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朝鮮海峡を渡った??鍛冶屋と商人たち?

家電もなかった時代。どんな生計をたててたのか?

北部九州〜朝鮮半島での鉄

北部九州の倭人らは鉄資源を求めて壱岐対馬を経由し、半島の鉄の生産、取引を行っていました。

克明に書かれています

“国出鉄、韓濊倭皆従取之“ 
(弁辰)国は鉄を出す。韓・濊・倭は皆従い之を取る。“

鉄とは

鉄は国を支える最重要の金属です。鉄は農業で使う桑だったり、武器に使うことができます。なかったらと考えるとギョッとします。

なんとかこうにか生きていく

いつの時代も人は生計を立てるのに必死です。生きなくてはいけないですからね。今のように不老所得で生きれる人は今と比べると、さらにさらにほんの一握り。

団塊の世代くらいまでは経験した昔前まで

昭和の経済飛躍までは、火で風呂を沸かしたり、米も機械なしで生産していたそうです。三度の飯の度に、火を起こし、風呂を焚き...。そんな情景です。

昭和中旬なので電気は少しはあったでしょうから、弥生古墳時代とはさらに雲泥の差でしょう。夜は真っ暗、月が一際明るい時だけが景色が見える程度。

今も、都会の空気感の全く感じられないほどの田舎にいくと、夜は光が闇に吸収されるごとく、とても暗いです。

200年代=3世紀

200年代などなど当時は、九州本土と朝鮮半島とをガンガン人々(商人や外交使)が行き来していました。

朝鮮半島南部で鉄を取って、鍛冶屋さんが精製して、加工する。それを九州本土に輸入する。こんなことが行われていたことは確実です。

半島南部からは弥生土器など倭国のものが多数見つかります。逆に半島のものが九州や各地で見つかります。

つまり

半島まで生業を稼ぐために行った人々は多数いたということになります。狗邪韓国という国がそれです。地域的には韓だけど、支配的に倭国。つまり、民族的には韓人倭人。鉄は貴重です。多くの人々が半島に出稼ぎに行き定住したり、鉄製品の取引仲介や貿易を行っていたことでしょう。

鉄は武力

倭国の武力は相当なものになったことでしょう。

武器は軍需品です。鉄の精製技術というのは軍事機密で、秘密なものだったと考えられます。より高度な生産技術は排他的だったと。

利権に執着

弁韓、辰韓諸国の人々に対して倭国の人は技術をあまり伝えていなかったのでしょうか?いや、双方に利権に執着して、連携が取れなくなったのか?2020現代のキャッシュレス普及のように。

鉄を生産加工できる技術を持つ国だけが強い軍事力を持て、農業も盛んにし、富国強兵をなしえた。鷹原王がふと思ったことです。

↓は遺跡の一覧です。ただ載せておきます。

蔚山達川遺跡

蜜陽の沙村遺跡

梁山の勿禁遺跡

金海餘来里の集落遺跡

隍城洞遺跡昌原の城山貝塚固城の東外洞貝塚金海の鳳凰台
金海の府院洞遺跡

金海花亭遺跡

鎮海の龍院遺跡

山清の玉山里遺跡

慶州孫谷洞・勿川里遺跡

月山里遺跡

釜山の東莱福泉洞莱城遺跡

谷那鉄山

勒島遺跡

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