上海で暮らして得たもの

海外移住を今思い返すと両親への感謝が一目散に出てきます。
今の自分があるのは間違いなく家族のおかげです、
それは間違っても忘れません。

今回は上海での大まかな暮らし、そして最後に得るものについて話したいと思います。

何かのきっかけになれたらと思います。

旅立ちー> to Shanghai

人生の中で初めての引っ越しでした
いつかするのかなーなどとドラマの影響で思ったりしていましたけど、
まさかの隣町や都市ではなく海外w
川や山を越えるどころか日本海を越える引越し
にになるとは思ってもいませんでした。

以前記事で下見旅行後は不安は無くなったとは言いましたが、それは行き先に対しての不安が薄くなっただけであり、
友達関係の不安はまた別でありました。

今となっては再会もできていますが、当時は悲しかったです。
学校でサッカーして、放課後に当時流行りであった『爆丸』や『ドゥエルマスターズ』、または『遊戯王など』で遊んだり、
「〇〇公園で待ち合わせね!」と言い遊ぶ約束をしたり、
そんな楽しかった毎日が離れたら無くなってしまう。(小学生らしく無邪気に遊んでました)
次はいつ会えるのかも分からない、
そんな不安が出国日が近づくにつれて大きくなりました。

それでも状況は変わらない。
家の家具も減っていき、学校関係の手続きも進んだり。
またある日には予防接種をしたり。
現実から目を逸らしたくても、日々着々と準備していく中で背けられませんでした。
引っ越し関係をしていく中で、
『あと〇〇日か、、』と思い
受け止める。

そんなこんなで三日前を迎えた頃、僕は熱を出してしまいました。
それも結構な熱でした。

学校でのお別れ会は済んだ後ではあったのですが、ご近所さん方もお別れ会をしてくれていました。
しかし、僕は車椅子で登場しちゃんと挨拶もできないまま帰ることになってしまいました、、
また学校にも挨拶行く予定が、保健室で寝込み、書類をもらって帰宅。
今でもあの日は忘れません、心残りのある別れ方でした。

それでも出国日当日を迎え両親の後ろで泣きながらも飛行機に乗りました。
(飛行機を見た瞬間、気持ちがこみ上がり涙が自然と出てきました。)

この感情が後の帰国後に少し影響しました。
当時はもう一生会えないと思っていたので、、、

上海生活-学校編
この上海で行った学校が人生を変えてくれた一つの要因になっていると思います。
上海に行ってからは、日本人学校ではなくインターナショナルスクールに通うことになりました。

せっかくのチャンスだから、英語に触れさせようとのことで当時住んでいた近所のローカルインターナショナルスクールに通いました。

到着してから数日後、初登校日を迎えました。同じ転校生の外国人の子と教室に入った瞬間、いろんな国の子がいて一斉に目線がこっちに向きました。
日本で転向したらあることでしょうけど、僕は転向も初めてで、外国の子と接するのも初めて。カタコトな英語で上海インターナショナルライフが始まりました。

スクールライフ
僕は4年半の上海生活で合計二つの学校に行きました。
Grade 3(小学3年生)からGrade5(小学5年生)はローカルスクール
この期間は言わば基礎を学ぶ期間でした。
でもその期間が今思い返したら苦労してたんだなと思います。
(その苦労のお話はまた別の記事で書こうと思います。)

とにかく学校にいる間は日本語を使うことはほとんどなかったです。
同じクラスに日本人の子はいましたが、その子も僕の英語力を高めるために英語で話してくれました。

また休み時間に他の日本人がいても、結局英語で話すことが多かったです。
もちろん外国人の友達たちとは英語、
片言で話しても理解してくれる人たちに囲まれて恵まれてはいました。

何より小さい頃からサッカーには自信があったので、
英語が下手でも運動できるやつというイメージから入りました。

でもそれができたことによって話すきっかけになったり、蹴ってる間に自然にコミュニケーションしたりと、外国の子とのスポーツはものすごく勉強になりました。

また勉強も日本で言う算数、国語、理科、音楽、体育など
全て英語でした。
授業は英語で進み、英語で答え、英語で書く。
英語が苦手な方からしたら聞いてるだけでも嫌だとは思います。
でも友達の存在が継続につながりました。
学ぶことは学んで、自然とコミュニケーションにもつながっていました。

2校目の学校はがっつりインターナショナルスクールでした。
ここが応用の場になりました。
日本人も同じ学年にはおらず、ヨーロッパやアメリカ、よりネイティブの環境に飛び込みました。

初めて聞く表現や単語、授業も学校でパソコンを使うことが多くなったり、放課後のクラブ活動も他校と競ったり。

全て絶対に日本では経験できないことでした。

クラブ活動においても、数ヶ月ごとにスポーツが変えられ、
小さい頃からさまざまなスポーツに触れられました。

授業でもプレゼンテーションが成績になったり、
またある時には『Science fair-科学フェア』などもあり、
英語で情報を集め、それを発信していく。

このようなことをすることによって自然と人前で話すのに不安がなくなりました。
プレゼンテーションもうまく行ったら自信にもなりましたし、
何より成長が自分で感じられました

上海生活-日常編

上海での暮らしは基本的に毎日学校へ行き、
夕方に帰って来て宿題に追われる日々でした。

それと他にもサッカークラブにも入っていたので夜は練習、週末などはワンデイの大会があったり、学校のスポーツの大会があったり。

また宿題もありつつも、お友達のお家に呼んでもらって遊んだり。

よくインターナショナルスクールでは誕生日会などをするのが文化的だったので、いろんな子に呼んでもらいました。
行く家はどれも大きい豪邸、、、日本じゃ軽井沢に行かなきゃないんじゃないかと思うぐらの家が密集された区域などもありました。

とある休日は家族で外食や観光もしました。
下見旅行より深いポイントで文化や歴史にも触れられました。

そうしていつの間にか4年半も経ち、帰国になりました。

海外でしか得られないものはたくさんあります。
それもきっと行く国によって変わります。

けど『生涯に残る経験』
これは絶対に得ます。

あとはそれに気づけるかどうかだと思います。

幼少期を海外で暮らした経験活かして伝えたいのは、

一つの場所に止まらずにいろんなところに行ってみる

それも海外じゃなくてもいいと思います、少し遠出で日本のどこかに行ったり、余裕ができたら海を渡ったりと、いろんな場所に行ってみることで世界観や視野も広がります。



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