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【掌編】電車に乗って

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 車両がかすかに傾き、揺れている。車輪がレールの継目を渡るたび、ガタンゴトンと音がする。ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 向かいのシートに座っている人たちはみな一様にうつむき、スマートフォンの画面を眺めている。ただでさえ無表情なところにマスクをしているので、何を考えているのかはわからない。その光景はどこか異様な感じがするが、自分もまた、その異様を構成している要素の一つでもある。無表情&マスク。ガタンゴトン、ガタンゴトン。

――この人たちはなにをしているのだろう。

 当然、何かをしているのだ。ソシャゲを遊んでいるのかもしれないし、SNSを眺めているのかもしれない。今日起きた何気ない出来事を何気なくツイートしているのかも。日経の電子版か、あるいはLINEニュースなんかを読んでなんとなく今日という日の実態を掴もうとしているのだろう。誰かのブロマガに登録していてそれをじっくり読んでこれからのことについて何やら考え込んでいるのかもしれない。Youtubeで興味のある動画コンテンツを眺めているのだ。漫画アプリでもう売ってしまった昔の漫画を読み直している、もしくは職場や学校で話題になっている流行りの。語学の勉強をしているに違いない、乗換案内で次に降りる駅を調べている、写真を見ているんだ、カレンダーで予定確認しているんだろう、アマゾ〜ン・ショッピング!
 スマホをいじるのにも飽いてしまいこうして人々を眺めていると、少しく変な気持ちになる。マトリックスでネオが目覚める時みたいに、ズームアウトしていく画面から世界の真実を俯瞰しているような気がしてくる。でもそんなのは勘違いだ。目の前の風景が異様に見えてしまうのは当たり前で、いま目にしているのが人類が過ごしてきた歴史の中で誰もまったく体験してこなかった世界である、というだけのことに過ぎない。DNAには理解できないのだ。だから本能が怯えている。それだけのことだ。
 うん、いや、それも嘘かもしれない。好きなYoutuberの解説を丸呑みして知ったような気になるのはよくない。単に僕の幼少期と、いまでは世界があまりにも姿を変えてしまって、精神が追いつかなくなっているというだけのことなのかもしれない。つまるところこれは僕自身という人間のもつ感覚的スケールの問題なのだ。たぶん。ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 電車の進行方向的に決して開くことのない開閉扉に背を預け、音楽を聞いているのかオーディオブックなのかリスニングの練習かしらないがイヤホンをしている学生服姿の女の子がいる。イヤホンからは肩掛け鞄の中へとコードが伸びている。彼女は暮れなずむ窓の外の景色をピンと伸びた睫毛の下から澄んだ瞳で眺めている。ショートヘアの端がオレンジ色に輝いている。時々つぶやくように口元が動く。彼女は僕に見られていることに気がついているかもしれないし気がついていないかもしれない。気がついていて気にしないように気を使っているのかもしれないし全然気にも留めていないのかもしれない。この御時世にマスクをしていないなんて、僕は幻を見ているのかもしれない。イマドキJKがワイヤレスじゃないなんて、僕はやっぱり幻を見ているのかもしれない。ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 一昔前にMDウォークマンなどというものが存在していたなんて、本当に本当に嘘みたいだ。MDはいまや本物の幻になってしまったのだ。君は知っているか。あのときはみんな、耳から紐をぶら下げていたんだぜ。
 初めてウォークマンを手にしたとき、わくわくした。MDすらなくてCDだった。小型のUFOみたいなやつ。それでも僕は感動した。音楽を聞きながら電車に乗れるなんて! 大好きなロックを大音量で猛らせながら通り過ぎていく窓の外の風景を眺めていると自分は自分ではない何者かになれるような気がした。つまらない世界なんて変えてしまえる気がした。すべてぶち壊していちから再構築するのだ。でも僕には何も壊すことなんてできなかった。僕のかわいいスマートフォンはパステルカラーのシリコンケースに収まり、ディスプレイには透明な保護フィルムがピッタリと張り付いている。イヤホンはワイヤレスになり、昔のロックは、いまではほとんど聴かなくなった。

 電車が駅に到着する。ぎいいい(きいいい)、という鈍い(高い)金属音が響き、車両が停止する。プッシュウゥウウウウ。加圧された空気の抜け出す音がして扉が開く。何人かが立ち上がり、暮れなずむ街へと消えていく。暮れなずむ街からはまた、何をしているのかはわからないが何かをしているに違いない人々がどしどし乗り込んでくる。車内は帰宅するサラリーマン&OLで急にごったがえす。女の子が見えなくなる。止まったままの車両が揺れる。スーツの群れを飲み込んで、僕らを乗せて、電車は再び出発する。

 駅から駅へ、街から街へ、人々を運ぶ。僕を運び、サラリーマンとOLを運び、女子高生を運び、その他の何かに属している、もしかしたらまだ(もう)ほとんど何にも属していない人々を運ぶ。ガタンゴトン、ガタンゴトン。
 
 君はどこへ行く?

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