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【意外な発見】盆踊り唄を紐解く



参考書籍
民謡地図⑨盆踊り唄 踊り念仏から阿波踊りまで(本阿弥書店 竹内勉著)




みなさん、こんにちは!

盆踊りの大海沼で、楽しく元気に踊っています、高尾可奈子です!


全国には数えきれないくらい豊富な盆踊り唄があり、細く長く伝わるものや、全国的に広まった有名なものまで、様々な唄があります。


今回は、盆踊りの「唄」に注目して、掘り下げていこうと思います。






文字形式の違い

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「七五調・十句・六十音」と一区切りの形
大阪の河内音頭に代表される、西日本中心に広く分布している盆踊り唄、口説節。


「七七七五・四句・二十六音」は、江戸時代に入ってから発生した詞型。一口歌すなわち甚句、形式が盆踊り唄のスタンダードとなっていく。


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東北から北関東、新潟や山陰地方では、「イ」と「エ」の区別が曖昧な場所が多い。
そのため、民謡が伝わった時に、母音が変形した歌もある。
古代の日本語母音が、アイウオしかなかったため。


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踊り念仏から変化して生まれた長篇の盆踊り唄・口説節は、最後の歌詞で七音か五音を二度そっくり繰り返すと、唄が終わりという決まりがある。

「七七七七調・四句・二十八音」に最後繰り返すと三十二区切りになり、八区切りの倍数となって、手足の運動にとって自然なリズムとなる。
青森県弘前市中津軽の「どたればち」=「津軽甚句」など。

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新野の「市神様和讃」の形式、「八五・二句・十三音」のそっくり繰り返しのように、音頭取りが歌い鸚鵡返しに周りが歌う時代もあった。
踊り念仏から整い始めた黎明期の形式。
次第に、丸々復唱ではなく、踊りとともに短いはやし詞を入れるように変わる。



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一般には、「七七七七・四句・二十八音」「八八八八・四句・三十二音」「七五七五・四句・二十四音」を一区切りとしている。
この一段を繰り返すものを「口説、口説節」。

滋賀県の江州音頭や大阪の河内音頭は「七五調」の変形。
仏の教えを説き聞かせる祭文(さいもん)が、後に浪花節=浪曲となって、上の歌に影響を与えた。

江州音頭は、祭文語りの祭文口説そのまま。
「七五七五七五・六句・三十六音」で一区切り。
唄の節を下げるオトシを取り入れて、奇数行化で聴衆を惹きつける。
河内音頭は明治中期に、江州音頭を改良し瀬戸内系伝統盆踊り唄を組み合わせたもの。



「七五調」の一区切りは、はやし詞が全て短く全体も七七調の3分の2の長さのため、歌詞を語る「七七調」と歌詞を歌う「七五調」に分かれていった。


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七音は、三音+四音もしくは四音+三音に分けられるものは、盆踊り唄・口説節時代の音数配分を守っているもの。逆に、甚句になってからの「七七七五調」に、二音加えたものもある。


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民謡は、節終わりの文章の読点では小節一つ、句点では小節二つ分長く伸ばす。なにゃとやらのように、句点の小節二つを重ねて、小節一つの読点にしたことでまだ続く感じの輪唱形式が生み出された。


盆踊り唄の歴史的流れ



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念仏輪唱時代
布教僧先導で抑揚念仏、南無阿弥陀仏・七音二句を唱え、鸚鵡返しで繰り返す踊りなしのもの。
後半七音が南無阿弥陀・五音の七五調派も登場。

踊り念仏時代
先のものに乱舞が付く。
七五調の方は、不足二音がはやし詞となり、乱舞もつく。

踊り唄念仏時代
文永十一年、一遍上人の賦算配布歌詞で、七七調を布教僧先導で交互に唄い乱舞。
和讃借用の七五調唄念仏替え唄も始まる。

踊り仏教歌謡時代
七七調口説節で後ばやしの長ばやし化、輪踊りが始まる。
祭文借用の七五七五調口説節で、音頭取りと踊り手が二分化したものも出る。

盆踊り唄・口説節時代
七七七七調仏教説話創作口説節が始まる。
祭文の七五七五調口説節も。
大道芸人など専門音頭取りの登場。
読売り本を使った七七七七調口説節では、音頭取りに読売り本売り、遊芸人参入。
典型的な歌詞に「八木節」

歌垣
現在の盆踊り唄の元になった、男女掛け合い問答形式繰り返し唄を乱舞つきで歌うもの。

江戸時代
一般人による音頭取りが登場。
七七七七調口説節の一段抜き読み・歌詞集めの即席音頭取り交代制。
補足語ササで七七七七調をつくる形式からは、後ばやしの踊り手受け持ちが始まる。
さらに歌い出しがさんさのもの、補足語ヤレサ・アレサなど自由化したものも登場。
唄とはやし詞に笛や太鼓、のちに三味線も伴奏に加わり、楽器の前奏後奏がつき、八拍子踊りの調整自由化。

明治時代
七五七五・七五七五調三段の口説節のチョンガレ節語りで、芸人専門音頭取りの個性を生かし始める。
代表的な「江州音頭」など、西日本盆踊り唄・口説節の全盛期。
歌詞の長篇化で、芸風の流れによる師弟関係が生まれる。
七七七七・七七七七調七組の口説節も。
七七七五調補足語なしのどどいつ調甚句(じんく)の創作替え歌自由の形式では、踊り継続用長ばやしが始まる。

昭和以降レコード時代
レコード3分に合わせた甚句調四首程度の唄が盆踊り唄のメインに。ご当地ソングが多く、音頭取りは流行歌手に。


大の坂


東北地方で主に踊られる、念仏踊りの「大の坂(だいのさか)」

南無阿弥陀仏という歌詞が、多くの土地で入っていて、「大の釈迦(だいのしゃか)」という呼び方もされている。


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民謡では、定型が「五音」か「七音」

南無阿弥陀仏の七音か、南無阿弥陀から変形した「ナンマイダ」五音


盆踊りには2種類ある


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送り火を焚くことで、供養する「先祖仏供養踊り」と、一緒にやって来る招かざる無縁仏を追い出す「無縁仏追い出し踊り」がある。

前進だけで戻ってはいけない行進踊り形式のもの、乱舞形式のもの、阿波踊り、そして長野県新野などは、無縁仏追い出し踊りである。


盆踊り唄の娯楽化


盆踊りは娯楽化され、音頭取りも仏教と無縁の者が務めるようになる。
盆踊り唄も和讃から、読売りと呼ばれる遊芸人の心中者演目などを利用するようになる。
明治時代から、形式は完全に捨てられて、音頭取りの個性や意外性の口説形式を楽しむようになった。


甚句(じんく)とは


⭐︎踊りを添えた唄。甚句踊りと呼ばれることが多い。甚の文字は、行き過ぎている様やはなはだしいという意味。歌詞は流用や替え歌が多く、各地共通や似通っている。

若い男女が相手を求める夜間の歌垣の歌問答に用いられてきた。

明治から昭和までは、どどいつの歌詞を用いてどどいつ調と呼ばれていた。昭和三十年代に入って民謡ブームにより、それに代わった甚句調、甚句の名前が一般的に。


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甚句は、「七七七五・四句・二十六音」の詞型が中心で、さらに四句目・五音の前に補足語として「ササ」「ヤレ」「ソレ」など二音挿入したものが多い。

「上句・七七・二句・十四音」の問い掛け歌、「下句・七 補足語+五」が返し歌になっているものが多い。

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三つの名曲
佐渡市両津の「両津甚句」、宮城県牡鹿諸島の「遠島甚句」、仙北市角館町「秋田甚句」

秋田甚句は、問いかけと返し歌になっていて、歌垣からきている。


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米山甚句などのように、人気をあつめ一人の歌い手が通して歌うようになり、後に花柳界に持ち込まれ、三味線付きのお座敷唄になっていった。



特色ある各地の盆踊り唄


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青森県東部や岩手県北部の「なにゃとやら」
「五七五調・三句・十七音」の俳諧形式から江戸時代に入って「七七七五調・四句・二十六音」の詞型に作り替えられた。
歌詞は決まった一首のみで、他は即興で自由に歌う。歌詞が途切れた時の応急処置的につなぎで歌われる。
繰り返し部分は五七五調が残っていて、男女が交互に掛け合い歌った。

岩手県南部の「さんさ踊り」
「なにゃとやら」から「ササなにゃとやら」からさらに変化した。
さんさ+四音であり、盆踊り唄(七七調)口説節を一区切りを独立させた「七七七七調」一句目七音を「三音+四音」に分ける作り方。
上句七七と下句七五の歌問答形式で、一首の歌詞となっている。
現在の盛岡さんさ踊りへとつながる。


郡上踊りにみる、唄の移ろい方


岐阜県の郡上踊り十種は、平成八年に国の重要無形民俗文化財指定になった。


一種目「郡上踊り・まつさか」は、七五調四句の盆踊り唄口説節の専門はやし手付きで、昭和初期の観光ブームで作られた松坂踊り系統。江戸時代からの唄を早く取り入れていた。わずか十二音の単純さ。

二種目「郡上踊り・ヤッチク」は、七七調二句の盆踊り唄口説節の鸚鵡返しなしはやし詞あり。滋賀県から京都府に広く分布する、はやし詞「ヤッシキドッコイ」が転訛したもの。最後の「あまり長いこと 先生にゃご無礼」という文句は、富山石川福井三県の万歳太夫が長篇口説節を歌う際の常套句。

三種目「郡上踊り・古調かわさき」は、伊勢神宮遷宮式の木遣い唄のヤートコセー木遣り唄の七七七七調を甚句形式七七七五調したもの。江戸時代に作られた、歩きながらのゆったりした唄。

四種目「郡上踊り・春駒」は、東北地方に多い七七七五調四句補足語ササの形式。もともと焼き鯖の曲だったものを、昭和二十七年ビクターレコードの吹き込みの際に、馬に因んだ春駒に改名された。

五種目「郡上踊り・猫の子」は、七七七五調補足語ノオで、一句目省略型本歌の形式。歌垣の替え歌で、想いの女性の名を入れるところから、歌詞が省略されるようになった。

六種目「郡上踊り・三百」は、七七七五調補足語ノオの形式。男女の愛の証の品として渡されてきた手拭い=三尺からきている。

七種目「郡上踊り・げんげんばらばら」は、八五六五四句・七五調六句・八五八五四句の三組の祭文口説節。幕末から明治にかけての七五・二句・十三行の祭文語り、後の浪花節語りが明治期に伝えられたもの。

八種目「郡上踊り・甚句」は、七七七五調補足語コイツァ マタの二区切り甚句。西日本中心のお座敷唄・本調子甚句、初期の相撲甚句で明治中頃のもの。

九種目「郡上踊り・騒ぎ」は、七七七五調・補足語なし・甚句で、江戸時代に全国に広まった仕事唄の形式。騒ぎは、江戸の花柳界で生まれた拳遊びの唄。

十種目「郡上踊り・かわさき」は、七七七五調四句の流行り唄で、大正三年につくられた古調かわさき新調版。花柳界の河崎音頭のちの伊勢音頭に三味線伴奏をつけたもの。



盆踊り唄の命名法


古いものには、はやし詞の特徴を用いた呼び方もある。後に地名など漢字を使った曲名に変わったものだと、秋田甚句の「サイサイ」、中津川甚句の「ホッチョセ節」など。



二本立ての盆踊り唄


盆踊り唄は、仏教色の強い口説節系統と、歌垣色の強い甚句系統の二本立てである。

口説節系統は京大阪中心に九州以外の西日本から東日本へ。
イタコの宗教が広まっていて、歌垣の盛んな東日本では、口説節があまり根付かなかった。代わりに、越後瞽女(ごぜ)が広めた新保広大寺・口説節を仕立てた八木節などを用いた。


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昭和のレコード時代には、吹き込みに時間制限があるため、甚句系統か流行り唄系統の一首が短いものに限られた。歌垣の東日本中心となり、西日本の盆踊り唄・口説節は外された。
ラジオではNHKの炭坑へ送る夕、農村へ送る夕で炭坑節が流れ大ヒットとなるが、民間放送でも長い唄は外された。
その中でも一部抜き出して甚句形式の歌詞を当てはめたものだけは、レコード化されて生き残った。
石川県の柏野じょんがら節、京都府の福知山音頭など。

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