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老がい ー後編ー
大学生の間でしばしば使われる「老がい」という言葉。
その意味するところ、使い方なんかはしっかりわかる。
ただ、どうしても心の奥底で、この言葉に対する腑に落ちないモヤモヤを抱えていた。
昔から、後輩より先輩の方が仲良くなりやすい、むしろ後輩との接し方が分からないと感じていた私にとって、
「自分の存在が邪魔になる」という先輩方の言葉がまず納得できない。
おべっかではなく本気で「いや寂しいから来てくれよ」と思っていた。
年次が上がるにつれて、同期が「俺らもうあんま飲み会とか顔出せないじゃん」と話しているのを聞いてもいまいちピンとこなかった。
ただ、「上になるにつれて迷惑になる」という考え方は、きっとその人が下級生だった時に感じていた気遣いへの疲労や、コミュニティの代謝の重要性からきているのだと思ったし、
なにより人から疎まれるのが嫌なので、その言葉に従って「じゃあ俺も行くの控えるよ…」と飲み会などに参加する頻度を落としていた。
こうした世間との”先輩”という立場に対する世間との考え方の差異は、
私自身が目上の人に対してうまく甘えることができなかったり、後輩然とした振る舞いができないことに起因しているのだと、これまでは思っていた。
先日、久しぶりに不特定多数の学生と関わる機会があった。
元々社交的とは言えない性格の私だが、大勢の面識を持たない人々と会う機会がこの一年間は輪をかけて少なかったし、ましてや2,3歳下がほとんどとなれば、緊張することは必至だった。
実際緊張はしたものの、「あの人めっちゃ上の先輩らしい」と大変申し訳ないことに気を遣っていただいたおかげで、ストレスなく過ごすことができた。
帰り際、「みんなで飯行くからてめえも来るか?」と(本当はもっと丁寧な言い方をしていただいたのですが自分で書くのがこっ恥ずかしいので)、
これまた気を遣って私にも声をかけていただいた。
その時、特に深く考えることもせず、「いや、急にこんな年上の先輩が来ても気遣わせちゃって悪いから」という言葉が口をついて出た。ごく自然に。
言葉が自分の中から飛び出たあとで、驚いた。
あ、これが「老がいになってしまう」って感覚なのか。
今まで心からは理解できなかったけど、ごく自然な会話の中で、ごく自然な思考で、ごく自然関係性の中で、ようやく肚に落ちたと実感できた。
また、自分は今まで、この言葉に対する世間と自分との解像度のズレは、自分にとっての先輩たちとの関りに起因するものだと考えていたが、
その答えが、後輩とのかかわり方の中にあったということにも驚いた。
振り返ってみれば、高校の部活動は途中で辞めたこともあって、年下と関わることは少なかったし、大学に入ってからもどちらかといえば先輩と関わることの方が多く、
中でも繋がりのある後輩とはあまり上下関係を意識しなくなるため、縦の関係性の中で気を遣いあう経験が少なかった。
思うに、おそらくこれまで自分が感じていた、大学生が自虐的に使う「老がい」という言葉に対する違和感は、
その言葉がはらむ保身的、自己防衛的な思惑を「後輩に対する気遣い」というオブラートで包んでいるのではないか、という非常にうがった見方によるものだったのではないかと思う。
まあ実際、「奢るのだるい…」とか「また後輩の顔と名前覚えるのだるい…」とか「そもそも飲み会だるい…」とかとか、そうしたことを避けるための口実にしている人もいるかも。
それでも、その言葉の中に、
たしかな先輩から後輩への気遣いがあって、
そうした気遣いを考慮しないと、少なからず後輩が先輩に対して”がい”(無論これは大げさな言い方である)を感じる場合もあるのだと知ることができたから、
私の中にある「老がい」という言葉にかかったモヤは晴れてくれたのだと思う。
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