見出し画像

【掌編】帰省

 実家に戻るのは二年ぶりだ。パンデミック渦中というのもあり、妻と娘は名古屋の家に残してきた。一泊二日。とんぼ返りよりいくらかはマシな、あまり変わらないような、忙しない帰省。
 半年前のリフォームで部屋はすっかり変貌し――全部で七百万かかったとか。孫のために取っておいてくれても良かったんだぜ――、懐かしい時代の面影はほとんど何も残されていなかった。僕の成長を示す横線が刻まれていたどす黒い柱は世代交代を命じられたらしく、明るい色の四角柱にその持ち場を譲っていた。黄ばんだ漆喰の壁は見事にぶち抜かれ、居間と僕の部屋が一体化していた。年季の入った染みだらけの壁紙は控えめなオフホワイトに統一され、各部屋と廊下のつなぎ目にあった段差(たまにささくれが飛び出ていて怪我をした。足を乗せたときの感触を、いまでも思い出せる)はすべて消滅し、ガタついていた仕切り扉はグリースの上を走るように音無くスライドするようになり、エインシャント・ジャパンな吊り下げ照明は扁平なシーリングライトへと凡庸化していた。風呂では怪しげな間接照明がムードを作り、ウォシュレット付き便器の蓋は自動で開いて、僕の臀部を無言のうちに受け入れた。かつての住居の変容ぶりになんだかひとり取り残されたような気分を味わいながら、僕はプラスチック製の収納ボックスの中身をせっせと取り出していた。
 全部で三段ある収納ケースの中は懐かしいと評するのもちょっと憚られるような謎の作品群で満ち溢れていた。それらの多くは僕が幼児とか、小学校低学年とかのまだ右も左もわからない頃に描いた下手くそな絵だったり、黄色く変色したセロテープまみれの工作物だったり、読む者を赤面させるポエムだったり、なんだかよくわからないものの雑多なコレクションだったりした。これは確かに僕の作品です、と胸を張って言えそうなものはひとつもなかった。そのほとんどはそもそも作った記憶がなかったし、微かな思い出が残っているものでも、どう転ばせて見せたところで到底、誰かに自慢できるような代物ではなかった。
「こんなのよく残してたな」
「捨てられないのよね」
 なかば呆れつつ、娘を持った今はその気持ちもわからないではない。娘が幼稚園とか保育園で作ってきたものは、それがどんなにひどい出来のもの――糊付けした部分が剥がれかけてたり、すでに半分以上破れてしまったもの――だとしても、なかなか処分しづらい。子供の創作物というのはおよそキリシタンにとっての踏み絵、十字架、神の子の肖像に値する。
 とはいえ僕はもうアラフォーに片足を突っ込んだおっさんなのだ。知らない間にそれらが全部無くなっていたとしても、べつになんとも思わないだろう。あのときトイレットペーパーの芯で作った恐竜のガオちゃんが!なんて言わないし覚えてもいない。邪魔なら全然捨ててくれて構わない。親にとっては子供は子供、いつまで経っても変わらないなんて言うけれど、単に考えるのが面倒臭いというだけな気もする。体のいい弁明の手法。まあ解決は時の領分、ということもある。あるいは僕が子供の頃、大切にしていたコレクションの一つ――近所の道端で拾い集めた色とりどりのBB弾を千個くらい詰め込んだガラス瓶――を母に勝手に捨てられて激昂したことが関係しているのかも知れない。
 目下に雑然と転がる名もなく価値もないそうした創作物の山をだらだら検分していると、二つ目の収納ケースの奥の方から、小学生の時の文集が出てきた。特徴的な校章ですぐにわかる。黄色い厚紙の表紙に、灰色のわら半紙の束が挟まっている。表紙の大きなリボン枠の中に、卒業文集、と書かれていた。サブタイトルは「将来の夢」。
 なんだかアンフェアな気もしたが、僕は古びた表紙をめくり、そのいくつかをつまみ読みした。Dream。あるものはサッカー選手に、あるものは俳優に、あるものはケーキ屋さんに、あるものは公務員に。いつか友達だった、いまはどこで何をしているのかも知れない人々の記憶が浮かんでは消える。昔日の僕たちはそれぞれに、ありきたりではあるものの切実な夢を、そこに書き記していた。それなりに真剣に。あるいはまったくいい加減に。二十数年後のおっさんになった僕に、斜め上から眺められることなんてこれっぽっちも想像せずに。タイムカプセル。僕は何の気なしに自分の夢を確かめるべくページをめくった。裏表紙の名前の欄で当時のクラス番号を調べて、名前の順で前の方から繰っていく。石井、石井、あった。「石井ゆう太」。

 ぼくの夢は、地球かん境をよくすることです。理由は、地球かん境が悪くなると、動物も人間も生きていけなくなるからです。でも、地球かん境はどんどん悪くなっていて、最近はオゾンホールや温暖化が大きな問題になっています。地球のために、ぼくが出来ることをやっていきたいと思います。

 僕は思わず顎髭をいじった。顔が熱くなる。鼻につくタイプだ。いまなら絶対に書かない。それに地球じゃなくて人類のためだよ、と僕はかつての僕をたしなめる。地球はなんとも思っちゃいないよ。動物を助けたいなんて言うのも人間のエゴだよ。でも、そう言えばオゾンホールってどうなったんだっけな、温暖化、あれから二十年以上経ったけど、立派なことを言うだけで結局この国は外圧がないと動き出さないんだよな、排出権価格が高騰し、善意や責任感ではなく危機感で、いまになってようやく錨をあげようとしている。そんなことを考えながら、僕も結局ただの大人になっちゃったな、と思う。いろいろ理屈をこねて、できない言い訳をして、手前勝手な論理を積み上げて、他人のせいにして、鼻にもつかない、誰でもない、なんでもない大人に。
 卒業文集といくつかの思い出の品だけを残し、大部分の絵と工作と文章を、四十五リットル容量のビニール袋に放り込む。現実に紐づくことのなかった夢の残滓に別れを告げる。かつて僕が信じていた世界はどこへ行ってしまったのだろう。子供の頃、悩みながら、楽しみながら、一生懸命、丁寧に、色鉛筆で、マジックペンで、セロハンテープで、糊とホチキスで、意味もなく、つたなく、何の価値もなくても、誰に言われるわけでもなく、時間を溶かし込んで作った、あの世界はどこへ行ってしまったのだろう。

「これだけ残しといて」
「おー、スッキリしたじゃない」
 空になった二つの収納ケースを見下ろしながら、僕の頭はまだ少しもやもやしていた。
「晩飯なに?」
「鶏肉とキャベツのガーリック炒め」
「いいね」
 僕は滑らかに動く仕切り扉をスライドし、リビングでテレビを見ている父の隣に腰を降ろした。近くで見ると嫌でも目に入る、こめかみに生えた硬そうな白髪。父も老いてしまったのだ。当たり前だけど。
「映画観ない?」
「これからやることあるんだ、観てていいよ」
 父は空になったコーヒーカップを手に部屋を出て行った。昔から変わらずマイペースだ。
 僕はリモコンを操作して画面を切り替え、並んだ作品群の中から何か興味を引くものがないか探す。数多のコンテンツが現れては消え、また現れては消えていく。子供の頃VHSでテープが擦り切れるほど観た金曜ロードショーの録画映像みたいには決して色褪せることがない、スマートで、4Kで、CMをカットする必要もない、サブスクリプション・ムービーズ。でも何故か、昔みたいにはワクワクしない。クーラーの効いた部屋で飲む冷えたサイダーは、山の頂で喉に流し込むぬるくなった水筒の水のように満たしてはくれない。便利は感動を奪う。ただの思い出補正かもしれない。いずれにせよ、もう戻れはしないのだ。
 五分ほど決めあぐねてリモコンをいじっていると、左手にウイスキーのボトルとショットグラス、右手にポテトチップスの袋を掴んだ父が部屋に戻ってきた。午後三時半、おやつの時間としては悪くない。
「何を観るんだ?」
「うーん、これにしようかな、まあまあ評価高いし」
 父は笑いながらよいしょっ、と隣の座椅子に腰を下ろした。僕はなんとも言えない気持ちになる。そそくさと選んだのは父が昔から好きな類のSFアクション映画。
「用事はいいの?」
「ああ、あとでやるよ」
 そう言ってポテトチップスの袋を開いた。てかてかと光る銀色の裏紙に、チップスの細かい粉末がこびりついている。
 僕はリモコンの再生ボタンを押す。ローディングを示す青い輪がくるくると回り、二、三秒して画面が暗転する。僕は手を伸ばしてチップスを一枚掴み、口に放り込む。しょっぱい旨味が舌に染み込む。ジャンクな味だ。塩と油で汚れた指を舐める。配給会社の宣伝動画がいくつか流れたあと、静かにスタッフの文字が浮かび、オープニングが始まる。喉の乾きに気がつく。僕は一時停止ボタンを押して席を立つ。「ちょっとジュース入れてくる」。ぴかぴかのフローリングを渡りながら唾液で濡れた指を半ズボンにこすりつけて乾かす。子供の頃から変わらない癖。ダイニング・ルームに踏み入り、新調された冷蔵庫の扉を開けてファンタ・グレープのペットボトルを取り出す。子供の頃大好きだったけどあまり飲ませてもらえなかった、そのせいかいまでもとりわけ大好きな紫色の液体を見慣れないガラスコップに注ぎ込む。母となんでもない言葉を交わす。部屋に戻ってニトリの座椅子に腰を下ろす。リモコンの再生スイッチを押す。音楽が流れ出す。ファンタ・グレープを一口飲む。泡立つ炭酸の刺激とケミカルな甘味が口腔に広がる。ゆっくりと息を吸い、吐く。永遠の闇をバックに、宇宙船と地球が虚空に浮かんでいる。CGだが、ちゃんとそこに存在しているように見える。シーンは宇宙船の内部に切り替わる。未来的なグレーのスーツを纏った人々が広いコントロール・ルームの中でそれぞれの作業に勤しんでいる。一人の女優が足早に部屋にやってきて、白く発光する巨大なスクリーンに近づいていく。女優の顔がアップになり、彼女は画面の斜め手前あたりを見てなにか専門的なことを話し始める。
 僕はディスプレイの奥に、誰かが作った世界の中に、誰かが溶かし込み、うまく整形した世界の形の中に、一歩ずつ踏み込んでいく。
 
 色褪せていく現実の世界から、一歩ずつ抜け出していく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?