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【掌編】東京駅奇譚〜トイレ編〜

「カレー味のうんことうんこ味のカレー、どっちがいい?」
 東京駅構内のトイレの個室。まさかこんなところで聞かれるとは思ってもみなかった。

「青い紙と赤い紙ではないのですか」
 僕は丁寧に問い直した。何事にもセオリーというものがある。

「そういう残酷なのはもう流行らないんです。令和ですよ、令和」
 なるほど。世知辛いのは幽霊も同じか。
「だいいち、大事件になっちゃうじゃないですか。いちおうここが私の住処なわけでね、あまり煩くされたくないの」
「二択は二択なんですね」
「最低限のアイデンティティよ」
 僕は黙って頷いた。

「で、どっちにするの?」
 僕は顎頬に手を当て少しく思案した末に、カレー味のうんこを選択した。
「あら、案外思い切りがいいのね」
「訊きますけど」と、僕。
「誰のうんこか、選んでもいいですか?」
「うんこならなんだっていいわよ。あなた、変わったことを訊くのね。なに、まさか好きな女の子のうん……」
「うんこの定義は」僕は遮るようにして質問を加えた。「『ある生物が摂取した食物からその生物に必要な栄養素を抜き取り加工・排出された不要物』という解釈で問題ありませんよね?」
「なんでもいいわ。私、べつにうんこの専門家じゃないのよ」
「それじゃ」と、僕。
「酵母のうんこでお願いします」
「コウボ?」
「はい。酵母はグルコース、フルクトース、ショ糖などの糖を摂取・分解して、エタノールと二酸化炭素を生成・排出することにより、エネルギーを得ています。つまり、酵母は糖を食べて、うんことしてアルコールを排泄するわけです」
「Wikipediaなの?」
「実家が神戸で酒屋を営んでおりまして」
「ずるいわ、そんなの」
「あとはクミンとかコリアンダーなどの適当なスパイスを加えてやれば、カレー味のうんこが完成します」
 ふてくされたのか、声は聞こえなくなった。
「ねえ、あなたも一緒にどうですか」と僕は訊いてみた。
「はい?」
「カレー味のうんこ。僕、近くのバーでマスターなんかやってまして。記憶に残るものをひとつ、こしらえて差し上げますよ」
「スペシャル・カクテル」
「そう」
「トイレはついているのよね」
「最新式のものが。滝の音も流れますよ」
 そのとき彼女が笑ったように感じた。声は聞こえなかったが、たぶん幽霊にも幽霊的な顔筋というものがあるのだろう。
「悪くないかも」
 僕は用を足すのを諦めて、個室のドアを開けた。

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