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【掌編】起死回生のイリーガル

 人災という言葉がある。
 大地震や津波などといった自然災害そのものではなく、本来行っておくべき準備や対策、危機意識の不足などによって引き起こされる二次的な災害、防ぐことのできた事故という意味合いだが、そんなものは幻想だ。

 あらゆる事件は、起こるべくして起こる。

「どうしたものかな」
 我社は創業以来最大の危機に瀕している。近年つづく経営難によりグループ会社に吸収されるのも時間の問題だ。異動、リストラ、熟年離婚。頼みの綱は某大手総合商社○✕商事と提携した起死回生のプロジェクト『リ・ボーン2021』。つい五分前までデスクの上で穏やかな午睡を楽しんでいた重要機密書類たちはしかし、冷酷無慈悲な切断装置――シュレッダー氏の魔の手(口?)によって見るも無残、語るもヘヴィな姿へと変貌を遂げていた。
 整理整頓は基本のキ。社会人の常識未満。我が作業デスクの両端に雑然と塔を成していた詳細不明のドキュメントたちは、さながらバベルのようにして、いつか神の手に滅ぼされることを望んでいたのだ。たといそれが私の怠慢的性癖に起因するのだとしても、我が由緒ある性格を私に与えたは天上の意志。歴史の走狗。巻き添えを食ったのはむしろこちらの方である。私は運命が私をして審判の笛を鳴らさしめたことを恨んだ。

「あなた、こんな時間にどこにいくの?」
「部下のお悩み相談だよ、管理職に定時はない」
 午後十時過ぎ。背中から見送る妻が私の言を信用したとは思わない。だが少なくとも私のことは信用してくれているはずだ。きっと。たぶん。もしかしたら。あるいは。

 四時間後、四つの瞳が○✕商事の本社ビルを見上げていた。こうして見るとなんだか悪の秘密結社のように映る。一般的相対性理論。
「久々に呼ばれたと思ったら違法行為ですか」
「そう言うなよ、終わったらひつまぶし奢るから」
「素直に謝ればいいのでは?」
「世の中には、わかってくれる人達とそうじゃない人達がいる」
 彼女は納得したような呆れているような曖昧な感じで頷いた。
「ひつまぶし、約束ですよ」
「機密書類は破っても約束は破らん」
「機密書類も破らないでください」
 満月が雲に隠れると同時に、二人の人間が姿を消し、同じ場所に二つの影が現れた。生暖かい風が首筋をなでる。春の息吹。

「いくぞ」
「はーい」
 受け取ったのがコピーで良かった。私は心底そう思いながら、屋上の排気口めざしてコンクリートの壁を駆け上がって行った。

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