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何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史(3/3話:独立&起業&コーチング+恋愛編)

今回の記事は自分史として3部作構成になっております。
非常に長い文章ですが、よかったら前編からお読みくださいませ。


いろいろな生成AIを使ってここまでを要約


ちなみに最近いろいろな生成AIがちょっとのお金で
自由に使えるようになったので皆さんに前編と中編を
要約していただきました。
プロンプトは非常にシンプル。
URLを読み込んでもらって要約をお願いする。
これがそのプロンプトです。

以下2つのURLの物語の内容を要約してください
1話目
https://note.com/takarki/n/n28639beb7722
2話目
https://note.com/takarki/n/n60bc27179be6

では、どのような要約になるか?
それぞれの要約をみていくことにしましょう。
まずはかの有名なGPT-4o先生です!

1話目の要約: 何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史(1/3話:ただのヘタレ編)

Takaaki Oku氏は、自身の人生を振り返り、幼少期からのエピソードを詳述しています。彼は1974年12月25日に生まれ、幼少期は千葉と大阪のハーフとして育ちます。彼の幼少期は、田舎でのびのびと過ごし、後に東京の文京区湯島へ引っ越します。

幼少期の彼は非常にひ弱で、偏食と少食のためにガリガリで、周りの大人から心配される存在でした。また、虫歯が多く、父親の歯科医としての冗談で金歯を入れられ、「18金」というあだ名がつきました。彼は関西弁と関東弁が混ざった話し方をしており、そのためにどちらの地域でも「キモい」と言われることがありました。

小学校時代は宿題をやらないことで有名で、3年生の時にある先生との出会いで少し改善されましたが、結局4年生になるとまた宿題をやらなくなります。5年生から受験勉強を始めるものの、特に理由はなく、友達がみんな受験組だったからという動機でした。



2話目の要約: 何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史(2/3話:社会人になってクズから1回抜けたかな?編)

2話目では、Takaaki Oku氏の社会人としての経験が語られています。彼は一度社会人になり、クズから抜け出したように感じた時期がありました。しかし、再び頑張りきれないクズに戻ってしまうこともありました。

彼は社会人として働き始め、自分のスキルや能力を磨く努力をしましたが、途中で挫折することもありました。しかし、最近になって再び自己変革の兆しを見せ始めています。彼は、人生の浮き沈みを通じて、自分のクズさと向き合い、改善しようとする努力を続けています。

この物語は、彼がどのようにして一旦クズから抜け出し、再びクズに戻り、そして再度自己変革を目指しているかを描いています。彼の人生のゆらぎとそれに対する自己認識がテーマとなっています。

GTP-4o要約

割と無難な内容ですが、ちゃんと要約されております。
さすが!

次がGoogleのGemini-1.5-Proさんです

【奥 隆朗氏の自分史 1話目&2話目 要約】

あらすじ

「何もやりきれなかったクズ」を自称する奥氏が、自身の半生を振り返りながら自己変革を目指す物語です。

1話目:ただのヘタレ編幼少期から青年期にかけて、怠惰で流動的な日々を送る。
周囲の人との出会いを通して、自己の内面と向き合い始める。
年齢にとらわれず、「人のために役立つ存在になりたい」という目標を持つ。


2話目:社会人になってクズから1回抜けたかな?編出版社に就職し、7歳年上の副編集長と出会う。
副編集長を師匠と仰ぎ、彼の副業を手伝う形で編集の仕事を始める。
仕事量は膨大でストレスフルな日々を送るが、給与は大幅にアップする。
師匠の厳しい指導と罵倒に耐えながら、編集者としての経験を積む。
仕事への責任感と引き換えに、プライベートは荒れ、恋人とも別れる。
師匠の会社で働き始めて4年半、自身の成長を感じ始め、独立を決意する。


2話目までの見どころヘタレな自分を自虐的に語りながらも、成長しようともがく姿が描かれている。
師匠との出会いと、その後の壮絶な修行の日々を通して、著者がどのように成長していくのかが見どころ。

3話目以降で、著者がどのように「クズ」から脱却していくのか、その過程が描かれると予想されます。

Gemini-1.5-Pro

なんと予想までを盛り込む姿勢!素晴らしい!

次にソフトバンクとの提携によって
ソフトバンクユーザーは1年無料でできるようになった
Perplexity Proさん

1話目: 何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史(1/3話:ただのヘタレ編)

この物語は、著者の奥 隆朗氏が自身の半生を振り返り、自己変革の過程を描いた自伝的エッセイの第一部です。以下はその要約です。
幼少期から青年期
著者は幼少期から「ヘタレでクズ野郎」と自嘲するような生活を送っていました。
勉強は苦手で、特に文系科目が不得意でした。理系科目では一時的に良い成績を取ることもありましたが、持続的な努力はできませんでした。
高校時代にはファッションに興味を持ち、原宿や渋谷で洋服を買い、ファッション雑誌のスナップショットに載ることを目指しましたが、成功しませんでした。部活動も長続きせず、サッカー部やテニス部に入るも、すぐに辞めてしまいました。
大学受験と浪人生活
大学受験では失敗し、浪人生活を送ることになります。浪人中も勉強に集中できず、友人と遊ぶ日々が続きました。二浪目には全寮制の予備校に入るも、勉強に対するモチベーションは低く、結局東京電機大学に入学しました。
大学生活
大学では仮面浪人を試みるも、勉強が続かず失敗。バイトに精を出し、イベントスタッフや編集アシスタントとして働きました。ファッションや合コンに時間を費やし、学業はおろそかになりました。
自己変革の兆し
自身の怠惰な生活を振り返り、変わりたいという思いが芽生え始めます。
50歳を迎えるにあたり、アンチエイジングやコーチングに興味を持ち、人のために役立つ存在になりたいと考えるようになりました。

2話目: 何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史(2/3話:社会人になってクズから1回抜けたかな?編)

この物語の第二部では、著者が社会人としての経験を通じて自己変革を試みる様子が描かれています。以下はその要約です。
社会人初期
出版社で編集アシスタントとして働き始め、師匠となる副編集長との出会いが大きな転機となります。師匠の厳しい指導のもと、仕事に対する姿勢が変わり、次第に責任感が芽生えます。しかし、過労とストレスで体調を崩し、便秘に悩まされるようになります。

転職と新たな挑戦
出版業界の将来に不安を感じ、Webメディア企業に転職します。
新しい職場では企画営業や事業開発など多岐にわたる業務を経験し、スキルを磨いていきます。仕事を通じて自己の特性や強みを再認識し、リサーチやテクノロジーに関する示唆出しが得意であることに気づきます。

自己変革の進展
取締役のUさんからの提案で、R&Dセンターの立ち上げメンバーとして新たなミッションを任されます。この経験を通じて、自己変革の重要性を再認識し、より積極的に自分のキャリアを切り開いていく決意を固めます。
このように、著者は社会人としての経験を通じて自己変革を試み、徐々に成長していく様子が描かれています。

Perplexity Pro

めちゃめちゃ丁寧にまとまっている!
すばらしい!
1話目の自己変革の兆し
まるで50歳まで変わりたいと思ってこなかった人生っぽいですけどね
しかも関連する質問も即座にでてくるのもまたいいですね!

そして、最後は天才との声も名高い
Claude-3-Opusさんです!どうぞ!

はい、1話目と2話目の内容を簡潔に要約いたします。

1話目:
著者の奥隆朗さんは1974年12月25日生まれの現在49歳。幼少期は少し女性的な容姿で、ひ弱な子供だった。
小学校低学年の頃は虫歯だらけで「18金」というあだ名がついた。東京と大阪を行き来する生活で、言葉の違いに悩んだ。
宿題をやらない問題児だったが、3年生の担任教師との出会いで少し変わるきっかけに。
5年生から友人につられて受験勉強を始めるが、算数だけが得意で国語は苦手。結局私立中学に1校だけ合格するが、通学が嫌で進学しなかった。

2話目:
公立中学に進学し、家の引っ越しもあり環境が一変。父親の金銭的援助を期待したが満たされず、不良グループと交流を持つ。
高校受験では成績が足りず、第一志望に不合格。頼みの綱だった実家も父の他界で頼れなくなる。
予備校に通いながら勉強し、日大経済学部二部に入学。
大学では遊びほうけて、留年しそうになるが、サークルの先輩に励まされ、何とか卒業。就職先が決まらず、焦りと自己嫌悪に陥る。
コネで三和銀行(現:SMBC)に潜り込むが、営業成績が芳しくなく、上司にも嫌われ、うつ病になる。
実家に帰省中、母に愚痴をこぼすが、母は寝たきりになっていた。それがきっかけで、自分を変えようと決意する。

全体を通して、著者は自分をクズだと評しつつ、環境の変化や周囲の人々との関わりの中で、少しずつ自己を見つめ直し、変わっていこうとする過程が描かれています。

Claude-3-Opus

おーい!
おーい!
どうした!

太字部分はどうやらハルシネーション(AIが見る幻覚)が発生している模様です!

なんか、すんごいドラマチックで不幸なストーリーに仕上がってますね。
頼みの綱だった実家も父の他界
とか
母は寝たきりになっていた
とか
両親とも健在ですから!

さらには
日大経済学部二部や、コネで三和銀行(現:SMBC)に潜り込む
はどこから出てきたのかわからない状態です。
ただ、こうした間違いが起きるのもなんか楽しいですねー!

さて、皆様には前編までの要約が伝わりましたでしょうか。
長かったのですがここからが本編になります!

あの日本を揺るがす出来事でまたも先が見えなくなる

改めて本編に参りましょう!
2011年2月末をもちまして、ディップを退社させていただくことを決めたのは、2010年の12月の頭。
そこからはパワープレイでいただいた有り余る2ヶ月半の有給を使って一人旅をしたり、お世話になった方、過去のクライアント周りをさせてたいだいて、多くの企業で次年度が始まる4月スタートのお仕事をいくつか確保して、退職日までに備えました。

4月スタートのお仕事は起業で必要となるエンジニアに支払うための資金及び、自身の生活のための運転資金の目処が立って、なかなかいいスタートが切れそう!とちょっと浮かれていました。

起業のアイデアは、自己の困った体験であるペットの夜間診療に纏わる負の解消。
そこで多くのお金を払った経験があるので、それを払拭しよう!というもの。

2月末で退職し、3月から緩やかに稼働しつつ事業を進めていると。。。
あの日本を揺るがす大きな出来事が起きたのです。
2011年3月11日に起きた東日本大震災です。
当日はディップの方とランチMTGをしたあとに
当時の泉ガーデン下の喫茶店で仕事をしていたところ
大きな揺れがあり、慌てて外にでました。
泉ガーデンを下から見上げていたら、ビルがものすごくうねっていて・・・
このままビルが倒壊して亡くなるのかな?そんな思いもよぎりました。
そして、その日以降の日本の状態は・・・・
2024年時点で日本にお住まいの18歳以上の皆様でしたらご存知のとおりです。

ビジネスの話に戻すと、4月からの開始が決まっていた
いくつかのクライアントからはプロジェクト中止のお知らせいただき
自分のやりたい事業をVCなどに提案するという機会もなくなってしまい
完全に無色!いや、無職となってしまったのです。

そこからですが何かしら動いていないとただただ落ち込むだけ。
なので、自分でITプロダクトを作れる可能性を広げたいと
プログラミングスクールに通ってみました。

しかし、コードを記憶する能力が著しく低いこと
機械にダメ出しをされてしまうことに対して
ものすごくイライラする体質の自分は
プログラマーに向いてないと挫折。

俺はなんでもやってやる!とふんふんと鼻息荒くして通い始めて
半年間学校に通い通すことはしたものの
残念ながら得られるものは殆どありませんでした。

その後、世情は立ち直らなくてはならないという時期になったこともあり
ベンチャーキャピタルなども投資活動に動き出します。
そこを回ってみたりすれど・・・
企画書の内容があまい!まずはプロダクトが先!と言われて打ち砕かれるわけです

そのストレス発散(でた!クズ発想!)
+世間的なトレンドの消費活動を崩さない!を実践!
毎日貯金を使って飲み歩く(ここもクズ)
とにかく可能性を広げる?ためにいろいろな人と知り合う
などを実施してきました

あと、渋谷のハローワークの直ぐ側に住んでいたのですが
初めて身近で遠い場所のハローワークにいって
失業保険をいただきました。
すごく負のオーラを感じて、ここは出入りしては行けない場所だ!
と感じたことはいまでもしっかりと記憶に残っています。

そしてやっぱり仕事をしておらず、収入もほとんどない状態というのは
精神衛生上ものすごく良くない!
異様に体が疲れたり、急に心拍数が150を超えるといった
自律神経がおかしい状態に陥るなど
なかなか香ばしい状況を引き起こすことも実感しました

その当時飼っていた二匹のボストンテリア
オリーブとココナッツが毎日そばにいてくれたこと
二匹のお陰で必ず毎日散歩に出かけて外の空気を吸う週間があったこと
そしてディップのSさんを含むお友達が
無職の私と遊んでくれた!
そこには本当にすくわれました!

常にそばにいてくれたココナッツとオリーブ

起業を目指す無職のおっさんを諦らめ、業務委託で後ろ指さされおじさんへ

無職(一応、学んだ形跡があるのでニートではなかった)が1年ほど続き
もういい加減貯金も尽きてしまう!(残り2ヶ月くらい)
これは働かなくては!となったときに・・・
業務委託のパートナーを探している企業があると
ディップ社でいっとき元上司として親しくさせていただき
エグゼクティブ向けエージェント事業をやられているSさんにに声をかけていただきました

ただ、その企業はディップ社で自分が手掛けたサービスの競合サービスを行っている企業でした。
うーん。道義的によいものか?など結構色々と悩みます。
とはいえ、薦めてくれたSさんはディップ社の元上司です。
1年経ってるし、「ま、いいや!やってみるか!」(悩むけど軽い)
面談させていただき、結果ジョインさせていただくことになりました。

このような流れから起業を目指す無職のおっさん(イタイ)あらため業務委託おじさんとなり、
医療従事者の転職斡旋事業のサイト改善プロジェクトを担当させていただくことになります

フルコミットで入ったことや集客施策をこれから伸ばす投資の時期だったので
SEOの強化やサイト周りの導線改善
プロモーション周りのお手伝い
集客を目的としたキャンペーンの実施
ここでも遊撃手的にR&D的な取り組みなど
様々なことをやらさせていただき、成功と失敗を繰り返しつつ
徐々に集客を拡大するお手伝いをしていきました。

そして2013年あたりからテレビCMなどのプロモーションを
実施するようになり、本格的な集客拡大を目指していきました。

ただ、これまではそこのサービスの存在感が小さかったので
私が絡んでいることがバレませんでしたが
手掛けさせていただいたサービスの競合になりうるものとして
大手資本の子会社が力を入れ始めたこと
そこに奥が手をかしていると噂されるようになります
いえ、まったく噂ではなく、嘘偽りのない正しい話です

そのサービスがテレビCMサービスなどで攻勢をかけてきたわけです。
前職の方々は、当然いい思いはしませんよね。
噂は尾ひれ背びれがついて流れて
「金に買われた」とか「見損なった」など
いろいろな悪い評価が人を介して伝わってくるようになりました。
(なぜ僕に直接こないのかは謎でしたが)

面と向かって言われたら凹む可能性が高かったのですが
直接自分の元に届かないのをいいことに、ただのノイズと捉えて
その後も全力でクライアントの集客をお手伝いさせていただきました

エフィカシー高く進んだらアプリ100万DLを達成

前職のR&D担当と同じくいろいろと新しい試みを提案するポジションとして
職務をこなしていると、新サービスの立ち上げのPdMになってほしいとお声がかかります
既存事業では、転職を目指す看護師をターゲットとしていますが、その前段階である、看護学生を囲い込む戦略です。

当初は病院で看護師が不足している地域に
新卒紹介サービスをやっていることを認知してもらい
徐々に拡大をしていくという戦術が取られました。
ただ、それだと人海戦術になるので人的コストが大きいのと展開スピードに大きな課題があると感じました。

そこで私が提案したのが上記と同時アプリを使って看護学生の日常に入り込むこと
日常的にサービスを利用していただき、ブランドを認知してもらうことで
3年目に訪れる最初の転職時の際に利用してもらうという長期の戦術も同時に取り入れるものでした。

その考えが浮かんだ理由は
看護学生の日常に入り込むための最も速い手段はなにか?という考え方でした。
看護学生に特化した時間割アプリ?
看護学生に特化した学習支援アプリ?
ちがう・・・それは利用しない人も多いし、導入まで時間がかかる。
とにかく、インストールしてもらいたい。
そこで考えたときに見えたのが
看護師になるために絶対必要な国家試験の存在でした。

で、国家試験対策アプリを調べた所、どれもこれも有料アプリでそこそこ高い
これを無料で提供できればチャンスはある。
自分の頭の中で勝機が見えました。

となると、今度はどうやってアプリをつくって、低価格でコンテンツを調達するかを考えます。
アプリは教育系のクイズ形式アプリで自分の進捗管理ができるもの
軽く見積もってもらうと、1千万円台後半という結構お高い金額がでてきました。
これは提案しても通らなそうだなーと悩んでいると
そんなときに前職の上司のKさんと飲んでいると
「あら、知り合いのエンジニアのSさんが昔やりたいといってやって
 あまり売れなかったといったものがあるって聞いたわよ」

の一言。まさかの天からの声。
すぐにSさんに連絡して事情を話します。
すると、カスタマイズ提供は全然OKで、カスタマイズに要する費用+運用費でやってくれるということに!
これぞ神対応!という感じでした。

次にコンテンツですが、まともに数年分の過去問回答集など作っていたら
こちらも数千万円クラスの費用果てしない時間がかかってしまう。
となると既存の看護師国家試験対策の書籍を出している企業からの購入になります。
ただ、その企業もコンテンツ販売で商売しています。
こちらがコンテンツ費用を払うといっても、数百万では収支があいません。

そこでの看護師国家試験対策でメインストリームでない企業
および上記のコンテンツ販売の比率が小さそうな企業数社にアプローチ。
そして、先方のビジネスを侵害せずに、組める方法を提案しました。
具体的には、過去問+正解および簡易的な正解理由のみを提供いただくものです。
通常の過去問は、上記に加えて詳細解説や不正解選択肢の理由などが乗っていますが、そこに関してみたければ、その書籍の購入を促すアライアンス形態にしました。

この結果、開発費およびコンテンツ調達費、それに対する費用対効果が優れていることを提案したことによって、クライアントからは長期的な戦術についても受理いただくことになりました。

実際の成果については、無料で国家試験対策ができるのは嬉しい!と口コミが一気に拡大
1年目でほぼ広告費なしで1.5万人のDLに成功しました。
当時の看護学生の卒業人数が5万人強だったので
1人1デバイスで換算すれば30%へのアプローチ

それが広告費をかけずにできたことはなかなか役に立つアプリができたとの認識でした。
そして2年目からはSEOと口コミもうまくいって
ターゲットの学生の7割程度が使うサービスを作ることができました。
ただ、そのまた翌年には最大手企業にパクられましたが。

その後も、現役の看護師さんにアプローチする横展開の許可をいただき
同じ出版社とのアライアンスで看護師向けの医療辞典や疾患別学習アプリをリリース。
シリーズ累計で100万DLされるサービスになることができました。
百数十万人しか母数がないので、なかなかよい成果だと捉えています。

ちなみにこの展開をしている最中に最も困ったのが
データが出版用のDTPデータしかなく構造化できていないことでした。
それを私一人+テキストエディタ+エクセルを弄り倒してせっせこHTMLなどにコンバート(いまなら生成AIがやってくれる!)

それをエンジニアさんに渡して、アプリに仕上げてもらう作業を10数アプリ手掛けました。
地下牢の作業場のような作業と例えておりましたが、思い出すといい経験ですね。

懐かしいアプリのスクショ

振り返ればその会社でつくった最初のアプリは
予算消化で作らせていただいたものですが
本当に泣かず飛ばずだったり
企画が滑ったりとか様々なことがありました。

それでも一人の業務委託のパートナーに
いろいろと任せていただくことができて本当にありがたかったです。
いまでも100万DLのアプリをみんなで作って達成したときは、絶対いけるというエフィカシーが高い状態
言い換えると「やったことがないことを達成できるマインド」があった領域だといえます。

自身のサービス開発の夢を捨てきれず、再び起業を考えるが。。。

業務委託での仕事についてからも
やはり自分でサービスを作りたいという気持ちから逃れられず
いくつかの起業プログラムに通うなどをして
ピッチコンテストなどにも参加いたしました。

当初考えていたのはペット事業でしたが
一方で万人受けしそうなものとして考えていたのが
アンチエイジングを実現するための
サプリメント・薬に関する飲むときリマインダー
+結果共有による口コミサービスでした。

自分自身がアンチエイジングに強く興味があり
かついろいろなサプリメントをためすものの
ほとんどが飲み忘れたり、効果を実感できないまま終わるので
その効果が正しく出るように支援し、日々効果ででているのかの差分を
振り替えって、レビューとして集積されることで正しい情報をあつめようと考えました。

ただ、いろいろなところでマネタイズ力が弱いと指摘を受けて自分でもその指摘に同感してしまったこと
サプリで本当に効果がでるのか?と自身でも疑問を持ってたところ
そこに対するユーザーインタビューのリアリティを持たなかったことなどの要素が重なって道半ばで諦めてしまいました。
ここで得た反省は、本当にやりたいなら調べ尽くせ!ということですね。

そして、もう一つの事業アイデアは先にも少し触れましたが
自分が負を感じた実体験をベースに考えたペット事業でした。

実は僕の無職の精神状態を支えてくれたかわいいボストンテリアの
ココナッツとオリーブですが、ココナッツは先天的に体が弱い体質でした。
生後3ヶ月のある日のこと、夜中にココナッツが過呼吸のような発作を起こします。
私は初めての体験で大慌て。

まだ、かかりつけ手の獣医もいない状態だったので
とりあえず、急いで夜中もやっている救急病院を探して電話をしまくりました。
電話で「すぐ来てください」と言われたので、
慌ててタクシーにのっていくこととなりました
結果的には発作ではなく、逆くしゃみという現象が止まらなかったこと
命には別状はなく、念のために酸素室に入ろうという状態だったので、酸素室にはいってもらって待つこととなりました。

実際のところ
逆くしゃみというのは
手で鼻を押さえてあげたり
首を上に上げてあげたりするなど
そんな簡単なことで治る症状だったのです。

その後にお会計の際になかなかの衝撃を受けます。
なんと明細には約5万円ほどの料金が記載されています。。。。
この時には保険なども加入しておらず
まるまる自己負担なのですが、お金の支払いに関してては
なんの説明もないまま進められて、会計時に「なに!」という状態。
かなり手痛い出費となってしまいました

しかし対象が子犬ということだったり
ペットの飼育経験が浅い状態だと
焦っている時には正しい症状で検索するという頭が働かない
結果として救急診療がやっているところまでタクシーで行き
時間外診療費用として高額なお金を払う
ちょっと不条理な感じがしました

一方で病院で通常の動物病院で働く獣医師さんたちも
手術後の経過観察などの時には
病院で夜通しの夜勤をするということを聞きました。

そこでこれらの2つをマッチさせるサービスを考案
深夜に病気や怪我で困っているペットの飼い主さんたちが
夜勤している獣医師さんにスマホを用いた遠隔診療という形で気軽に相談でき、獣医師さんはその対価を受け取れる
場合によっては、直接診療を受けられるようなサービス
これができるとみんなにとってハッピーな世界観が作れると考えて進めていました。

こちらでも引っかかったのはマネタイズ。
そして獣医師業界の偉い方に話を通さなくてはならないというかかりつけ獣医からもらった助言でした。
業務委託の仕事が忙しくなった時期と重なったこと
「獣医師業界の偉い方に話を通さなくてはならない」と聞いた時点で
正しい情報を調べもせずにめんどくさいなと思ってしまったこと
そこでまた事業化の道半ばで断念してしまいました

結果としてそこからの約10年
自分のやりたいことではなくて
人のやりたいことをベースに支援する
という生き方に舵を切ることとなりました

めんどくさそうとか、
自分自身のサービスに蓋をしたこと
これが生成AIの登場によって
その後の人生に響くことになるとは
もちろん知るよしもありませんでした。

【恋愛編1】ここらで恋愛遍歴を語ってみる

話は変わりますが一旦、これまでの恋愛遍歴について語っていきたいと思います
私自身、高校時代は恋愛もどきを多数こなしてきましたが
先ほどにも出てきた通り、アメリカに行ってしまったすごく好きだった彼女がいました
なので他の女の子と遊んでいる時でも
常にその子のことが頭にあり
思い続けていた過去があります

先に求めたように大学に入ってそのことは別れることになってしまいましたが、生まれて初めて家族以外の人を本当に好きになった経験をさせていただきました

その後、大学生の間は
アルバイトをしていた業界から
周りにコンパニオンやモデルっぽい仕事をされている人がたくさんいて
だいぶと外観に引っ張られる
今で言うルッキズムメインの愚かな恋愛感に縛られて
カードを引いたらかまってちゃんなメンヘラチックな人に当たる
というケースを何回か繰り返しました

とはいえ、その中でも
大学時代の最後に付き合った彼女については
そういう方々とは一線を画しておりました
なので、きちんと両親にも紹介し
いずれは結婚するというような
状態でお付き合いをさせていただいておりました

その女性は当初は私が
1社目の激務の中で
もがいて苦しんでいる状態においても
優しく見守っていただき
いろいろと行動を共にしていただいておりました

ただそれもやはり3年も続くと
ただの苦痛に変わってくるというのが実情です。
また先にも述べた通り
ストレス発散という口実で飲みに行くというクズ野郎だったので
色々とうまくいかない状態が出てきました

私自身の本音としては
当然素敵な方なので
別れることは希望しておりませんでした。。。

しかし、相手の方の方の別れたいという気持ちが
ひしひしと伝わってきてしまったので
自分からうまくいってないよねっていうことを伝え
別れる選択をしました

ただ裏を返すと
振られるという格好の悪い選択肢を選択するよりは
その前に自分から言い出して
振られていないという既成事実を作りたかった
つまりは粘ることによって傷つきたくなかった
という悪い癖が出たとも感じています

その後はしばらくこじらせ時期が続き
友達のような彼女を作ったらきっとうまくいく
という思い込みから
楽しく飲める飲み仲間のような彼女を作った結果
自分の本能がその方をあまり女性として意識できず
うまくいかなかった経験をしたこと

本当に尊敬できる彼女が最適かもしれない!と思って
社内恋愛で彼女を作り
そこから本当に結婚しようと
ドレス選びの見学などにも動いたことはありました

その時に双方の祖父が同じ時期に他界するといったアクシデントもあり
当初の結婚式ロードマップを見直して
先に同棲から始めることにしました

結果同棲してみるとなかなかうまくいかない部分も生じ
結果的には1年間の同棲を通じてペアを解消する運びとなりました
おそらく結婚しても双方にとってベストの選択ではなかったと思うので
双方の祖父の他界はがただの偶然にすぎないと思いますが
何かの知らせだったようなそんな気もしております

そしてそこから完全にこじらせ生活に入ります
合コン数をこなしたり
友人からの紹介を受けたり
様々な形式のお見合いパーティーに行ったり
街コンに参加したり
アプリで出会ったり
とにかくトライ&エラーを繰り返しました
大切ですよねトライ&エラー!

結果的に精度が上がるかと言うと
そんなことはなく。。。
自分がアプローチしてもうまくいかなかったり
相手にアプローチしていただいても相性が合わなかったり
その結果、ただただここにもいなかったを繰り返すだけ

しかも悪いことに、エラーを繰り返すことによって
だんだんとアンマッチな条件だけが明確化されていくのです
デートにいっても良いところを見つけるより
悪いところを探してしまう感じ
いわゆる減点法式の採点ですよね
もはや病気といっても過言ではありませんでした

ちょうどそのときに一緒に彷徨っていただいた
元同僚の方であるU氏がいたので、
もがきつつも楽しみながら進むことができましたが
一人だったら本格的に病んでたかもしれません

ちなみに一緒に彷徨っていただいた方であるU氏は
なかなかよい伏線を持って後に登場することになりますが。。

さまよいソウルメイトのU氏

【恋愛編2】元上司の一言が現実からの脱却に?

そのころ、時にして2012年の年末ごろ
ディップ社で出会ったもと上司のKさん(あんたとは飲みたくないの方)に
こんなことを言われます
「あんたもういい歳なんだから、選り好みしてたらそのまま孤独死するわよ
とりあえず一度そこらへんの女子とつきあいなさいよ」(ほぼ原文)
うーむ。確かに・・・と納得してしまい
現状の延長線には孤独死!そしてそんな人生はいやだ!と気付かされます。

これ現状 オブ 現状未来を想像して恐怖を覚えるやつだ・・・
Kさんは僕にコーチングをしてくれたのか!

そして動き出しました。
そのときにアプリで出会って、少しだけいいかも
でも短期間で終わりそうかもと思っていた女性と
思い切って付き合ってみることにしたのです

しかし、直感は当たるもの!
ルックス的には私的にマッチしていたのですが
性格的にちょっとアンマッチな状態でした
なので、時々ルノアールでの会議が開かれたり
お互いのルールを作るなど
合議でいろいろと決めていかないと
ことが運ばない状態でした
※ルノアールはマルチ勧誘などの怪しい話や寝ているおっさんなどが多く、恋愛などの揉め事の話し合いには最適です!

そんな中、ちょっとした事件が起きます
誕生日プレゼントの不均衡事件とでも呼びましょう!

私はその方の望むものとして
サイレントバイオリンをプレゼントいたしました
たぶん20万円くらいしたかな?

サイレントバイオリン!

一方その方は私に
手書きの絵を修正ペンのようなもので
書いていただいたスマホケースをプレゼントいただきました!
とても上手な絵だったので
たいへんたいへんにうれしかったことを覚えています!

ただ、相手の気持ちをあまり配慮できないなのかもしれない
と頭によぎるようになりました。
しかし、その方はそろそろお付き合いが1年たったので・・と
結婚に対するプレッシャーをかけてきます

そのプレッシャーを受けて
解散総選挙の臨時国会を開かなくては!と
私の心の中にある小さな内閣総理大臣が決定します
その後は解散および・・・・という流れとなりました

DALL-E先生作 心の中野臨時国会

ただ、その方がいてくれたことで
自分では出来なかった、ものすごくいいことが起きました。
先に述べた減点法式採点をする自分からの脱却ができたのです!

1年間ほど自分本位な方とお付き合いをさせていただいたこと
そしていろいろ苦労しつつも一旦頑張ってみたこと
その経験によって、後に出会った方は皆様とてもお優しい!と感じるようになったのです。
いわば加点方式へのパラダイムシフトを行ってくれたのでした!


【恋愛編3】直感的かつ一方的に運命を感じた妻に出会う

そして運命のお別れをさせていただいてから
3ヶ月後、運命の出会いがございました。

引き続きさまよい歩いているうちに
さまよいソウルメイトのU氏と共に
訪れた出会いです。

私自身が肉好きということもあり
「肉会」という肉料理をきっかけに出会う
マッチングアプリにちょっとハマった時期がありました。

肉会アプリの説明文には以下のように書かれていました。
毎日、肉会相手をご紹介します。
毎日12時に肉会相手候補を1組ご紹介します。
あなたは、紹介されたペアに肉会をオファーすることができます。
あなたからのオファーを相手ペアが承諾すれば食事が成立

というペアで合う仕組みのサービスでした。

残念ながらサービスは終了してしまいましたが
今回はじめて肉会についてしらべてみたところ
2012年にかのはぁちゅうさんが開始したサービスとのこと
その後、2013年にDMMに売却されて、Twitter(現X)を見る限りでは
2017年にサービスを終了している模様です。

で、この肉会であった方とは
なぜか恋愛などの関係にはならず
比較的長期的な友人になるのですね
振り返ってみると
家族ぐるみでお食事するような関係性も方もいるのもびっくりです

話を戻すと
私の妻の友人Kさんがこの肉会の出会いによって
彼女自身ではなく、友達の彼氏を作ろうと考えたところに起因します
アンセルフィッシュ(Not 自己中)ですね

そこにはもちろん環境要因が大きく左右します
というのも、当時のKさん自身が新婚であり
結婚の良さというものを実感。
その良さエバンジェリストして布教したいという
状況下にあったためです(推測)

肉会でU氏とともにお会いした際には
別の女性がペアの方だったのですが
後日Kさんより、U氏とともに
3対3の飲み会(いわゆる合コン)をしませんか?
とのお誘いをいただきました。

合コン300戦で勝ち星なしの私は
いつもの通り、大きな期待はせずに
U氏&面白くてイケメンなメンバーを誘って
そこ(合コン)に望んだわけです

でも、1勝の可能性がそこにありました。
なぜかわからないのですが
後の妻を目にした瞬間に
この人と付き合うんだろうなと
会った瞬間に勝手に思ってしまったのです

そして後の妻がなかなかの
ナチュラリスト(いわゆる天然と呼ばれる方)だったり
管理栄養士の仕事をされていていることから
私の不安ごとである健康面のケアに長けており
あ、これはきっと相性がよいはずと
勝手にエフィカシー(自己実効感:やったことがないことでもできる気持ち)が上がって生きます。
(今振り返るとものすごくひどい思い込み)

そして別れ際には
「僕は昔から尿酸値が高くて心配なので今度相談させてください」などと
ロマンチックな方向に向かうとは思えないセリフを吐いて
次回の約束を取り付けようとした記憶が。。。

でも、優しい後の妻はそんな私に「いいですよ!」と
社交辞令かどうなのかわからない
非言語表現(言葉で伝えるのとは異なる雰囲気や仕草に出る表現)で
お返事いただき、連絡先を交換させていただきました。

そこからは相手に引かれない程度に
自分の気持をアピール!
したつもりでした・・・

しっかり、気持ちは溢れていて・・・
合コン後の日程調整の際に
候補日がいくつか出てきたときに
2つ抑えてしまう感じだったり

いきなり誕生日お祝いする約束を取り付けたりと
ガシガシと進めていったわけです
これがWant toの力ですね。
今振り返ると

そしてそんなときにはいろいろな偶然が起きるもので
初めてデートしたときの海鮮料理屋さんでは
そこの女性店員さんがオフで遊びに来ていて
私のことをいろいろ良い方向に宣伝いただいたり

後の妻の使っているスケジュールアプリが
私が業務委託でお仕事をいただいている会社のもので
私もいっちょかみしていることで話が盛り上がったり。
いま思うとインベント オン ザ ウェイが起きておりました。

そんなこんなで1ヶ月後にはお付き合い
3ヶ月後には結婚前提でいろいろと物事を進めだし
出会ってから1年と4ヶ月
2015年の2月25日の私の誕生日に入籍

41歳入籍日の写真


翌年3月には親族のみの結婚式をさせていただき
温めて両家にお披露目をさせていただきました。

そしてその年の5月に友人を集めて結婚披露パーティーをするわけなのですが・・・
そのときのメインコンテンツが
わたしのしくじり先生・・・
過去の女性遍歴の後悔・公開コンテンツです
※いまだに一部の方に名作と呼ばれています

これをつくった後に何人かの方にレビューしていただいたたのですが
「結婚パーティにおいてこれでOKおりるのか?」と男性の友人に言われました。
たしかに、、、、妻のご友人がドン引きするかも
と思って、妻に査閲を依頼しました。

その結果「おもしろいからいんじゃない!」とのこと
「え、むかしの彼女の話とかいっぱい入ってるけど大丈夫?」
という私の問に対しては
「私よりも10年以上生きていて経験があるのは知ってるだろうから大丈夫!」
との言葉。それを聞いて
「この人とは死ぬまで成し遂げられるな!」と思ったは言うまでもありません

もし見たいという方がいたら
このときの資料を公開させていただこうかしら?
もちろん個人的にですが

2016年1月に沖縄にウェディングフォトを撮りに行ったら・・・・
当日はまさかの40年ぶりの雪!
おかげでこんな素敵な写真が撮れました!
※アフロは加工です

そして結婚式パーティーの際には
妻のお腹に第一子がいることを発表させていただきました!
途中で切迫早産の可能性もでますが
基本的には順調にすすんで
2016年10月に出産も2時間程度の時間で終了
2020年の第二子はなんと40分で終了と
スピード出産の才能が妻にはあったようです!
本当にありがとうございます

現在は上の子供がちょっとおっちょこちょいな7歳に
下の子供がいまだに赤ちゃん感が抜けない3歳として
すくすく育っております

2023年夏の写真
ボストンテリアのクーチャンも一緒

なお、U氏は、私が結婚の保証人になっていただこうと
保証人サインをお願いする食事会を開いた所。。。
「僕もじつは重大発表が」との匂わせ発言!
彼女ができたとかできていないとか言っていた状態だったので
ついにプロポーズしたか!と思いきや
「僕、結婚します!子供も翌年できます!」の発言!
びっくりですよ。
というか、追い抜いてブッちぎったと思ったのに抜かれた!
でも、おかげで同級生のパパ共にとして
お付き合いいただいており、感謝しています!


様々な失敗を重ねつつ創業に向かう

恋愛編のご清聴ありがとうございました!
仕事の話に戻しましょう
業務委託先でそこそこの成果を出すようになったことで
いろいろな形でお仕事をいただけるようになりました。

新規事業コンテストのメンターをさせて頂いたり
畑違いの領域ではプロジェククションマッピングを使ったプロモーションの事務局をまかせていただいたり
いろいろな調査系のお仕事をいただいたり
昔といった杵柄のToB向けライティングの仕事をいただいたり

このあとに創業するプチプロ社に、個人で実施したお仕事を合わせると
2012年から2024年の12年間で100社以上のクライアントとお仕事をさせていただき、たくさんの事業開発・サービス開発に携わることができました
もちろんうまいったものばかりではありません

たとえば、先ほど述べたような成功事例の横展開を求められるケースでの失敗などが自分にはたいへん印象深く残っています。
こちらに関しては、先程の医療従事者のアプリ同様に
ユーザーの日常生活に入り込むためのアプリを作れないか?とお声がけいただいただきました

このときはまだ商品開発=集客・マーケティングだと正しく認識しておらず
正しい価値を持っていなかったために、つくったアプリ2つが駄目になるという失敗事例となりました

アンケート調査インタビューなどで掘ってニーズを確認して
その上で開発したアプリがうまくいかなかったり
集客部分のアドバイザーとしてもうまくいかないなど
なかなか渋い状況が続きました

結果的に一時的に収入がズドンと伸びて
一方で反動で税金がぐわっとかかって
翌年は収入が少なく税金の支払いに苦労するなど
現実的に厳しい状況になりました
しかもそのときに結婚式とかもやった年だったり

また人生山あり谷ありという感じで
翌年は先の医療従事者向けサービスにおいても
集客部分で非常にうまくいった施策が
集客後のリードの選定がうまくいかない状況が生じました。

登録が来すぎた結果、転換率が低下
紹介側の人員が足りないことで起きる現象であるので
結果的に訓練不足の人材を補充することになります。
その結果、転職サービスを利用していただけないのはもちろん
クレームなどに繋がる結果などが生じてしまいました。

集客状態が好調にもかかわらず
事業状態が悪化するなどの現象が起きたのです。

このようなときに、業務委託だと、
業務範疇を超えてなにもできない状態になってしまい
ただただ指を加えて良くない状況を見ているしかなかったと思ってました。

でも本当はそんなことはなく
ユーザーのことを考えて
正しく介入すべきだった
のです。
そこをする勇気や面倒くささを乗り越える気持ちがなかったのだと、
振り返って気がつく状況です。

そんなこんなで
2016年には事業の採算性の悪化にてメインの業務委託の仕事が終了

また、サブで実施していた業務委託に関しては
事業自体は伸びていましたが、私が手掛けたアプリ開発に関して
なかなかコンテンツおよびユーザーが
集まらない状態で残念ながらかなり厳しい状態に

その時に起死回生の策として依頼した
インフルエンサーとの契約について揉めて
その後にちょっとした脅しのようなリスクに発展したことで
その企画の続行を断念することとなりました。

このときは全く休みがないほど働きましたが
作業に追われて学ぶこと・考えることを止めてしまった
その結果が招いたことかと思っています

一方で、2016年に私および事業パートナーへの依頼が多かった
マイクロワークを含むプロジェクト型推進を請け負う会社
プチプロの創業に向け動き出すことになりました。

プチプロの創業は付近にあるマーケットニーズに応えるためのもので始まりましたが
ビジョンとしては、減りゆく日本の労働人口は
副業のプロフェッショナルによって救われること
独立するほどのプロ認識の高さはないけれど
過去に専門性の高い仕事をしてきたママさんなどの活躍の余地がある
という信念のもと、事業を開始いたしました。

当初のメンバーは4名
取締役かつアイデア起案者のN氏
なぞのハイテンション営業メンバーのHさん
AIなどが得意なハイパーエンジニアのKさん
という構成

当初苦労したのは
働いてくれるユーザーと仕事のマッチング
副業が今ほどは一般的になっていなかったので
てなりの集客はしてみたものの反応はいまいち

結果としてフリーランスに近い仕事や
他社でハイスペックに働いているけど
タイパの良い、ちょっとチャレンジできる
仕事がしたいという方が大半になりました

企業側についてはニーズが高いところ
自分たちのお付き合いが多いところ
となると・・・

事業責任者の壁打ち相手
PMFのためのニーズ調査
など結構ワーカーに触れる状態が少ない状況
結果的に、N氏や私がコンサル・プランナーとして入り
そこからお仕事を拾って振っていくスタイルになっていきます

で、そのような仕事については
非定型業務が多い領域のため
こなせる数が少ないというコトに気が付きます
※こなせるといっている時点で事業として駄目ですね

そこを脱するべく考えたのは
「この人は、こういうことができます」
「こんな人達がいっぱい登録してるんです」
というメニューを作成すること

ただ、その当時ニョキニョキ出だした
主婦系の副業サービスと差別化を図るべく
オーダーメイドで貴社にフィットする形でご提供します
といってしまうのです

結果は単機能で受注したい思惑とうらはらに
複合的で複雑なニーズに応えつつ
でも比較的低価格で提供するというジレンマに陥っていき
いろいろと仕事をいただきつつも
なんか違うかもしれないという
心のギャップを抱きつつ走るのでありました

DALL-E先生作 なんか変な絵だけど面白いから採用!

方向性の転換を図る

そんなこんなで創業から2年ほど過ぎたのですが
ハイテンション営業メンバーのHさんと
私の折り合いがつかなくなってしまい
Hさんとの離別を決定のときが訪れます
拡大どころか人数の減少に・・・
マネジメント失敗の4度目ですね

その時までの私にとって
マネジメントは何回やっても
学べない・学びたくないhave to領域だと認識してました

このためN氏にお任せはしてたものの
Hさんの実績と報酬のバランス的に
ベーシックインカム的になってしまっていたのが
どうにもこうにもワタシ的に折り合いがつかず
離脱いただくこととなりました

そして2020年に発生したコロナ禍によって
対面営業&即時コンサルを得意としていた
N氏の活躍機会が減少します

このような状況で迷走しつつ
ニーズドリブンでお仕事を受注しながら低空飛行を続ける
事業見直しを図るべく考えたのが
我々が本当にやりたいことはなにか?
でした。

しかし、私もN氏も
あまり具体的なイメージが出てこない状況でした。

一方でハイパーエンジニアのKさんは
子煩悩な父として、コロナ禍における子どもとの遊び方を変化させたい!
そう。やりたいことがあったのです。

そこで改めて3名で作戦会議です。
・旅行にいくときの旅日記を親子で作れるサービス
・コロナ禍で子どもと遊べるところが知りたい
・コロナ禍で子どもと家遊びを充実させたい
うーん。どれもこれもありきたり

そんな中、遊ぶだけじゃなく
・日々の中で小さなチャレンジをたくさんできる
・そのチャレンジ動画を撮ることで成長が記録として残せる
・残した記録をジジババとシェアして家族みんなで楽しめる
・みんなで子どもを応援することで自己肯定感をあげる

おぉ!そんなサービスがあったらいいね!
とサービスコンセプトが決まりました。

そして足りないメンバーとして
デザイナーのH氏に加わっていただき
子どもと一緒に親として育つなどの意味を持った
「コトイク」のサービス開発に取り組むことにしたのです。


新サービスのプロトタイプ評価は上々!

ハイパーエンジニアのKさんは
昔からノリノリモードになると
とんでもないパワーを発揮する方
いや、まさにWant toの力です

業務委託でお仕事をさせていただいたときも
アプリ開発担当として一緒にお仕事したのですが
とにかく仕事が早い!
たまに先を走りすぎてここも実装してみました!
となり、そこがすごく役立つこともあれば
一方でそこまではいらないよになることも
でも、そこも戻せることを想定して機能実装してくれる
気の利いたエンジニアなのです

で、今回もノリノリモードになったので
どんどん形になっていきます
Webアプリとして完成したコトイクは
簡単に動画が編集できること
そして簡単にジジババがリアクションをつけられる
シェアできるという部分を切り取って
クロードαバージョンとしてテスト利用してもらうことにしました。

具体的には
フレーム種別を選んで
音楽をえらんで
必要に応じて吹き出しを入れて
とやれば数分で楽しい子供の動画ができるもの

Web公開するわけではなく
身内への動画シェアなので
動画クオリティよりも
とにかく簡単なことが売り

このクロードαバージョンを
数十名の方に利用していただいたところ・・・

「すごい。簡単。楽ちん」
「これなら頻繁に動画作れるし、シェアできそう」
「出来がありが待ち遠しい」
「奥さんすごい!(勝手に間違って褒められる)」
とバッチリの評判!

折角だから当時のプロトタイプをいくつか

この評価なら事業化できる!
と4人で出資して、2021年12月に
株式会社コトイクを設立したのでした。

難産を極めて・・・出来上がらない!

あれよあれよとプロトタイプができあがったこともあり
アプリ化も時間の問題と思いきや
そこには意外にも大きな壁が立ちはだかります

Reactを使ってiOS+Androidの同時開発に着手するのですが
動画の変換スピードが異様に遅かったり
動画とエフェクトがずれてしまったり
動画関連のUIがうまく表現できなかったり

直してもらってはあたらしい不具合がでる状態
だんだんとリリースされるタイミングも遅くなり
気がついたら約2年。。。
世間的な状況もかなり変化を迎えました
すでにコロナは死を恐れる病気ではなくなり
子供は元気に外で遊んでいる

クラウドソーシングを利用して
家の中で遊べる遊びの動画(コトネタ)は
300本以上あつまってはいるものの
アプリの動画編集がままならないので
サンプルが作れない状況になってしまいました

2023年12月に2期目の決算を迎えるにあたって
ほぼ固定費がかかっていないとはいえ
原資が減っていて時を戻せないのも実情

そこで方向転換をすることに
動画作成をメインの軸足ではなく
成長記録の振り返りから自己肯定感や
自己実効感の育成を育む方向にシフトしていくことにしました

動画制作の機能を最低限にする代わりに
ここのストーリーを手厚くすることで
長きにわたって使える動画アルバム&シェアサービスとして使ってもらう狙いです

2024/05/05の子どもの日の時点で
動画作成作成部分も上記の体験の実現部分のUIもできていませんが
なんとか2024年中には最低限プロトタイプは形にしたいと思っていましたが。。。。

2024年6月、取締役会の合意により、一旦サービス開発を凍結することになりました。ただ、子供向けサービスはまたやりたいと思っています!

生成IAの登場によってマジビビる

また話は前後します!すみません
生成AIが登場したことによってビビりまくるという出来事が2022年後半から起こります。

当初はこんなものかと軽くみていましたが
2022年11月のChatGPT-3.5が誕生したときのインパクトは
忘れることができません
あ、もう自分自身がオワコンだ。。。と感じました

私自身は企業から案件をお受けした際に
市場リサーチと企業がお持ちのアセット分析を実施
その上で打ち手を一緒に考えて事業開発を進めていく
という手法をとっておりました
そのような進め方について企業の担当の方に学んでいただきながら一緒に成長していくスタイルです。

いわばティーチング✕コンサルティング✕システムへの落とし込み
その後のディレククション・PMでお仕事をしていたのですが
ChatGPT3.5の登場によって
クライアント自身が生成AIに相談する方法を覚えたら
あ・・・私の仕事は完全消失する
その恐怖感に慄いた記憶は鮮明に残っています

特にコンサルティング領域で得意としていたのが
・リサーチ部分の掘り下げ
・判断のための分類・理解促進のための構造化

だったのですが、これもGPTに頼んだら一瞬で完了

2021年までのデータしか学習していないといっても
Googleが出してきたらあっという間に補完されてしまう
案の定、Googleの進化したGeminiでは
正確性などに疑問は残るもののの
最新のデータを取り込みつつ解を出すことに成功しています

この生成AIの恐怖から逃れ、今後も仕事をしてくためには
・自らも生成AIを使いまくって生産性を上げて乗っかること
・生成AIの及びにくい領域であろう人間力部分を磨くこと

2つが必要でないかと考えました。

1つ目についてはとにかく触ること
ということで有料サービスを複数契約
現在は
・MyGTPが作成できるGTP-4o
・claudを含めた様々な生成AIが使えるPoe
・GoogleOneに無料サービスとして付帯しているGemini
いろいろ触ってみて、できることできないことを日々試してみているような状況です

いまのところ自分自身が有用と感じているのは
・自分の仕事の得意領域の仕事の提出物や企画内容に関してヌケモレがないかをチェックしてもらったり意見をもらうこと
・自分の専門外の分野の簡易的な資料(例:比較表など)をつくってもらうこと
・あたらしいことを学習したときにケーススタディの問題を出してもらって理解を深めること
・自分の未知領域に関して知識を得たい場合に、一般的に進め方を聞いて、自分がわかるところまでドリルダウンして疑問を解消すること
・企画などを検討しているときに反対派として振る舞ってもらい、厳しいツッコミをもらうこと
などが挙げられます

まだまだ使い方はいくらでもあると思いますが
毎日かならず生成AIと触れ合うことで可能性を広げていきたいと思っています
なお、最初はプロンプトエンジニアリングという職業が生き残れるときいて
目的もなくプロンプトばかりを書く日々を過ごしましたが
これは全くもって無駄でした。
プロンプトのみを学ぶのは手段の目的化にすぎないのでおすすめしません!

人間力を高めるべくMCAに入学

一方で人間力を磨くという部分では
自分の人生を生きる上に明確に足りていないことを補うことが必要だと考えました。
自分に掛けているものを3つあげたとき

・学習や習得においてなにかを成し遂げること
・人の心をもっと深く理解できるようになること
・挑戦心を持って仕事に取り組めること
が足りていないと感じました。

そんな悶々とする日々をしている際に
仕事で少しだけ絡ませていただいたことのある
Hさんの投稿が目にはいってきました。

Mindset Coaching School(現在はMindset Coaching Academy)の説明会の案内です。
タイトルはEfficacy-Driven Leadership。
Hさんが司会をするということに加えて、AIテックベンチャーのエクサウィザーズ創業者の一人である粟生さんが受けたコーチングとは?という内容に強烈に引かれて説明会に参加。

その内容についてはもちろんだったのですが
イベント終了後に届いた「説明会動画」を見てとにかく衝撃を受けました。
求めていたものがここにあると。
でも、この学校長の顔、どこかで見覚えがある・・・

あ、フェイスブックで勝手にフォローしたあの方だ。
フェイスブックでつながっている方々で、すげーなと思っている人がみんなつながっているから、勝手にフォローしたけど、ここの学校長だったのか!と気が付き、一気に入学に気持ちが傾きます。

そしてその後、投稿をポストしていたHさんに以下のようなメールを送ります。
「Hさん ご無沙汰しております。セミナーに参加させていただきました。そして説明会の動画を拝見しました。現在の自分は、ライスワークがメインとなっているほか、生成型AIの登場で自分が生業としているコンサルティングの価値が消失しかかっていると感じています。また、一方で明確な夢というものがなかったり、やりたいことに挑戦しきれない自分がいて、まさに学校長がおっしゃっていたようなケースに当てはまっていると感じました
このため、現在参加を前のめりに検討しております」
といった内容です。

そのときはMindset Coaching Schoolの先行申込が行われている時期だったのですが、80万円という価格と比較して、実質的な講義数が6回程度という内容にイマイチ納得しきれなかったこともあり、HさんがMindsetで学んだこと、変化の差分を聞いてから入ろうという下心を出してしまいました。

イベントは8月19日で、翌日20日も説明動画を閲覧
Hさんに21日に連絡し、30分の1on1を24日に設定させていただきました
そして1on1を経て、すぐにスクールに連絡!
しかし、スクールからは、タッチの差で先行申込最後の枠が埋まったとの返答。
やっちまいました。下心のせいでの後悔が発生することに!
そこからは、思い立ったら吉日。
動くように切り替えよう!と思ったことは言うまでもありません。

でも、まったくもって切り替わらない。
そこがマインドのからくりなわけなのです。
それをスクールに入学してから思い知らされます。

10/26 スクールの第1回講義が始まりました。
それまでにきちんと動画学習をして
インプットをしてきたつもりが
全然体得できていない、自分のポンコツさ驚かされます

初回講義の中では
物事をポジティブに捉えるリフレーミングの仕方や
大切な相手の苛立つ部分をなくす方法など
マインドの書き換えが魔法のように作用することを教えていただき
驚きが止まらない6時間となりました

そして講義の最中にはセッションブレイクアウトで
自身が感じた内容を発言・共有する時間が設けられるのも特徴
その時感じた心象風景や理解したことなどをきちんとアウトプットすることや他の人の意見を聞くことで、まなびが一気に深まることを理解

そして講義が終わると振り返らない振り返りを記入
これは全部を見返して振り返るのではなく
講義前・講義後の自分の中での差分を出したり
感じたことを素直に表現するもの

毎回、講義やディスカッションではこれをするのですが
当初はしっかり振り返って、間違ったことをいってはならない
恥ずかしいことは言えないなどを思ってちっとも書けない状況に陥って
宿題をためていくのです。

ようやく終盤になって、振り返らないの意味に気がついて
書くのが楽になったのは・・・
人に聞くことをしない愚か者の仕業というよりほかありませんね
これぞ私がビジネスポンコツだった所以でございます

自己適応に苦しんだ末に気づいたことと自分のゴールが見えるまで

Mindset Coaching Academyでは
プロコーチになるための学習をするために
様々な課題の提出が求められます。
ただ、それ以上に大切なのが自己適応

コーチングは「人生の劇的な変化」を人に与える。
そのために「まず自分が変わっとけや!」というわけです。
すごく乱暴に言うと。

というわけで、ここの部分は以前
リアルタイムの自己適応中に書きましたので

の記事をご興味あれば御覧ください。

なお、いまでもダンスは続けておりますし
まだまだ下手くそから抜けられてませんのでご安心ください。
ダンスイベントなどへのお誘いは、丁重にお断りさせていただきます。
とにかく下手でも、1年は継続する。楽しむ。
そこだけを決めてやっています。

そして次におきたのが、自分のゴールが見えないという問題です。
コーチングを学んでクライアントのゴールを一緒に設定しようとしているのにゆゆしき問題です!

コーチはクライアントの全幅の信頼を受けて
一緒にゴールに向けて伴奏する存在でなくてはなりません

コーチに「大丈夫、絶対ゴールに向かって行ける!」と
いわれても、応援しているコーチが
現状の外のゴールに向かって動いていないと・・・
クライアントから「お前はやってないじゃん」となってしまう

でも、なかなか仕事のゴールが見えてない
メンターさんには何度か相談をしたのですが
バシッとハマるゴールとならず
自然に走り出す感じではなく
無理にあれもやらないととなっている感じ

一方でコーチングスクールも卒業課題提出を向かえる頃
20人程度の無料モニターセッションを経て
お金を受け取っての有料のモニターセッションを行っている状況です

セッションでゴールを一緒に設定して、
現状の外の世界に向かって進めるように
ニコニコしながらプッシュしている自分が・・・
ゴールをビシッと定めて動けていないジレンマ

それをひしひし感じるようになります

色々なお仕事をしてきてモヤモヤとしている自分
クライアントワークが大好きながらも
クライアントワークだけでいいのかと思っている自分
本当にモヤモヤの極地です

そこでコーチングスクールで自分をプッシュしてくれそうなコーチであるNさんにメッセージを送り、お時間を頂いて1回職業機能設定のコーチングをしていただくことにしました

そのときの記事がこちらになります。

セッションで頭の中がパッカーンと開き
自分でやりたいもの、そして自分の心に蓋をしていたものに気がついて
進めるための道筋が見える。まさにナイスコーチ!
ナイスコーチ!:よいコーチングができたときに周りのコーチがかける言葉。ボディービルの「切れてる!」に近しいようで遠い言葉

そして2024年4月、無事にギリギリの滑り込みで
サーティフィケーションをいただき
Mindset Coaching Academyを卒業
プロコーチとしての活動を始めることになりました
Note上でちきんとご報告できてなかったので
この自分史のあとにちゃんと報告します!
(遅くってすみません)

卒業式の様子。このときはまだ合格してませんでした
アフターパーティにてサーティフィケーションをいただけたとき。
うるうるしてますね

仕事についても現在(2024年06月)ですが。
日々実現に向けてN氏と共に動いています。
いまはまだコンセプトワークの状態ですが
具体的な体験が見えてくるようになりました。

実際にコンセプトどおりに動くものを開発し
安価に利用できるtoBe向けサービスとして提供していこうと考えています
これが広まることによって、2:6:2の上位8の人は
内省や気づきをベースとした生産性向上や自身の仕事のWant toに即した探求が可能になると思っています。

忘れかけていた・蓋をしていた起業家マインドを復活させて
このサービスができたらワクワクする気持ちを企画書に乗せ
実現に向けて動いています

また6月から新しく始まったクライアントワークにおいても
優秀な方の経営層の経験を引き出してスキルシェアしたり、
学習や社会貢献、趣味活動などができるコミュニティ設計に携わらせていただいてます。
ここも生成AIを活用して、面白い仕組みを作って生きたいと思っています!

最初は微力ではありますが、きっと日本を世界を良い方向に変えられる!
そう信じて進んでいきます!

最後に趣味の手抜き料理&アンチエイジングの話

最後は趣味の話に触れていきます。
私の趣味の1つは料理です。
食べることも好きですし、作ることも好き。
食事のために生きている!といっても過言でないかもしれません。
そしてもう一つの趣味はアンチエイジング。
といっても見た目がメインの話ではありますが

ます料理の方ですが
好きな理由は、料理には日々の接するため、日常的に幸せを感じれる時間が増えることが挙げられます。

アンチエイジングを兼ねて1日2食(空腹時間を増やして、胃を休めるため)の生活を送っていますが、昼食をタンパク質および食物繊維を取得する体を作る食事と位置づけ、夕食を自身がお酒を含めて楽しむための食事として位置づけています。
そして自分が自宅で夕食を取る際には、献立構成・買い物・調理・盛り付けなどを担当するルールとなっています。

実はこの一連の作業のすべてが趣味です。
献立構成と買い物はセットで
だいたいが買い物にでかけてその日の良さげな食材を見つつ
献立をなににするかを決めていきます。

なので旬の魚などを見て
「あ、これ美味しそう」と思えばそれが食材になりますし
お買い得な食材を見て調理後のイメージがわけば即購入
インスピレーションの世界観です

この出会いが楽しいこと
1日1つはなにか新しい要素を入れてみることをしています。
例えば
・調味料の組合せを変える
・スパイスの組み合わせを変える
・調理法を変える
・切り方を変える
・火入れの火の強さを変える
・オーブンでの温度帯を変える
・盛り付け方法を変える
など

もちろん失敗することも多数ありますが
成功して良い味を出せたときの嬉しさはひとしおです
それが楽しくて料理を趣味にしています。

一方で外に食事に出かけた際には、積極的に模倣しようとおもって出かけます。
ただ、いくお店が食材だったり、調理法だったらがそもそもレベルが高いので、模倣する難易度が異様に高くて、模倣してみても再現できないのが大半の状況です。

一応、私氏主催の食事会を月4-5回はしております。
興味ありましたら、FBメッセンジャーでご連絡くださいませ。

入場制限ポリシーとしては
遅刻をしない方
・他の方に対してマウンティングしない方
・お店に対して敬意を払い、不快な行為をしない方
・ドタキャンをしない方(やむを得ない場合には、参加メンバーを考慮して代打を立てるなどの振る舞いができる方)
普通に会話を楽しめる方
・食事を楽しめる方
・お金の貸しを作らない方

を守れる方のみになります

料理のきっかけについて


こんな私ですが、料理の楽しさに目覚めたのはまさかの機会でした。
先に恋愛遍歴を述べましたが、同棲していた当時の彼女と分かれることを決めたとき
それまでずっとご飯を作ってもらう専門だったので、罪滅ぼしに自分がご飯を作ろうと思ったこと。それが始まりでした。
最初は食材と混ぜて炒めれば完成のようなところから始めましたが
もともと飲食店を回るのが好きで、調味料アレンジなどはよく行っていたので
それらを取り入れて美味しくなるようにアレンジしていきました。
1ヶ月ほど食事を作り続けた結果、周りに美味しいと喜んでもらえるようになりました。
人に役立つ初めての趣味ができた感覚。
これがすごく嬉しくて、ずっと続けています。
そしてその御蔭で今の妻との関係もうまくいっている感じもします。
世の中の男性の皆様。
料理好きはもてますし、彼女にも喜ばれる。日々が楽しくなるし、アンチエイジングにも役立つ。なので趣味にすることをおすすめします!


とある日の夕食(ホムパ)
だいたい1夕食で8皿ぐらい(切って盛るだけ含む)を1時間程度で作ります

アンチエイジングについて

そしてもう一つの趣味がアンチエイジングですが
30歳くらいから意識するようになりました。
きっかけは、家系およびストレスで髪が薄くなったと感じたこと
代謝がおちてそれまでの生活ではスタイルを維持するのが難しくなったことです

家系的に髪がヤバそうな傾向にあったので
20代後半になるころには育毛活動を実施していました
そして、30代になってからは
あほみたいに酒を飲んで食べた後には
増えた体重が減らなくなってきました。

そこで実施したのが夜の糖質摂取の抑制です。
昼間はエネルギーを取るために炭水化物をメインとした糖質を
取得するものの夜は炭水化物を極力セーブするもののです

ただ、飲食店に伺った際はここは解禁です
コースなどの料理の中で炭水化物を摂取しないのは
そのお店のコース構成を台無しにしたり
フードロスにつながるのでそこは摂取
自身でご飯を作る際には糖質を積極的に摂取しないルール

この方法のおかげで
従来は13-15%程度だった体脂肪率が10-11%に絞られました。
そして40代も半ばまではこのペースで来ましたが
コロナが大きな影響を及ぼしました。
運動量の大幅な現象により、
体重増加ならびに体脂肪増加がおきたのです。

そこで、さらに徹底的な糖質制限にうごき
昼間は野菜とタンパク質のみ
夜も飲み物を含めてより糖質を少なくする方法をとりました
この方法で体脂肪は8%程度まで落ちましたが・・・

尿酸値が9.6までバク上がり!
お酒を飲むのが好きなことと相まって尿酸値が上昇したわけです
幸い通風発作はでませんでしたが
慌てて極度の糖質制限を解除

その後、尿酸値は高めの状態キープに戻ります
が、結局2023年6月に通風発作を発症!
いまでは飲酒量を制限することで尿酸値を抑えています。

見た目的には、だいたいマイナス12-20歳位(若い方ほど、私を若く見る傾向があります)に年齢を想定されるケースが多いので、アンチエイジングの成果はでているのではないかと自分では思っております。

なお、顔面整形には頼りたくないので
顔面筋トレを頑張っています
いぜんインタビューしていただいたときの記事がこちら

その他のアンチエイジングについては
ゆるトレ、入浴、化粧水
など。いずれ公開していきますね。

このほか1月から
・棚上げのダンスを始めたこと(記載の通り)
・MCAの李先生から気功伝授をされたこと
・丹田を意識し腹式呼吸を開始したこと
が相まってか、体脂肪は8-10%を順調にキープできる状態となっております

今年、12月に半世紀を迎えるにあたり
いままでは自分のWant toである「裏をかく」ために公開していなかった本当の年齢を公開して生きていくことにしたわけです。

本連載?の1回目でもかきましたが、これまでは自分が年齢をいったらその認知バイアスがかかってしまうことに対する抵抗感をすごく感じておりましたが、自分の振る舞いや態度によって相手の脳はそれを忘れてバグることが最近わかってきたことも後押ししてくれています。
見た目で希望を抱いていただける50代の一般人として
アンセルフィッシュに生きていく所存です。

ちなみにメンズメイクにも挑戦してみました
が。。。。。。
気持ち悪い、化粧崩れがヤダ
ということで、クセにはなりませんでした!
ただ、肌年齢は30代前半といわれたのは嬉しかったです
(もちろんお世辞であることはわかっている)

メンズメイクの結果
うーん。いまいち。。。

さて、全体で結局6万字
読んでいたき、誠にありがとうございました。

私自身50歳間近となって
プロコーチとしての挑戦
自社事業への挑戦
クライアントワークでの新しい仕事への挑戦
に取り組むことになりました。

結果はもちろんわかりませんが
UXプロデユーサーとして自分と周りの人を信じて前に進む
コーチとしてクライアントのゴールを信じ全力で伴走する
人生を掛けてやっていきます!
どうぞよろしくおねがいいたします!

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
もし、ここまで読んでいただいた方が

・成果を出してはきたものの、まだもっとできるはず!
・挑戦心を持って仕事に取り組めることがほしい
・やりきれないクズから抜け出したい!
(MVP賞とかとるほど出来てないとか、学歴コンプレックス、起業家コンプレックスあるなど)

そんな気持ちがあれば
私がコーチとしてサポートし、成果が出せるようにしますので
コーチング前の個人面談(30分)にぜひお申し込みください!
私との半年のコーチングによって何が変わるのか?
そのことをお話できればと思っています。

また、私のコーチングに関する特別特典として
・生成AIの活用法を仕事に合わせて個別提案
・MyGTPなどを個別に作成して、日々の内省のお手伝いをします
・アンチエイジングテクニック
などの相談も可能です

まずはお気軽にお申し込みください
こちらからよろしくお願いいたします。

おまけ 何もやりきれなかったクズが、自己変革を起こす"はずの"自分史 第3話のAI要約

いくつかの生成AIにこの文章をの要約を頼みましたが
まともだったのはGPT-4o-128kのみ
上げたばかり情報がハルシネーションを起こしやすい理由は不明です

全文読むのが面倒な方は、どうぞ御覧ください!

総括
奥隆朗氏の自分史第3話「独立&起業&ビジネスポンコツ+恋愛編」は、彼が独立を決意し、起業するまでの過程とその後の苦労、さらに彼の恋愛遍歴について描かれています。

退職と起業の決意

2011年2月末、奥氏はディップ社を退職し、起業を決意します。退職前の2ヶ月半の有給を使って一人旅をしたり、クライアントとの関係を深め、4月からの仕事を確保します。起業のアイデアは、ペットの夜間診療に関する問題を解決するものでした。しかし、3月11日に東日本大震災が発生し、予定していたプロジェクトが中止に。プログラミングスクールに通うも挫折し、無職状態が続きました。

業務委託と起業の再挑戦

その後、ディップ社の元上司Sさんから業務委託の仕事を紹介され、医療従事者の転職斡旋事業のサイト改善プロジェクトに携わります。様々な成功と失敗を経験しながら、徐々に集客を拡大していきました。2013年には、看護学生向けの国家試験対策アプリを開発し、無料提供することで大きな反響を得ます。この成功を受けて、看護師向けのアプリも展開し、シリーズ累計で100万ダウンロードを達成しました。

恋愛遍歴と結婚

奥氏の恋愛遍歴も詳細に語られています。高校時代から大学時代までの恋愛経験や、同棲していた彼女との別れなどを経て、婚活に励むもなかなかうまくいかない時期が続きました。2012年末、元上司からのアドバイスを受けて一度は恋愛に挑戦するも失敗。しかし、その経験が彼を加点方式に変え、次の恋愛に前向きになるきっかけとなりました。

2015年に「肉会」というアプリを通じて現在の妻と出会い、1年4ヶ月の交際を経て結婚。2016年には第一子が誕生し、2020年には第二子も誕生しました。

プチプロ社の創業と現在

奥氏は2016年にプチプロ社を創業します。副業や複業のプロフェッショナルによるサービス提供を目指し、順調に成長を遂げますが、コロナ禍の影響で事業見直しを迫られます。新たなプロジェクトとして子ども向けのチャレンジ動画サービス「コトイク」を立ち上げますが、開発が難航し、2024年6月に一旦凍結することになります。

生成AIとの出会いとプロコーチとしての活動

2022年後半に生成AIの登場に驚き、その可能性に気づいた奥氏は、自らも生成AIを活用し始めます。プロンプトエンジニアリングや生成AIの利用方法を学び、仕事の効率を上げる努力を続けます。また、Mindset Coaching Academy (MCA) に入学し、プロコーチとしてのスキルを磨きます。2024年4月に卒業し、プロコーチとしての活動を開始します。

趣味と生活

奥氏の趣味は料理とアンチエイジングです。料理は日々の幸せを感じるための活動であり、アンチエイジングは健康維持のために取り組んでいます。特に、糖質制限や筋トレを取り入れ、体脂肪率を管理しています。

最後に、奥氏は自らの経験を活かし、クライアントの成長をサポートするプロコーチとして活動していくことを宣言しています。彼の挑戦は続きます。

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