!」

ヒデは不安な表情でそう言ったのだ。彼は山ほどの仕事を抱えているが「すぐに帰った方がいい」と告げた。飛行機なら1時間ほどで帰れるが、チケットを取る時間などを考え、車で6時間の道のりを帰宅した。

ヒデの奥さんは救急車で運ばれたが、命に別状はなかったという。ところが、病名や原因がわからないというのだ。それからは体調も若干不安定だったようだが、ヒデは翌週からまた会社に戻っていつも通り働いていた。

3か月後、再びロスアンジェルスへ

ヒデはCOOなので業務を大量に受け持っている。土日も仕事をする人だから、2~3ヵ月の間、ロスアンジェルスに帰ることはなかった。コロナもあって移動がままならなかったのも理由のひとつだろう。

すると再び、奥さんが倒れたという。心配だからとまた車を飛ばして、家族のもとへ帰っていった。

それが、フラクタに心身を傾けるヒデの表情を見た最後だったのかもしれない。翌週戻ってきた彼は、全く別の表情をしていた。

僕は毎朝テンションが高い。そのままのテンションで「どうしたんだ? 何かあったんじゃないの?」と肩を叩くも、全く反応がない。いつものように一緒にコーヒーを飲みに行って話をすると、状況を説明してくれた。

「妻が倒れたじゃないですか。状況がよくないんです。検査をしても詳細がわからず、日本で検査をして、そのまま治療する必要があるかもしれない。日本に行くことはまだ決まったわけではないのですが、いつ倒れるかわからない状況で……。妻には『近くにいてほしい』と言われて……」

まさに青天の霹靂だった。まさか、ヒデがフラクタを辞める??

アメリカの解雇や転職が、日本のそれよりスピーディでドライだということは、このnoteに何度か書いてきた。ここアメリカで、期待値と違ったり、マッチしない人たちを解雇するのにもある程度慣れてきたつもりだった。

ところが、ヒデはこれまでの経歴を見ても、5年くらいは共に働いていけるだろうと踏んでいた。僕もそうだし、彼もそう思っていただろう。

僕も残ってほしいし、彼も仕事だけを見れば残りたい。でも、別の事情で僕たちは離れなくてはならなくなった。

会社を去り、家族のもとへ

不思議なもんだと思った。僕は今のヒデのような表情を、過去にも見たことがある。『クレイジーで行こう!』(日経BP社)の読者は、ヨネのことを覚えているかもしれない。

エンジニアだったヨネは、実家のある熊本で震災が起きてから、家族のことをずっと心配していた。帰国したタイミングで実家を訪れると、ご両親に「日本に帰ってきてほしい」と言われるのだ。

それからの、ヨネの青白い生気のない顔。悲壮感と言うより、切迫感みたいなもの。僕は人の想いに共感するたちだから、何も言えなくなってしまった。

僕も似たような経験がある。早稲田大学の3年の時に母のがんが見つかり、その時点で長くは生きられないと余命宣告を受けた。それを聞いた僕は、迷うことなく、母のそばにいることを決めたのだ。

専攻していた物理学は僕のひとつの夢で、若い頃は、理論物理学者になりたいと思っていた。でも、母と姉との時間が比較対象になるはずもなく、休学云々を考える時間すら無駄に思えて、半年ほどまったく大学へは行かなかった。

ヒデもきっと、似たような気持ちなのだろう。「どちらが大事なんだ?」と選択肢を目の前に突き付けられ、初めて気が付けるものがあるのだ。

大学ならそれほど迷惑をかける人はいないかもしれないが、ヒデは仕事への影響をすごく心配してくれていた。

切り替えの早いアメリカ文化

ヒデとの別れを思って悲しみに暮れてばかりはいられない。これからのフラクタを立て直さなくてはならないのだ。ヒデの職務範囲はとても広く、一筋縄ではいかないだろう。引き継げるのは誰か……。

製品開発のトップとして6月にジョインしたメンバーに、前回の記事でも紹介した、トムがいた。2年前に採用をギリギリまで検討した人物で、スタンフォード大学で機械工学を専攻し、学部と修士で計6年在籍。その後、2年でMBAを取得している。

いわゆる「エリート」なのだが、彼はオタク気質で頭の回転が速く、人間性がとてもいい。

トムしかいないと思った。「話があるからランチを食べに行かないか」と、トムを誘った。

「ヒデの話はどこまで聞いている?」

「家族の件で帰ったんだよね?」

「そう、実は奥さんの状態がよくなくて、日本に帰る必要があるかもしれない。もし帰国しないとしても、ロスアンジェルスで奥さんのそばにいてあげたいと言う。だから、ここへはもう戻れないかも知れないんだ」

それを聞いたトムは、いつものように早口でまくし立てる。

「家族が一番なんだから、しかたない。ヒデにとってはファミリーファースト。僕たちはこれから、カンパニーファストで考え、会社の利益をどう守るか考えなくてはいけないね」

僕は、トムの切り替えの早さに驚いた。「そ、そうか……!」と納得するとともに、そこまで割り切れない思いもあった。それでも、前を向かなくてはいけない。

「後継となるCOOを外から雇うより、内部を知っているトムの方がスムーズだと思う。引き継いでくれないだろうか」

その言葉を聞いて、彼の目つきが変わったような気がした。

「わかった。僕がやる。なんとかするよ」

日本人のようにきっぷがいいと思うとともに、目的に向かってまっすぐ進むのはアメリカ人らしいとも思えた。感情よりも、勝てる戦法、やるべきことに集中する。

「この部分は僕が引き継ぐが、こっちは加藤さんにサポートしてもらう。他に、この部分はあのメンバーに……」

そんな風に、トムはあっという間に引継ぎ先を振り分けてしまった。「その方向で、明日、ヒデに話してみよう」と言う。その姿を見ると、これからのフラクタはしっかりと進んでいけそうだと思えた。

ヒデが抜けることは、フラクタにとっては大きな損失だ。だが、これを機に、フラクタにはある種のレジリエンシー(復元力)が備わっていることがわかった。これは本当に大きな価値だ。

アメリカでは、転職先が決まったとたん、勤務している会社にレターを出し、2週間で退職する。そしてそのまま、次の会社へ入社するのだ。変化に対するタフさが国民性として備わっているのだろう。

僕ももともと切り替えが早い方だし、アメリカでずいぶん鍛えられてきたつもりだったが、トムがリードしたレジリエンシーには感服した。

ヒデに最大限のリスペクトを

それでも、僕の気持ちはそれほどすっぱりとはいかない。CFOのカオルとヒデに次のように漏らした。

「ヒデがいなくなることは、今も想像できない。とても不思議な気持ちだ。でも、フラクタは強いレジリエンシーを持っていた。これは喜ぶべきことなんだけど、あまりにもあっさりしていて、悲しい気持ちも拭えないんだ。そんなにいろいろなものをぱっと切り替えられない」

そんな気持ちを抱えたまま、ヒデには退職金も含めた寛大なパッケージを用意した。彼がフラクタに貢献したことはとても大きいからだ。

そして、全社員に向けて、久しぶりに長いメールをしたためた。ヒデが勇退することや、トムがCOOになること。ヒデに無限大のリスペクトを示し、ヒデを送り出したのだった。


家族の事情で辞めることになったヒデ。家族の話になると、ヨネのことや、母のことを思い出す。人生には譲れない大切なものがあって、それを守るために、進む道を大きく変えなくてはならないことがあるのだ。

一方で、感情を排して間髪入れずに経営を立て直したトムの行動は、アメリカン・カルチャーそのもの。これは僕が作った文化というより、アメリカ人を雇用していることによるものだろう。

これからは、ヒデのいない中で、新しいフラクタを作っていくことになるが、それは、ある種日常の風景でもある。そんなことよりも、僕はヒデとヒデのご家族の健康と幸せを、今日も心から祈りたい。

(記事終わり)

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