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024:社会益のために行動するナイキ|クレイジーで行こう!第2章

Facebookの投稿を見てキャリアチェンジを決める

2019年の6月末、僕は自分のFacebookで、次のように始まる文章を投稿した。

「フラクタでは、日本事業の責任者、一騎当千の志士を募集します。今まで、日本事業の責任者がいたのですが、イギリス事業の開始に伴い、その人がロンドン勤務になってしまったので、ポジションが空きました!以下が会社が作った募集要項のようですが、実際には、「燃えるような情熱」があれば、どの要件も必要ではありません。お近くに心当たりがあれば、是非ご紹介お願いします!」

その後に「職務内容」や「求められる資質」「能力」「経験」など、かなり高い要求の募集を記載した。ただ、僕の気持ちは書いた通りで、燃えるような情熱があればそれでいい、本当にそう思っていた。

そのたった数時間後に、「自分でよかったら」と連絡をくれたのが、ナイキ(樋口宣人さん)だ。あとで聞いたことだが、彼は当時3つの責任ある仕事を持っていが、すべてを手放してフラクタに参画することを決意してくれたのだ。

ナイキは現在、フラクタの日本事業の責任者を務めている。彼との出会いは、5年前の偶然にさかのぼる。

アメリカへ出発する直前、タクシーの中で語り合う

2015年の3月、僕は表参道のある店で、気心の知れた仲間と仕事の打ち上げをしていた。ベンチャーキャピタリストの村口和孝さんが途中からいらしてくださり、その村口さんが連れてきてくれたのが樋口さんだった。後に彼のことを「ナイキ」というニックネームで呼ぶことになるが、それはずいぶん後のことだ。

村口さんは独立型ベンチャーキャピタルの先駆けとなった方で、ベンチャー投資の業界ではレジェンド。ナイキはその日ちょうど、村口さんが会長を務める会社の代表取締役に就任したのだった。その日は就任式のあと、会食をしていたという。偶然なのか必然なのか、そんな風に僕とナイキを引き合わせてくれた。

話を聞くと、ナイキと僕の経歴は、重なる部分が多かった。僕はヒト型ロボットベンチャーSCHAFT(シャフト)をGoogleに売却し、次のステップに進もうとしているとき。ちょうど渡米する直前だったと思う。ナイキはケンコーコムの創業メンバーとして事業を大きくして、楽天に売却していた。さらに、次の会社で新たなステージへ進もうとしていたのだ。

村口さんとナイキと僕は自宅が近く、同じタクシーで帰宅することになった。「3人でビジネスをしたら面白いに違いない!」と、熱く語っていたのを覚えている。

社会益を追求する姿勢

その後、僕は日本とアメリカを行ったり来たりの生活となるが、ナイキとは村口さん経由で引き続き接点があった。村口さんが慶応ビジネススクール(KBS)で講師をしており、そのゲストとして何度か呼ばれていたからだ。そこにナイキもゲストとして登壇しており、学生と一緒によく打ち上げに参加した。

ナイキが学生に話していたなかで、こんなエピソードがあった。

彼は、ケンコーコムにいたときに大きな訴訟を起こしている。医薬品をインターネットで販売するために、厚生労働省を相手取り「医薬品ネット販売の一律禁止」という省令が薬事法上違法・無効であると主張したのだ。

その間、ケンコーコムは「インターネットで医薬品を売るのは危険だ」と、業界内で大バッシングを受ける。それに対して応戦してくれるIT企業やベンチャーもあったものの、基本的には反対勢力ばかり。最終的に最高裁で逆転勝訴することになるが、期間にして足掛け10年、裁判がスタートしてから5年という長い取り組みだった。

ところが、裁判で勝訴したあと、それまで猛反対していたはずの企業やドラッグストアが一斉にネット販売をスタートしたのだ。先陣を切り、リスクを背負って突き進んでも、利益はみんなのものとして世の中に広く渡っていく。その前から彼らは、そうなることをある程度予測していた。でも、自分たちのために裁判をするのではない、社会益のために戦うのだと、あるときから腹をくくっていたというのだ。

「樋口さんのその考え方はすごくいい。ベンチャーなら、そうあるべきです」と僕は強く共感した。自分たちの利益のためだけでなく、社会のために身を粉にしても働く。ナイキも僕も、そういった社会益を目指す志向が似ているし、長い年月を持って行動で示してきたところもよく似ていた。

未来の若者のためにできることを

ナイキとは、ときどき「こういう人を探している」と採用の相談をしたり、「最近どうしていますか」と連絡を取り合ったりする仲になっていた。彼が仕事で西海岸に来たときはサンノゼまで遊びに来てくれて、ラースさんも一緒に3人で会ったこともあった。

急展開を見せたのは、僕が冒頭の求人をFacebookに投稿したときだ。ナイキは、朝の通勤中にその投稿を見たあと、電車を降りてすぐに僕にメッセージをくれたのだという。その間、おそらく30分ほどだろう。

ただの転職ではない。当時、ベンチャー企業の常勤監査役と、もう1社のベンチャー企業のアドバイザーも務めていた。さらに、数か月後から慶応大学で特任講師を担うことが決まっていたという。「先方には申し訳ないが、その3つを辞める」と、30分の間に決めてしまったというのだ。

ベンチャーを立ち上げた経験があり、前職は天然水の輸入販売をする会社だったため、水道事業との親和性も高い。また、彼はスタンフォードの留学時代に確率を中心とした数学を専門に学んでおり、AI事業においても理解があるだろう。こんなにフィットする人もいないと、僕はメッセージを見てすぐに「樋口さんなら任せられる」と、お願いすることに決めていた。

日本での人事を任せているヒロからの印象もよく、7月には、フラクタ東京の事業責任者に就任してもらうことが決まった。

ナイキがフラクタに入社してから、CTOの吉川君が辞め、日本でも事業の方向転換をするなど、会社として大きな転換期となったが、そこはベンチャーであらゆる難局を乗り越えてきたナイキだ。悲観的になることなく「ベンチャーにはこういうことがあるよ」と、2人でポジティブに捉えていた。

彼とゆっくり話すのは、僕が日本を訪れるときが多いだろうか。あるとき、次のように話してくれた。

「水道局や自治体に対して30年、50年後の将来を見据えて話していくと、自分自身も未来に対する理解や理想が深まっていきますね。僕たちは、次世代のために活動しているんだと実感できるんです。『このままでは、地方自治体は人口が減り、インフラが重荷になって借金が増えていくばかりだ。若者のために、財務体質を改善して魅力的な街にしていかなくてはいけない』そんな風に話していくと、ほんの数パーセントですが、心から共感して、話に乗ってきてくれる人がいる。僕はその瞬間がすごく嬉しいんですよ」

響く世代は、40~50代。彼らは、次の若い世代にたくさんのものを背負わせることに後悔の念があるという。さまざまな地方を回って、そんな想いを持っている人とつながれることに、大きな希望を感じざるを得ない。ナイキは、足を使って大切なことを広めようとしているのだ。

(記事終わり)

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