誰も助からない
(2024年、春くらい)(口頭)
(前半略)
今日は、そっちの話じゃないので、具体的な話、しないんですが。
たまに性的な話が、ちょっとだけ、混ざります。
つらいなって方は、私が**分くらい、持ち時間なので、
それまで聞かないとか、ご安全にいてください。
*
私の、今の症状は、主に、過食嘔吐と、自傷、とは本人が思っていないのだが、
はさみで体をばすばす切るやつがあります。
コンパスとかで腕を削り始めたのは、8歳くらいからで。
中学のいつごろから? かな、わかんない。
あと高校の間、おじいちゃんの介護と、おうちのことをしながら、
拒食、ごはん食べないほうですね。拒食で。
お医者さんから「33キロ割ったら入院だよ」とか言われながら、うるせえって。
33.5キロあります、みたいな。
高校の書道室から、なるべく重い文鎮を取って、制服にしのばせて、「33.2キロもあります」とか。
小数点以下の戦いみたいな感じで。体重計をごまかしつつ、高校に通っていて。
卒業してからは、おうちで介護してて。
**代の時に、介護は終わったんですけれど、
その時は、過食嘔吐、たくさん食べて、すぐ全部、吐くやつですね。
あれと、腕とか切りすぎてて。
専門学校と、アルバイトと、やってはみたが、
何もかも、もうできない、もうだめだ、もうだめだって。
今から**年くらい前に、自助グループにつながりました。
*
うちは、お母さんがいなくて、お父さんが単身赴任なんですね。
なので、父方の、おじいちゃんおばあちゃんの、おうちにいました。
で、
おばあちゃんが、これのことを、ばちばちに大嫌いだったので、いや、大嫌いに見えたので、
おじいちゃんと、ずっと一緒にいて。
一緒にっていうか、まあ一緒にいるので。どうせ大人になったらやる練習をしていて。
そういうのを、やっていたから、おばあちゃんに嫌われた、ように見えたのか、
それとも、初めから、嫌われたように見えたから、これが、おじいちゃんのところにいたのか、
今もう、みんな死んだから、わかんないですね。
*
おばあちゃんは、時々、叫ぶんですよね。
「おばあちゃん、生きてて、何にもいいことなかった!!」って。
「おばあちゃんは。小学校に行ったって、兵隊さんのどんぐり拾いで、勉強なんかさせてもらえずに、
何が。何が勉強だ。何が学校だ。おまえみたいなものが、小学校なんか行ったって。
おまえみたいな。おまえなんかが。
おまえは。いいよなあ。学校に行けて。おまえはこんなに甘やかされて。なあ。おまえなあ。」
みたいに、おばあちゃんが疲れるまで、これのことを、蹴るんだけど、
なんか、今、思うと、戦争とか。
すごく怖いことがあった後遺症の、発作、みたいな感じかなあ。って思うんだけど。
すぐ、頭が、痛くなる人だったんですね。全部つらい、みたいな。
「おばあちゃん頭痛いからあっち行け」って。お布団に入って、あっち向くので、
そんなに蹴って、あんまり興奮すると、また、おばあちゃん頭痛くなっちゃうよ。って。
蹴られてる時は、暇っていうか。
おじいちゃんのほうは、力持ちなんですよ。
おじいちゃんに、拳とか、木刀とか、灰皿で、殴られると、なんていうか。
言語は死ぬ。っていうか。言葉は死ぬっていうか。
この世の死、みたいな感じなんだけど。
おばあちゃんは、腕力がないので。こっちも、考え事ができるんですね。
待ってる。
これが、死ぬか、相手の気が済んで、終わりが来るか、どっちかだ。
*
で、おばあちゃん、頭痛いから。
これは、おばあちゃんが寝ている間に、
たとえば、洗いかごにある食器を拭いて、しまったり、生ごみを出したりしたら、どうだろって。
やってみるんだけど。
起きてくるんですね。
暗い廊下から、ゆっくり歩いて、おばあちゃんが、出てきて。
お台所を見渡して、首を傾げている。
どっちかなあって思って。これは、待ってるんだけど。
「お皿も拭けないおばあちゃんで、悪うございましたね!」って。
ああ、なるほど。そっちか。
おばあちゃんが。
「ありがとうなんて、言ってもらえると、思ったんかよ。ええ? ありがとうなんてよ。
いやみったらしい。当てつけがましくして。
みんな、おばあちゃんが、お洗濯するのも、ごはん作るのも、当たり前だと思ってて。」
「お皿を拭いたから、って、なんだ。たかが、そのくらいで。
おばあちゃんは、毎日、毎日、毎日! 誰にも、ありがとうなんて言われず、やってんだよ。甘ったれんな!!!」
って、吠えるような、大きい声で。言う。
なんか、おばあちゃん、ひどいなあ。っていうよりは、
おばあちゃん、つらいなあ。
これさあ、誰かに言えたかなあ。って。
今、これやるまで、毎日、毎日、毎日、
「おばあちゃんは、ばかだからよ。」って。
「おばあちゃんは、頭がおかしいからな。」って。
「おばあちゃんは、人間の言葉を喋れねえからよお」って。
そういうのは、おじいちゃんが、なんか、まあ、練習。しながら、言うんだけど。
言いにくいんですよね。性暴力とかさ。字面が怖いじゃん。って。
われわれ、生活をしてたのに。生活が怖いみたいじゃん。
今日、その話じゃなくて。
おじさんや、お父さんも、「おふくろさんは、ものを考えるのが苦手だからね。」って、
こっちの人たちは、親切とか、優しい感じで言うんだけど。ニコニコして。
「おばあちゃんは、いいよ、いいよ。」って。
そうやって、何十年も、家じゅうの人たちから
「頭が悪い」「どうせできない」「おまえには力がない」と言われ続けるのは、
どういう気持ちなんだろう。
*
で、おばあちゃんが死んで、
じわじわ、おじいちゃんの介護になるんですね。これも、中学生だし。
私が、自助グループにつながってから、仲間が、
「なんで、あなたが、おじいちゃんの介護しないと、いけなかったの?」って、聞いてくれたんですけど、
な、なんで???
なんで……???
なんで。
今も、これは、うまく、説明が、できないんですね。
頭に浮かぶ言葉は、例えば、ふつう? とか。
あとは、いつの間にか、そういうことになっている。とか。
あとは、その時々で、自分に、いちばん自然な選択をすると、そうなっていた。とか。
あとは、「私が勝手に、やる、って言って、やったんですよ」って。
言ってたし、今も言うけど。
その「自然な選択」の、材料、みたいなのは、
どうやって、できたんだろうな。って。思います。
「自然な」っていうのは、「ふさわしい」ってことでしょ。
違和感が少ない。やったことがある。できたことがある。
これをしたら怒られなかった。一緒にいる人のかたち。近くにいる人の毎日の過ごし方。使う言葉。使われない言葉。自然。
私に、いちばん、ふさわしいのは、これかな。って。
*
つまり、そうだな。
私は、頭が悪くて、小学校なんか通ってもしょうがなくて、甘やかされていて、
いやらしくて、ずるくて、なんにもできなくて、考えることが苦手で、
ついでに、自業自得だと思っていたんですが、体調も悪い。
体調っていうか、単純に、当時、痩せすぎなんですよ。
家事と、介護しながら、高校に行こうとすると、
たとえば、食べずにすごく痩せるとかで、
なんかこう、ドーピングしないと、寝ちゃうんですよ。
すごく痩せると、はじめのうちは、
脳味噌が、電動ノコギリみたいに、回転しっぱなしになるんですね。
目が、ガーッて。開きっぱなしになる。
たぶん、眠るための養分も無くなっているだけ、だと思うんですけれど、ともかく。
寝なくて、よくなるから。全部できる。全部大丈夫になる。
眠くなったら、腕とか切れば、元気になる。
私は元気。私はできる。私は大丈夫。初めは。
でも、後半、痩せすぎて強制入院したりしている間に、受験の時期が終わってて、
いや、違うかな。
そもそも、ばかだし、皆そういうし。実際、成績ダメだし。
だめだと、私が、信じているし。
おじいちゃんは、「おうちにいたい」って言うし。
これが、高校卒業する時に、「じゃあ、24時間だれか、一緒にいないと無理だね」ってなって。
おじいちゃんが、おうちにいたいなら、
それはもう、おじいちゃんがおうちにいたい、っていうことなので。
今、わけわかんないこと言ったかな。
でも、本当にそうなんですよ。
先のことは考えな。いや、考えたんですよ。
自分が。自分が、っていうと、何も出てこないんだけど。主語がね。
おじいちゃんは、あと、一番長くて、25年くらい、生きるのかなって思って。
25年、私は、頑張れるかなって、それは、すごく考えた。
頑張れる。
その時は、自分が、学校にいても、ほぼ、勉強をできていないこと、とか。
「おまえなんか今すぐ死ねばいいのに」って。いつもこのへんで鳴っていること、とか。
全然眠れていない、とか。
その時は、いないよって。あとからですね。ずっとあとから。
で、おじいちゃんが死ぬまでは、頑張ろうって。
そしたら、これも、死ねるかもしれないんだから、って。
どうせ、こんなものは、「社会に出て、まともに、やっていけない」のだから。
おじいちゃんも、そう言う。私も、そう言う。
「おまえみたいな白痴は、社会に出たら、男どもにだまされて、回されて、
飽きたら殺されて、ドブに捨てられて、野垂れ死ぬことに決まってんだよ」って。
私が、「おうちにいるよ」って。言いました。
そしたら、お父さんとか、そこにいた大人が、
けんかしてたんですけど。おじいちゃんどうすんだよって。
みんな、顔の緊張が、ふわって、ゆるんだように見えたので、
ああ、正しい、って思いました。合ってた。って。
よかった。これで今日は、もうだれも死なない。
お父さんが、「わかった。」って言って。
「**が、自分で、そう決めたんだね。いいよ。わかった。」って。
多分、おうちに帰ったら、お父さんは、お酒飲んで、今のやりとりを、全部忘れちゃうんだけど。
それで、「じゃあ、お父さんは帰るけど、おじいちゃんのお世話と、おうちのことは頼んだよ。」
って言って、単身赴任先へ帰るんだけど。
でも、今日だれも死ななければ、とりあえずいいでしょ。
*
選択。
これが、女の人とされる形を、していること。
これが、「うちはお母さんがいなくて、お父さんは、かわいそうなんだから、
おまえが、お母さんにならないと、いけないんだぞ」って、
保育園くらいから、教わっていること。
これが、おうちのことをすると、機嫌の悪い人が、減るように見えること。
頭が悪い、と、信じていること。
私が悪い、と、信じていること。
(おうちのだれも死なないように、すごくすごくがんばろう。)
「選択」には、材料がいる。
材料のことを、もっと、ちゃんと学のある人が、
もっと、ちゃんとした言葉で、言ってくれていると思うんだけど。
私が、昔、拾った材料のことは、
自助グループと、カウンセリングにつながってから、
いてくれる人たちに、教えてもらいました。
*
「おまえの話を聞きたい人間なんか、この世に1人もいないよ」って。
「おじいちゃんしかいないよ」って。
「おまえを、褒める人間は、おまえが、あまりにも白痴で、かわいそうだから、お情けで、褒めてくれるだけで。ろくなものはいない。
おまえはそれを鵜呑みにして、有頂天になって、本当にばかで、恥ずかしいなあ。」
「おじいちゃんが死んだら、おまえは、もう、おしまいだ。」
「どうすんだよおまえ。どうすんだ。おじいちゃんは死ぬぞ。」って。
酸素ボンベ繋がった状態で言われると、臨場感がやばいんですけど。
おじいちゃんが、よく言ってて。
そうでもないみたいよ。
そうでもある、のかもしれないけれど。
そうでもない、みたいな体験を、
仲間や、助けてくれた人たちから、もらって、まだ死んでないね。
でも、なんかさ。
おばあちゃん、生きてて、何にも、いいことなかった、ってさ。
助けてって。思う。
前は、おばあちゃん、ひとりで勝手にギャーッて叫んで、バカみたいって。
おばあちゃんは、戦争とか行ってないんだから、無傷じゃんって。
そのくらいで、そんなに様子がおかしくなっちゃって。なんなの。
って。思っていたんだけど。
ミーティングで、いっぱい、人の話を聞かせてもらって。自分も話して。
今は、たとえば、
おばあちゃんが助かっていたら、私は、どんなふうだったかなあって。
何を選べたかな。何か選べたかな。って。思います。
でも、私は、助からなかった版のおばあちゃんにしか、会ったことがないので。
助かった版のおばあちゃんは、わからないんですね。
おばあちゃんが助かるには、もうちょっと前から、みんな、助かってないと難しいので、
じゃあ、だめだわって。
なんで、こんなに、人間が、叩きのめされた残骸みたいになることが、
こんなにいっぱい、あるんだろう。
答えとか、ないんですけど。
怖い、怖いって。人間界はもういやだ。人間なんか死ねばいいって。
ミーティングやカウンセリングで聞いてもらってて。
その、怖い怖い、っていうのも、聞いてくれる人がいないと、言葉にはならない。
そうやって、私はずっと、命拾いしていると思います。
そうね。いい終わり方は、ないんですけど。
終わりです。ありがとうございました。