みんな結構縫い目が粗い

(2023年、春ごろの手紙)

 **月に初めて、乳腺科に行けた。乳がん検診。
 私は、外の人間と会う時、「殺される」と思いながら出掛ける。

 歯医者も乳腺科も婦人科も眼科も整形外科もそう。
 トイレが吐瀉物で詰まり業者の人を呼んだ時もそう。殺されると思いながら呼ぶ。

 乳腺科の受付の人たちは、淡々としていた。医師も、淡々としていた。
 その日は、ずいぶんと空いて見えた。予約制だからかもしれない。

 私は、殺されるのと、乳がん検診したいのとを、天秤にかけて予約を入れた。
 けれど、この人たちにとって、ここは、殺すか殺されるかの場ではなく、毎日の日常で、普通で、生活の場のひとつなんだと思った。

 この人たちは、たぶんこの後、定時まで(残業するのかもしれないが知らない)ここにいて、定時になったら上着を着て、家に帰って、ごはんを食べて寝て、起きたらまたごはんを食べて、明日もこの椅子に座るんだ。

 私は、意味がわからない。毎日、という感じ。
 淡々として、明日もここがあるのが当たり前で、自分が生きているのが当たり前で、毎日ふつうにめしを食って寝て起きて職場に来て帰ってめしを食って寝て起きてめしを食って寝て起きて出掛けて帰って寝て。

 見たことない。

 歯科でも、婦人科でも、精神科でも、乳腺科でも、そうそう人が、爆発的に叫ばない。
 「おばあちゃんはおまえのせいで首を吊って死ぬからな! おまえのせいだからな! おまえが人殺しだからな! この人殺し! おまえが死ね!!」
 みたいなあれを、外の人は、そうそうしない。
 
 なんで? うちでは毎日のように、だれかがしていたけれど? しないの?

 外では、人はあまり爆発しない。
 それから、私がたとえば、延ばしに延ばしていた退院時の荷物を片付けたり、何かの手続きを成功したり、そういう、何か達成をしても、目の前のものは爆発しない。打ち上げ花火も上がらない。

 生活は、とても静かだ。
 おじいちゃんみたいに、私の後ろ頭を灰皿で殴り抜いてくる人もいない。

 みんな、結構縫い目が、がたがただ。
 私が通う病院やクリニックの人は、よく見たら、だれも、ぴかぴかの完璧ではないみたい。
 
 完璧というのは、この場合、1人でなんでもできること。なめらかに。
 くらいの意味で言っている。

 そんな人は、一人もいないように見える。

 外の人は、とりあえず、まず、そこにいる。職場に来る。自分が座るべき椅子にいる。まずいる。
 それだけ。いいえ。それだけ、なはずはないのだが、でも、まず、そこにいる。

 それで、自分一人でわからないことがあったら、「少々お待ちください」みたいな意味のことを言ったり言わなかったりしてから、上司や同僚に振る。
 電話の保留音の向こう。受付のカウンターの奥。かれらの味方が、数人いる。
 味方かどうかは知らないけれど。せめて、指示を仰げる相手がいる。ように見える。

 わたしたちは、外の人はみんな完璧で、縫い目が詰まっているものなのだと思っていた。
 そうでもなかった。

 以前は、「私がゴミで、外の人はみんな完璧ですごくて偉い」と思っていた。
 そうでもないのかもしれない。(えらいのはみんなえらい。)

 外の人は、私が恐れ慄いていたよりも、もしかしたら適当で、乱雑で、うかつで、それでも生きていられて、自分が殺されないのだと、思うまでもなく、当たり前に、思っているように見える。
 なんで?

 私の安全設定は、おかしいのかもしれない。

 わたしたちは、人間のように見える形の人を見ると、「殺される」と反射で思う。
 わたしたちは、殺されないためには殺さないといけないのだが、殺すには力が足りないので殺されるしかなく、じゃあせめて即死にしてほしいけれどそれは難しいので、先に自分で死んでおけば、もう殺されることはない。
 そういうこと。自死もうまくいかない。

 私は、どこにいたんだろう。どんなところに暮らしていたんだろう。
 外の人たちを見ていると、努力、と呼ばれるものは、ほとんど関係ないように見える。
 この場合の努力、は、苦痛、という意味で言っている。

 外の人を見ていると、それぞれ、生まれ持った才能だか性質だか特性だか、言葉はいろいろあるが、向き、のようなものがあるように見える。
 その人のまわりを、なるべく安全な環境にすると、それなりに伸びて、今の形に育ったように見える。

 前に、自助グループの仲間と話していて、
 「人間、ほっとけば自分の行きたい方へ伸びるから」(うろ覚え)と教えてもらったことを思い出した。

 そうみたい。私は、順当に(順当だった時なんか一瞬もない気がするけれど)進めば、祖父の介護が終わった後には、公務員にさせられる予定だった。
 まじかよ。向いていないにもほどがある。これはな、算数が、異常にできないんだぞ。

 まじかよと思えるようになったのも最近だ。
 前は、「おじいちゃんの望む通り、保育士にも看護師にも役所の職員にもなれなくて、ごめんなさい」と思っていた。
 バカか。いや、その時これは気の毒だったので、バカ呼ばわりしない。ごめん。

 わたしたちは、たぶん、あるものを全部使って逃げたのだ。

 祖父が死に、私が家から逃げる時、体や服の中を触るアルバイト先の先生に、父と伯父を説得するための一筆を書いてもらった。
 私が、腕を深切りしながら通いかけた専門学校を退学した時、過食嘔吐しながら読んだ本の末尾に、自助グループの存在を見つけた。
 私が、何か新しいことを始めるたび、それが自分には向かないのだと言葉で気づけない間、どろどろの過食嘔吐が出勤を引き止めてくれた。

 そうやって私は逃げてきて、作品を描くことだけ残った。
 
 残したのかもしれない。私が。
 あるいは私の、音にならない友だちみたいできょうだいみたいな化物みたいなあれらが。

 描ければいい。自分が、こんなに汎用性がないとは知らなかった。でも、知っていた気もする。
 私たちは、いろんなことができるというのが、まともで優れていて、そうならなければならないのだと思っていた。

 お父さんみたいに。
 お父さんはなんでもできる。やりたくないこともできる。
 そうやって、お父さんは、お酒を飲んで溶けて死んだ。

 なんでもはできなくても、そこにいられるやり方を、私も私の周りの人も、たぶん誰も、知らなかった。

 今はどうだろう。わからない。
 去年の私は、今の私がこんなふうに「外の人たちも、けっこう縫い目が粗いな」と思うようになることを、知らなかった。
 なにもわからない。