誰も助からない


(2024年、春くらい)(口頭)

(前半略)

 今日は、そっちの話じゃないので、具体的な話、しないんですが。
 たまに性的な話が、ちょっとだけ、混ざります。

 つらいなって方は、私が**分くらい、持ち時間なので、
 それまで聞かないとか、ご安全にいてください。

 私の、今の症状は、主に、過食嘔吐と、自傷、とは本人が思っていないのだが、
 はさみで体をばすばす切るやつがあります。 

 コンパスとかで腕を削り始めたのは、8歳くらいからで。
 中学のいつごろから? かな、わかんない。
 あと高校の間、おじいちゃんの介護と、おうちのことをしながら、
 拒食、ごはん食べないほうですね。拒食で。

 お医者さんから「33キロ割ったら入院だよ」とか言われながら、うるせえって。
 33.5キロあります、みたいな。

 高校の書道室から、なるべく重い文鎮を取って、制服にしのばせて、「33.2キロもあります」とか。
 小数点以下の戦いみたいな感じで。体重計をごまかしつつ、高校に通っていて。

 卒業してからは、おうちで介護してて。
 **代の時に、介護は終わったんですけれど、
 
 その時は、過食嘔吐、たくさん食べて、すぐ全部、吐くやつですね。
 あれと、腕とか切りすぎてて。

 専門学校と、アルバイトと、やってはみたが、
 何もかも、もうできない、もうだめだ、もうだめだって。
 今から**年くらい前に、自助グループにつながりました。

 うちは、お母さんがいなくて、お父さんが単身赴任なんですね。
 なので、父方の、おじいちゃんおばあちゃんの、おうちにいました。

 で、
 おばあちゃんが、これのことを、ばちばちに大嫌いだったので、いや、大嫌いに見えたので、
 おじいちゃんと、ずっと一緒にいて。
 一緒にっていうか、まあ一緒にいるので。どうせ大人になったらやる練習をしていて。

 そういうのを、やっていたから、おばあちゃんに嫌われた、ように見えたのか、
 それとも、初めから、嫌われたように見えたから、これが、おじいちゃんのところにいたのか、

 今もう、みんな死んだから、わかんないですね。 

 おばあちゃんは、時々、叫ぶんですよね。
 「おばあちゃん、生きてて、何にもいいことなかった!!」って。

 「おばあちゃんは。小学校に行ったって、兵隊さんのどんぐり拾いで、勉強なんかさせてもらえずに、
 何が。何が勉強だ。何が学校だ。おまえみたいなものが、小学校なんか行ったって。
 おまえみたいな。おまえなんかが。
 おまえは。いいよなあ。学校に行けて。おまえはこんなに甘やかされて。なあ。おまえなあ。」 

 みたいに、おばあちゃんが疲れるまで、これのことを、蹴るんだけど、
 なんか、今、思うと、戦争とか。
 すごく怖いことがあった後遺症の、発作、みたいな感じかなあ。って思うんだけど。 

 すぐ、頭が、痛くなる人だったんですね。全部つらい、みたいな。
 「おばあちゃん頭痛いからあっち行け」って。お布団に入って、あっち向くので、

 そんなに蹴って、あんまり興奮すると、また、おばあちゃん頭痛くなっちゃうよ。って。

 蹴られてる時は、暇っていうか。

 おじいちゃんのほうは、力持ちなんですよ。
 おじいちゃんに、拳とか、木刀とか、灰皿で、殴られると、なんていうか。
 言語は死ぬ。っていうか。言葉は死ぬっていうか。
 この世の死、みたいな感じなんだけど。

 おばあちゃんは、腕力がないので。こっちも、考え事ができるんですね。
 待ってる。
 これが、死ぬか、相手の気が済んで、終わりが来るか、どっちかだ。 


 
 で、おばあちゃん、頭痛いから。
 これは、おばあちゃんが寝ている間に、
 たとえば、洗いかごにある食器を拭いて、しまったり、生ごみを出したりしたら、どうだろって。
 やってみるんだけど。

 起きてくるんですね。
 暗い廊下から、ゆっくり歩いて、おばあちゃんが、出てきて。
 お台所を見渡して、首を傾げている。

 どっちかなあって思って。これは、待ってるんだけど。

 「お皿も拭けないおばあちゃんで、悪うございましたね!」って。
 ああ、なるほど。そっちか。

 おばあちゃんが。
 「ありがとうなんて、言ってもらえると、思ったんかよ。ええ? ありがとうなんてよ。
 いやみったらしい。当てつけがましくして。
 みんな、おばあちゃんが、お洗濯するのも、ごはん作るのも、当たり前だと思ってて。」

 「お皿を拭いたから、って、なんだ。たかが、そのくらいで。
 おばあちゃんは、毎日、毎日、毎日! 誰にも、ありがとうなんて言われず、やってんだよ。甘ったれんな!!!」

 って、吠えるような、大きい声で。言う。 

 なんか、おばあちゃん、ひどいなあ。っていうよりは、
 おばあちゃん、つらいなあ。 

 これさあ、誰かに言えたかなあ。って。
 今、これやるまで、毎日、毎日、毎日、

 「おばあちゃんは、ばかだからよ。」って。
 「おばあちゃんは、頭がおかしいからな。」って。
 「おばあちゃんは、人間の言葉を喋れねえからよお」って。

 そういうのは、おじいちゃんが、なんか、まあ、練習。しながら、言うんだけど。
 言いにくいんですよね。性暴力とかさ。字面が怖いじゃん。って。
 われわれ、生活をしてたのに。生活が怖いみたいじゃん。 

 今日、その話じゃなくて。

 おじさんや、お父さんも、「おふくろさんは、ものを考えるのが苦手だからね。」って、
 こっちの人たちは、親切とか、優しい感じで言うんだけど。ニコニコして。
 「おばあちゃんは、いいよ、いいよ。」って。

 そうやって、何十年も、家じゅうの人たちから
 「頭が悪い」「どうせできない」「おまえには力がない」と言われ続けるのは、
 どういう気持ちなんだろう。

 で、おばあちゃんが死んで、
 じわじわ、おじいちゃんの介護になるんですね。これも、中学生だし。

 私が、自助グループにつながってから、仲間が、
 「なんで、あなたが、おじいちゃんの介護しないと、いけなかったの?」って、聞いてくれたんですけど、
 な、なんで???

 なんで……???
 なんで。

 今も、これは、うまく、説明が、できないんですね。

 頭に浮かぶ言葉は、例えば、ふつう? とか。
 あとは、いつの間にか、そういうことになっている。とか。

 あとは、その時々で、自分に、いちばん自然な選択をすると、そうなっていた。とか。
 あとは、「私が勝手に、やる、って言って、やったんですよ」って。
 言ってたし、今も言うけど。 

 その「自然な選択」の、材料、みたいなのは、
 どうやって、できたんだろうな。って。思います。

 「自然な」っていうのは、「ふさわしい」ってことでしょ。

 違和感が少ない。やったことがある。できたことがある。
 これをしたら怒られなかった。一緒にいる人のかたち。近くにいる人の毎日の過ごし方。使う言葉。使われない言葉。自然。

 私に、いちばん、ふさわしいのは、これかな。って。

 つまり、そうだな。
 私は、頭が悪くて、小学校なんか通ってもしょうがなくて、甘やかされていて、
 いやらしくて、ずるくて、なんにもできなくて、考えることが苦手で、

 ついでに、自業自得だと思っていたんですが、体調も悪い。
 体調っていうか、単純に、当時、痩せすぎなんですよ。

 家事と、介護しながら、高校に行こうとすると、
 たとえば、食べずにすごく痩せるとかで、
 なんかこう、ドーピングしないと、寝ちゃうんですよ。

 すごく痩せると、はじめのうちは、
 脳味噌が、電動ノコギリみたいに、回転しっぱなしになるんですね。
 目が、ガーッて。開きっぱなしになる。

 たぶん、眠るための養分も無くなっているだけ、だと思うんですけれど、ともかく。
 寝なくて、よくなるから。全部できる。全部大丈夫になる。
 眠くなったら、腕とか切れば、元気になる。
 私は元気。私はできる。私は大丈夫。初めは。

 でも、後半、痩せすぎて強制入院したりしている間に、受験の時期が終わってて、
 いや、違うかな。
 そもそも、ばかだし、皆そういうし。実際、成績ダメだし。
 だめだと、私が、信じているし。

 おじいちゃんは、「おうちにいたい」って言うし。
 これが、高校卒業する時に、「じゃあ、24時間だれか、一緒にいないと無理だね」ってなって。

 おじいちゃんが、おうちにいたいなら、
 それはもう、おじいちゃんがおうちにいたい、っていうことなので。

 今、わけわかんないこと言ったかな。
 でも、本当にそうなんですよ。

 先のことは考えな。いや、考えたんですよ。

 自分が。自分が、っていうと、何も出てこないんだけど。主語がね。
 おじいちゃんは、あと、一番長くて、25年くらい、生きるのかなって思って。

 25年、私は、頑張れるかなって、それは、すごく考えた。
 頑張れる。

 その時は、自分が、学校にいても、ほぼ、勉強をできていないこと、とか。
 「おまえなんか今すぐ死ねばいいのに」って。いつもこのへんで鳴っていること、とか。
 全然眠れていない、とか。
 その時は、いないよって。あとからですね。ずっとあとから。

 で、おじいちゃんが死ぬまでは、頑張ろうって。
 そしたら、これも、死ねるかもしれないんだから、って。

 どうせ、こんなものは、「社会に出て、まともに、やっていけない」のだから。
 おじいちゃんも、そう言う。私も、そう言う。

 「おまえみたいな白痴は、社会に出たら、男どもにだまされて、回されて、
 飽きたら殺されて、ドブに捨てられて、野垂れ死ぬことに決まってんだよ」って。

 私が、「おうちにいるよ」って。言いました。

 そしたら、お父さんとか、そこにいた大人が、
 けんかしてたんですけど。おじいちゃんどうすんだよって。

 みんな、顔の緊張が、ふわって、ゆるんだように見えたので、
 ああ、正しい、って思いました。合ってた。って。

 よかった。これで今日は、もうだれも死なない。
 お父さんが、「わかった。」って言って。
 「**が、自分で、そう決めたんだね。いいよ。わかった。」って。

 多分、おうちに帰ったら、お父さんは、お酒飲んで、今のやりとりを、全部忘れちゃうんだけど。
 それで、「じゃあ、お父さんは帰るけど、おじいちゃんのお世話と、おうちのことは頼んだよ。」
 って言って、単身赴任先へ帰るんだけど。

 でも、今日だれも死ななければ、とりあえずいいでしょ。

 選択。 

 これが、女の人とされる形を、していること。
 これが、「うちはお母さんがいなくて、お父さんは、かわいそうなんだから、
 おまえが、お母さんにならないと、いけないんだぞ」って、
 保育園くらいから、教わっていること。
 これが、おうちのことをすると、機嫌の悪い人が、減るように見えること。
 頭が悪い、と、信じていること。
 私が悪い、と、信じていること。
 (おうちのだれも死なないように、すごくすごくがんばろう。)

 「選択」には、材料がいる。
 材料のことを、もっと、ちゃんと学のある人が、
 もっと、ちゃんとした言葉で、言ってくれていると思うんだけど。

 私が、昔、拾った材料のことは、
 自助グループと、カウンセリングにつながってから、
 いてくれる人たちに、教えてもらいました。

 「おまえの話を聞きたい人間なんか、この世に1人もいないよ」って。
 「おじいちゃんしかいないよ」って。

 「おまえを、褒める人間は、おまえが、あまりにも白痴で、かわいそうだから、お情けで、褒めてくれるだけで。ろくなものはいない。
 おまえはそれを鵜呑みにして、有頂天になって、本当にばかで、恥ずかしいなあ。」

 「おじいちゃんが死んだら、おまえは、もう、おしまいだ。」
 「どうすんだよおまえ。どうすんだ。おじいちゃんは死ぬぞ。」って。

 酸素ボンベ繋がった状態で言われると、臨場感がやばいんですけど。
 おじいちゃんが、よく言ってて。

 そうでもないみたいよ。
 
 そうでもある、のかもしれないけれど。
 そうでもない、みたいな体験を、
 仲間や、助けてくれた人たちから、もらって、まだ死んでないね。

 でも、なんかさ。
 おばあちゃん、生きてて、何にも、いいことなかった、ってさ。

 助けてって。思う。

 前は、おばあちゃん、ひとりで勝手にギャーッて叫んで、バカみたいって。
 おばあちゃんは、戦争とか行ってないんだから、無傷じゃんって。
 そのくらいで、そんなに様子がおかしくなっちゃって。なんなの。
 って。思っていたんだけど。

 ミーティングで、いっぱい、人の話を聞かせてもらって。自分も話して。
 今は、たとえば、
 おばあちゃんが助かっていたら、私は、どんなふうだったかなあって。
 何を選べたかな。何か選べたかな。って。思います。

 でも、私は、助からなかった版のおばあちゃんにしか、会ったことがないので。
 助かった版のおばあちゃんは、わからないんですね。

 おばあちゃんが助かるには、もうちょっと前から、みんな、助かってないと難しいので、
 じゃあ、だめだわって。

 なんで、こんなに、人間が、叩きのめされた残骸みたいになることが、
 こんなにいっぱい、あるんだろう。

 答えとか、ないんですけど。
 怖い、怖いって。人間界はもういやだ。人間なんか死ねばいいって。
 ミーティングやカウンセリングで聞いてもらってて。

 その、怖い怖い、っていうのも、聞いてくれる人がいないと、言葉にはならない。
 そうやって、私はずっと、命拾いしていると思います。

 そうね。いい終わり方は、ないんですけど。
 終わりです。ありがとうございました。