ナタリー・ワイズが響かせた静かな歌 / 宮沢和史ソロツアーにギタリストとして参加・スペイン公演・海を渡る「島唄」 (2002年)
*2020.7.1. 加筆修正しました。
*このエッセイはデビューから2018年までの30年間を1年毎に振り返る連載です。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」をご購入いただくと連載の全ての記事(42話・¥8400相当)を読むことが出来るので、おすすめです。
*2002年の出来事:ユーロ紙幣とユーロ硬貨の流通開始 / ほとんどの小中高が完全週5日制へ / 「ゆとり教育」が始まる / 北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国 / 小柴昌俊・田中耕一の両名がノーベル賞受賞 / FIFAワールドカップ日韓共催、日本ベスト16 / シングル売り上げが過去最大の下落率となり、最盛期の1997年の約半分に落ち込む / 「写メ」が流行
アルバムが完成して、ナタリー・ワイズはたくさんのイベントに出た。バンド始動時の唯一の決めごと「ドラムレス」だけは守りながら、サポートベーシストとしてクラムボンのミト君やレピッシュのtatsuが入ることもあった。次第に、チェロの徳澤青弦君とヴァイオリンの神田珠美さんが準レギュラーメンバーとして参加するようになった。
同じ事務所だったこともあってハナレグミとの共演も多かった。「ナタリー」は永積タカシ君がナタリー・ワイズと共演しているときの空気感を思いながら作った曲で、レコーディングメンバーはナタリー・ワイズの3人と神田珠美さん、ベースとシンセはクラムボンのミト君。
*「ナタリー」は、2002年のハナレグミ1stアルバム
「音タイム」に収録されている
僕もBIKKEもタカシも、それまで続けてきた(周囲からも求められてきた)アッパーな音楽性から一旦距離を置いて、静かなアコースティックサウンドに乗せた語るような歌を届けていた。あの頃は無意識だったが、今振り返ると2001年9月11日の影響は大きかったと思う。「癒やし」は不況ムードが濃厚になった1999年には既に流行語になっていたが、この頃僕らが奏で合った静かな音楽は、先の見えない不安な時の中、大きな心の拠り所になっていたと思う。
*2002年に東京の自宅から見た虹
*2002年に描いた絵
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2001年に入り、宮沢和史君はTHE BOOMと並行してソロ活動を始めた。
まず、単身ブラジル・アメリカ・アルゼンチンへ渡り、現地のミュージシャンたちとレコーディング。僕が日本での録音にコーラスで参加した曲「沖縄に降る雪」は11月7日に先行シングルとしてリリースされた。そして11月28日にはアルバム『MIYAZAWA』もリリースされた。
僕は、12月に始まった『MIYAZAWA』発売記念のツアーにギタリストとして参加することになった。1998年の「Sixteenth Moon tour」以来3年ぶりのことだ。
【後列左から】tatsu(ベース)/ 高野寛(ギター・コーラス)/ Luis Valle・ルイスバジェ(トランペット)/ GENTA(ドラムス・パーカッション)/ 今福健司(パーカッション)/ Marcos Suzano(パーカッション)/ 斉藤久美(コーラス)/ 宮沢和史(ヴォーカル・ギター・三線)/ 鶴来正基(キーボード)
2001年12月27日(木)大阪フェスティバルホール
2001年12月30日(日)愛知県厚生年金会館
2002年1月2日(水)Zepp 東京
2002年1月4日(金)Zepp 仙台
2002年1月6日(日)Zepp 福岡
2002年1月7日(月)広島CLUB QUATTRO
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