コントロール

(2024年冬ごろ、口頭)
(※性暴力の描写があります)(つらそうな方はどうぞ無理せず)

 過食嘔吐が終わらない。
 でも、過食嘔吐がなかったら、これはとっくに死んでいたと思うので、責めてやるなよ。
 と、このごろは思う。仲間に教わった。ありがとうね。

 私(たち)、作文とか作品とか言っている場合じゃないんじゃないか? と思って。
 でも前に、そう思って、のたうった末に、首を切りすぎて入院したしな。と思って。
 あれをまたやるのは、つらいのではないか。

 もう、しょうがないのかなあ、って思ってから、
 でも、それじゃ、今までと変わらないじゃん。
 しょうがないって。
 そればっかり。私たちずっと、そればっかり!

 おじいちゃんおばあちゃんは、戦争で可哀想だったから、しょうがない。
 お父さんがお酒で溶けて死んじゃうのも、しょうがない。
 **も生き残ってきたから、私に対して「あなたは生活保護しかないよね」みたいな感じでいるのも、しょうがない、
 ふざけんなよ。

 私(たち)は、自分で生きている感じがいいんだけど。
 私がやっている、っていう感じ。私がコントロールしている感じ。
 それが過食嘔吐。首とか切るのも。

 依存症の回復について、「自分の意志の力でコントロールしようとする無力を認め」とか、うるせえな、と思う。
 私たちの人生で、コントロールできたことが、一回でもあったかよ。させろや。

 別の言い方をすると、私には力がある。
 って、確かめながらいたい。

 「コントロールを取り戻せ」という感じだ。過食嘔吐も。体をしましまに切るのも。
 上手に吐けるとか、何を吐くか自分で選ぶとか。
 今は違うけど、拒食の時期のあの、絶っ対に食べない、とか。

 わたしたちは、大人になったらどうせやる練習、と呼んでいる、あれらのことを、被害とは思っていない。
 なんで思わない
 (思えない? 思いたくない? どれ?)
 のかなあ、って思った。

 だって、もし、どれか1個、被害と思ったら、いっぱいあって、わけがわからなくなるから。

 だって、ずっと一緒にいるんだよ。
 あれら全部が被害になると、困っちゃうじゃん。

 今まで食べてきたパン全部に、一斉にかびが生えるような、ぞわぞわする。無理無理。
 私(たち)、生活をしていたんだよ。

 被害と思ったら、死んじゃうんじゃないかな。
 でも、今は、嘘つきって言わないでくれる人がいるから、思っても大丈夫かな。
 わからない。

 だから、被害とか、暴力とは思わないけれど。
 ただ、コントロール、という感じはしない。

 なんだかわからないうちに始まって、なんだかわからない感じになるから。
 確かに、私のコントロール、っていう感じは、しない。そこは、そう。認める。

 私がコントロールを放棄することを選んだ、といえば、そうだけど。

 歌う時も、私が選べることではないと思っているけれど、それもコントロールの放棄かな。
 もうちょっと、うたは、聞いてくれるのかな。私が聞こうとするだけじゃなくて? 協力できる?

 どうだろう。

 もっと他に、ないかなあ。
 私(たち)は、コントロールしたくて、いいんだと思う。

 もっとさあ。「死なない程度に上手に首を切れました」とかじゃなくて。他に。

 「私がやっている」、「私(たち)がやりたくてやっている」
 「私(たち)が選んだ」、「私(たち)がコントロールできている」、そういうの!

 描ける時は、わたしたち、っていう感じする。
 私(たち)が、選んでいる、感じがする。
 ずっと描いていたい。私、あなたたちのこと好き。

 私もう、しょうがない、っていうの、いやだ。
 「具合悪いんだから自立できなくてしょうがないじゃん」って。やだよ。
 しょうがないばっかり!

 しょうがない、しょうがないって言ってるから、人間があんなふうに死ぬんだ。
 見たでしょ。

 私(たち)は、どうしたらいいかなあ。