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Part4:清水ヒストリー③

皆さんごきげんよう!清水です(≧▽≦)
今日は清水ヒストリー③を投稿しようと思います!

前回は広告代理店の仕事内容について投稿しました!

広告代理店入社後、僕はどうなったのか、そして今に至る「社会人編」を書かせて頂きます
※前回の清水ヒストリーはこちら↓


1年目

さて、大学卒業後に広告代理店に入社した僕の最初の仕事は「新規開拓」でした
僕を含めた1年目は皆、飛び込み営業で様々な会社に飛び込み、名刺交換・商談に行ったのです!
(コロナ禍には考えられない営業ですね笑)

もちろん、ほとんどの会社は門前払いか「資料だけ置いといてください」程度で終わり、1週間に1枚だけ名刺交換できるということもザラでした
むしろ担当者が出てきてくれたら、逆に驚いてしどろもどろになることもありました笑
戦績だけで言えば5勝500敗くらいでしょうか泣

ただ、この経験からメンタルはめちゃくちゃ鍛わりました!笑
ちょっと断られたくらいでは動じないくらいには、カチカチのメンタルになりましたね~
当時は「なんでこんなことやらなあかんのや…」と思ったのですが、今考えると営業的なメンタルを鍛えるためには良い経験だったと思います。

連戦連敗の中、僕の初めての受注はとある教育系の会社さん
飛び込みの際にちょうど会社概要の資料を切らしており、次回持ってきます!と言ったところ、「資料すら準備できないんだね」と言われたところからスタートしました

その言葉にカチンときて「絶対見返してやる!」という気持ちですぐに2回目のアポを取り、全力で提案。
見事に新規1件目の受注を勝ち取りました!
商材や金額自体はかなり小さなものだったのですが、この時の経験は一生忘れないと思います(^O^)

新規営業の思い出はもう1つあって、それは大手の新聞社さんに飛び込みをした時のことです
今までの経験から、大手の会社さんは門前払いをされることがほとんどでしたので、あまり期待はしていなかったのですがとりあえず行ってみよう!と思って飛び込みました。

いつも通り受付で要件を伝えると、なんと先方部署の部長さんが下りてきてくださったのです!
しかも、
・最初電話を受け取った社員さんは断ろうとしてたけど、その部長さんが時間があったので「行くよ」と言ってくださった
・その部長さんが大坂にいた時にうちの会社と仕事をしたことがあり、会社のことを知っていた
・その時うちの会社でその新聞社さんを担当していた人が、僕のOJTの先輩だった
といくつも偶然が重なってすぐに意気投合し、「また来なよ」と言って下さり2回目以降の商談にもつながりました✨

本当に偶然ではあったのですが、その日のその時間にその会社さんに行かなければ、その偶然をつかむことはできなかったと思います。
チャンスはどこに落ちているか分からずいきなり降ってくることもある、そのチャンスをつかめるかはどれだけ行動しているかが大事ということを、この新規営業から学ぶことができました(≧▽≦)

2年目~4年目

2年目以降は会社の既存顧客の担当になりました
それぞれ、
2年目:通信・端末系のチーム
3年目~4年目途中:名古屋の企業(異動で名古屋に1年半いました)
4年目途中~退職まで:自動車メーカーのチーム
という感じで、1年単位くらいで担当する企業さんが変わっていきました

広告代理店で良かったと思うことは、
・いろいろな企業を見ることができる
・毎日やっていることが違うので、飽きがない
の2点があります☆

1つ目の「いろいろな企業を見ることができる」については、様々な業界の企業に訪問させて頂きましたので、各業界の事情や慣習、知識などが身に着きました!
また、営業ということでお客様のオフィスに訪問することがほとんどだったので(特にコロナ前)、単純に色んなオフィスを巡れてテンションが上がるということも、楽しみの1つでした✨

ちなみに約5年の営業の中で特にテンションが上がったのは、外資の投資信託会社と国内の音楽系の会社さん
前者は会議室1つ1つの名前がいちいちカッコよく、後者はオフィスとは思えないくらい、オシャレなつくりになっていました!

2つ目の「毎日やっていることが違うので飽きない」というのは、常に新しい提案や構想出しを行うので、毎日直面する仕事が異なり、毎日新鮮さがあるということです!
何でも提案できる広告代理店だからこそ
の楽しみですね☆
ここは、売る商材がある程度決まっているメーカーさんと異なる部分だと思います。
(メーカーで働いたことが無いので、違っていたらすいません(>_<))

2年目以降で大きなポイントの1つとして、「営業所への異動」があります
2年目の終わり~4年目の9月まで名古屋の営業所に在籍していました!

名古屋に行っても営業の仕方は基本的に変わらなかったのですが、東京と名古屋の地域性の違いに最初は戸惑うことも多かったです

また、僕が異動したのは2020年の2月…
そう、コロナウイルスが始まった時期でした(;゚Д゚)
当然すぐに訪問が禁止になり、リモートでの商談が多くなりました

今まで対面で会うことで関係を構築することがほとんどだった僕にとって、異動直後にお客様と会えなくなることは、なかなかに大変なことでした…

その他にも会社の体制上、営業所には営業しかいませんので、社内の専門部署の方と連携することも苦労しました

東京にいたころは、何か分からないことがあったらデスクまで行って「すいませーん」で解決していたことが、営業所では1つ1つメッセージツールか電話で共有する必要があり、齟齬無く正確に伝えることの重要性も学びました

「伝える」ではなく「伝わる」が重要であると、今も気を付けて行動しています!

名古屋時代の1番の成果は、なんといっても6社対抗のコンペに勝ったことです!


とある厨房機器メーカー(ここまで書くと、分かる人もいるかもしれません…)のカレンダーを作るコンペにうちの会社は毎年参加していたのですが、今まで一度も取ることができませんでした
僕自身も名古屋1年目は良いところまで行ったけど、最終候補には残れず悔しい思いをしました(>_<)

広告業界はシビアな世界で、「どれだけ良い提案でも2位以下は全部同じ」と教わってきました
競合に勝って1位になれないと、数字にはつながらないのです…

2年目はデザインの方向性・デザイナーやクリエイターの選定、コンセプトの構想立てやプレゼン資料の作成・練習など、プレゼンまで約2か月間準備をして臨みました
結果、見事に受注!うちの会社史上初の受注になったのです☆

準備期間はあーでもないこーでもないと悩んだり、他の業務と重なり残業することも多々あったのですが、受注したことですべて吹っ切れました✨
しっかり準備を行って100%のプレゼンをして勝つこと、これが広告代理店で仕事をする醍醐味でもあるし、そのためにアイデアを絞り出すことが広告代理店で働く楽しみでもあります!
広告代理店に就職したいと思っている方は、ぜひこの楽しさを味わってみてください☆

そしてカレンダー案件が完了する前の2021年9月、僕の東京への再異動が決まりました
1年半という短い期間だったのですが、今の仕事にもつながる本当に大事な1年半になっています
名古屋での1年半も、今後忘れることは無いと思います✨

本当は③で清水ヒストリーは終わらせるつもりだったのですが、長くなってしまいましたので、急遽④まで作ることにします!
今度は正真正銘の最後です!笑
お楽しみに(^O^)/

☆Hasta luego!☆

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