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できる、できないは別にして、理想の教育制度を語ろう17

4月は新入生の季節。
ピカピカの制服を着た中学生が通る。
どこかダボダボな新品の制服。

値段が高いから、
身長が伸びても体重が増えてもいいように、
大きめを注文する人がほとんどだ。

汚れても、破れても、
そう簡単に買い換えられる値段ではない。
安い服がいくらでも手に入る昨今、
なんのために制服の制度は残されているのだろう?

華美にならないように、
おおよその上限を決めるのは構わないと思う。
けれど、絶対着用しなければ校則違反というのも、
頑なな気がする。

私は地元の中学と高校を卒業したのだが、
40年前からデザインが変わっていない。
40年の間に、この地域の平均気温はどのくらい上がったのだろう?

この制服のデザインを喜んで着ている現代の子ども達は、
どのくらいいるのだろうか?と、家の前を中学生が通る度に考える。

既製服が高かった時代は、制服が重宝だった。
戦後は確かに必要だった時代もあるかも知れない。
でも、今は自分の個性をどんどん確立していく時代に入っている。

体温の高い子もいれば、極端に冷え性の子もいる。
肩が凝る子もいるし、ダボダボなのが嫌いな子もいる。
制服は一般的に洗濯しにくく、乾きにくい。
靴や鞄も自由なものが合わせられない。
髪型や色、そのほかも決められてしまう。

偏差値によって、ある程度高校が決められてしまうのなら、
好きなデザインではない制服を着なければいけない辛さもある。
制服を着ていることで、個人情報が守られにくかったり、
性的な被害に遭ったりする可能性もある。

性別ごとデザインの違う制服に
違和感を感じる人も少なからずいるだろう。
ジェンダーレスなこの時代に、本当に必要でしょうか制服。

みんながみんな自分の頭で考えて通学服を着ることは、
クリエイティブな感覚を育てる意味では大切だ。
色を決め、形を決め、素材を決め、デザインを決め、組み合わせを決める。
上下の配色を決め、小物を決めと自我を働かせる場所がたくさんある。

ファッションセンスが育つこの期間に、
なぜ同じものを着せようとするのか分からない。
みんなに同じことを求めてしまったら、
育つ才能も育たないではないか。

少なくとも自分の意思で、
行く学校を選べない義務教育のうちは、
服装の自由はあって良いのではないかと思う。
個人的には、紺色という色が苦手だった。
あれが黒だったら、そんなに違和感がなかったのかも。
学年ごとに決められた靴の色というのにも違和感を感じる。

園児から高校まで、自我を作ることがとても大切な期間に、
個人の意思は関係なく、決まりだからと押し付けられる制服。
もちろん、母校の制服に誇りを持っている人も、
一定数いることは前提にしても、
制服があることで発生するストレスも軽視できないのではないか?

制服で自己主張をしようとするから、奇妙な着崩し方になる。
丈を長くするとか、短くする程度でしか主張の方法がないのは窮屈だ。
なんだかもっと豊かに、自分の着るものを選び、
場合によっては作れるのに、勿体無いと思ってしまう。

必ずしもクリエイター的才能が全員に必要になるわけではない。
そんなことは考えなくて済むなら楽。と、思う人の気持ちも尊重したい。

小学校では、体操着の登校ができるのに、
中学ではどうして着替えなければならないのか、
誰にも分からない。

みんな自分の好きなものを着ることを考えたい年頃に、
なぜ同じものを着なければならないのかと不思議に思う。

制服が必要だと思う人たちのために、
標準服や基準服は残し、
あとは天気や体調によって選べる自由があってもいいのではないか。

決まりがなければ、取り締まられる面倒臭さもないし、
取り締まるためにかけるエネルギーも必要ないのだから。

登下校時も体操服であってなんら不都合はないだろうし、
体操着だって、
希望する人は、好きなものを着れば良い。
そんな風に思う。

不思議なことに、公立の高校は高校ごとみんな決まりが違う。
公立の高校であっても、制服がない学校は多数ある。
さらに言えば統一の体操服のない学校もある。
法律で決められた義務ではないわけだ。

だったら誰がそれを変えるのか?
子ども達には変えようもない。
現役で子どもを通わせている親御さんも動きにくいだろう。
大人は、自分が関係なければ動きようがないと思ってしまう。

でも、冷静に考えて、制服は本当に全員に必要だろうか?
制服を着ることが苦痛で仕方がない子ども達のために、
動く大人がいても良いのではないだろうか。

あなたは制服制度についてどう思いますか?
ご意見をお聞かせください。

今日もおかげ様🙏

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