かつての長野行き新幹線に乗る
長野行き新幹線と呼ばれていたのは、
長野オリンピックを契機に開通した
北陸新幹線で、当時は、
富山・金沢・福井へ行かなかったから、
そう呼ばれた。
【あさま629号 高崎21:25 →長野22:16】
■高速で通過できる分岐器
高崎を出発すると、間もなく
上越新幹線と別れる。
この上越新幹線と北陸新幹線が分かれる
ポイント(分岐器)は非常に長いものが
採用され、時速160キロで
別れることができるそうである。
■峠越え
ここから、碓氷峠という難所を
中山道に沿って越えていく。
新幹線開通前は特急電車では
越えることができず電気機関車の
ヘルプを使って越えていた。
連結・解放の際に停車時間が長いことから
駅弁が売れた。その時、大ヒットしたのが
峠の釜めしである。
■計画通り進まなかった住宅造成
次の安中榛名という駅は、
北陸新幹線で最も少ない乗降人員である。
当初は、新幹線の駅ができることで
周辺の宅地開発が大規模に行われる
計画だった。
そして、東京都心部まで1時間以内
というのは魅力的に映る。
ただそうはならなかった。
様々な理由があると思うが、
日常生活には、不便だったという
ことだろう。
所在地は、群馬県安中市であるが、
安中市の中心部とはかなり離れている。
また、安中市の中心部から高崎市内へ
出る方がなにかと利便性が高いようである。
また、高額の新幹線を使わなくとも
安中市から高崎市内へは
在来線の信越本線で20分程という。
■リゾート地がお手軽に
さらに、ここから勾配を上っていく。
次が軽井沢である。
避暑地としても有名である。
また、嬬恋や草津温泉など各観光スポットへの
玄関口として賑わっている。
当初、新幹線のフル規格での建設は
ここまでで、現在のしなの鉄道を
ミニ新幹線化する予定だったらしい。
なぜ、フル規格に変更になったかというと、
長野オリンピックが予定されていて
その輸送力確保のためだともいわれている。
軽井沢は、今や首都圏から最もお手軽に
訪れることのできるリゾート地に
なった。
これも、新幹線の恩恵である。
■新幹線開業で周辺は開発が進んだ
次の佐久平駅は、佐久市に位置する。
JR小海線との乗り換え駅で、
ローカル線の小海線の方が高い位置を
走っている。
在来線(信越本線)当時は、小諸駅が
特急停車駅であったが、
特急列車の通らなくなった小諸駅は
さびれてしまったらしい。
また、佐久平駅前にはイオンモールも
できて地域の中心といったイメージである。
■今度は、別所温泉に寄ってみたい
次の上田駅は、別所温泉への
上田交通の乗り換え駅である。
上田駅を出てすぐの赤い鉄橋が大水で流されたが
先日、開通し復活を遂げた。
また、上田城も有名である。
■今度来た時には、善光寺さんへ行こう
そして、次が終点長野駅である。
長野オリンピックで大きく生まれ変わった。
「あさま」号は、乗客がかなり少なかった。
もう深夜にかかる時間帯なので仕方ないの
かなと思っていた。
「あさま」号を降りた後にはすぐ後ろを
「かがやき」号が走っており、
この列車は、埼玉県の大宮駅からノンストップだ。
すると、多くの乗客が下りてきた。
やはり、首都圏と行き来する
速い列車の方が人気があるというのを見た。
【まとめ】
・高崎~長野先行開業時は、長野行新幹線と呼ばれた
・当初は、高崎~軽井沢のみフル規格で以西はミニ新幹線の予定だった
・夜遅い「あさま」号は乗客が少なかったが「かがやき」号は多かった
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