コントロール
(2024年冬ごろ、口頭)
(※性暴力の描写があります)(つらそうな方はどうぞ無理せず)
過食嘔吐が終わらない。
でも、過食嘔吐がなかったら、これはとっくに死んでいたと思うので、責めてやるなよ。
と、このごろは思う。仲間に教わった。ありがとうね。
*
私(たち)、作文とか作品とか言っている場合じゃないんじゃないか? と思って。
でも前に、そう思って、のたうった末に、首を切りすぎて入院したしな。と思って。
あれをまたやるのは、つらいのではないか。
もう、しょうがないのかなあ、って思ってから、
でも、それじゃ、今までと変わらないじゃん。
しょうがないって。
そればっかり。私たちずっと、そればっかり!
おじいちゃんおばあちゃんは、戦争で可哀想だったから、しょうがない。
お父さんがお酒で溶けて死んじゃうのも、しょうがない。
**も生き残ってきたから、私に対して「あなたは生活保護しかないよね」みたいな感じでいるのも、しょうがない、
ふざけんなよ。
*
私(たち)は、自分で生きている感じがいいんだけど。
私がやっている、っていう感じ。私がコントロールしている感じ。
それが過食嘔吐。首とか切るのも。
依存症の回復について、「自分の意志の力でコントロールしようとする無力を認め」とか、うるせえな、と思う。
私たちの人生で、コントロールできたことが、一回でもあったかよ。させろや。
別の言い方をすると、私には力がある。
って、確かめながらいたい。
*
「コントロールを取り戻せ」という感じだ。過食嘔吐も。体をしましまに切るのも。
上手に吐けるとか、何を吐くか自分で選ぶとか。
今は違うけど、拒食の時期のあの、絶っ対に食べない、とか。
*
わたしたちは、大人になったらどうせやる練習、と呼んでいる、あれらのことを、被害とは思っていない。
なんで思わない
(思えない? 思いたくない? どれ?)
のかなあ、って思った。
だって、もし、どれか1個、被害と思ったら、いっぱいあって、わけがわからなくなるから。
だって、ずっと一緒にいるんだよ。
あれら全部が被害になると、困っちゃうじゃん。
今まで食べてきたパン全部に、一斉にかびが生えるような、ぞわぞわする。無理無理。
私(たち)、生活をしていたんだよ。
被害と思ったら、死んじゃうんじゃないかな。
でも、今は、嘘つきって言わないでくれる人がいるから、思っても大丈夫かな。
わからない。
*
だから、被害とか、暴力とは思わないけれど。
ただ、コントロール、という感じはしない。
なんだかわからないうちに始まって、なんだかわからない感じになるから。
確かに、私のコントロール、っていう感じは、しない。そこは、そう。認める。
私がコントロールを放棄することを選んだ、といえば、そうだけど。
歌う時も、私が選べることではないと思っているけれど、それもコントロールの放棄かな。
もうちょっと、うたは、聞いてくれるのかな。私が聞こうとするだけじゃなくて? 協力できる?
どうだろう。
*
もっと他に、ないかなあ。
私(たち)は、コントロールしたくて、いいんだと思う。
もっとさあ。「死なない程度に上手に首を切れました」とかじゃなくて。他に。
「私がやっている」、「私(たち)がやりたくてやっている」
「私(たち)が選んだ」、「私(たち)がコントロールできている」、そういうの!
描ける時は、わたしたち、っていう感じする。
私(たち)が、選んでいる、感じがする。
ずっと描いていたい。私、あなたたちのこと好き。
*
私もう、しょうがない、っていうの、いやだ。
「具合悪いんだから自立できなくてしょうがないじゃん」って。やだよ。
しょうがないばっかり!
しょうがない、しょうがないって言ってるから、人間があんなふうに死ぬんだ。
見たでしょ。
私(たち)は、どうしたらいいかなあ。