夕刻のバーにて。とある父親、とある親娘の奇妙な風景(文芸サークル青春白書/番外編)
街で友人の親に出くわすのはバツが悪い。
やましいことなどないのだが、まず、話題に困る。
これは私が大学2年生頃の話。
友人の牧野さんの父親・権蔵氏と過ごしたほんの数十分の思い出話しである。
ここは京都の繁華街。
寺町京極を歩いていると、そのバツの悪い場面に遭遇してしまった。
高校時代の文芸サークル仲間・牧野さんの父親(権蔵氏)が前方からやって来たのだ。
ショーケン(萩原健一)そっくりの権蔵氏は、180センチを超す長身で威風堂々。かつて、そのそっくりさんな容姿で女子高学内を騒がせたこともある(註-最下段)。いや、本人も意識して真似ているからタチが悪い。
「おー、ハルカちゃん、元気にしてるか」
ほら、見つかった。
「こんにちは。いつも元気です」
権蔵氏に会うのは半年ぶりくらいだろうか。友人の父親など、滅多に会うものではないのだが。
ただ、この方にはお世話になっていた。高校時代、私が所属していた奇天烈な文芸サークルのパトロン、同人誌の資金援助者だったのだ。
同じサークルの牧野さん(娘)とは別々の大学になってしまったが、彼女は今でも一緒に遊び歩く悪友である。
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牧野権蔵氏は遊び人風ではあったが、貿易会社、いや小規模商社(規模は知らない)を営むしっかりした人物で、かつては南米を拠点に活躍されていた。厳めしさなどみじんもない、気のいいオッサンである。
「ハルカちゃん聞いたで。カレシにフラれたんやろ」
「なんでそんなこと知ってるんですか! もう!!」
「まあええがな。今からどこ行くの」
気のいいオッサンはデリカシーがなかった。
別れたばかりのカレシのことで不意打ちを食らい、私はヒマでぶらついていたと口を割る。
そしたらちょっとついておいで、おっちゃんがええトコ連れてったるし。
権蔵氏はそんなことを言ったように思う。
今、文字化すると危ないニュアンスが漂うが、京都の旦那衆はほぼこんな口ぶりである。しかも、あとからすぐに娘も来よるわと言われたので、私は「はあ」とひとつ返事で権蔵氏に付いていった。
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さあ入ろかと案内されたのは、老舗バーのサンボア。
おじさん御用達のバーだ。勿論、うら若き乙女の私は入ったことなし。
外はまだ明るい夕方5時なのに、店内はサラリーマン、大工か庭師のような職人さん、近所のおじいちゃんらしき男衆で陣取られていた。雑多な客層とは対照的に、バーテンダーはネクタイをキリッと締めて威厳の風格、頑固そうなツラ構え。
作業着姿のおっちゃんが1杯ひっかけて「ごっそうさん」と早々に出て行く。窓の磨りガラスが夕方の光をぼわんと包み、店内は明るかった。
権蔵氏は私にジンリッキーを、自分はハイボールを頼んだ。
肘をついてお酒を飲んではいけない。
ピーナッツは、剥いた皮は床に落とす。
それがサンボアの流儀だという。
「床に捨てて行儀ワルないんですか」
「ワルいで。でもここはこうやって酒を楽しむ場所やからワルない」
そう言って煙草をくわえながら片手で皮を剥く権蔵氏は、間違いなくカッコ良かった。ショーケンに似ているという我々のレッテルが、おそらく実物以上の魅力を付加している。
──2023年の今、この記事を書きながらふと気づいた。
このとき権蔵氏はまだ45歳前である。
大学卒業後、就職してすぐ彼女が妊娠してデキ結婚。その赤子が友人の牧野さんなのだが、3つ違いの息子が生まれたときに奥様を亡くされている。
普通に恋愛していてもおかしくない年齢と境遇だ。付き合った女性のひとりやふたり、いたかもしれない。学生だった当時、友人の父親にそんなことは考えもしなかったけれど──
「わっ、濃いわ」
「チェイサー、ひとつね」
ジンリッキーは苦くて濃かったけれど、キリっとしてふくよかだった。顔をしかめた私に権蔵氏がさりげなく水(チェイサー)を頼んでくれる。
「濃いけどふわっと美味しいです」
「次のカレシ、こういうバーも知ってたらオモロイな。ここは日常のホンモノや」
「日常のホンモノ?」
「安いし気軽に入れるけど、まがいモンは出さへん。なんでもホンモノを見て味わいや。今度のカレシにはそういうこと、教えてもらい」
「そんな人、どうやったら見つかるんですか」
「さあな。そんなことおっちゃんが知ってたら、とっくにべっぴんの嫁がいるはずやろ。人生はままならんもんや。なあ、マスター」
怖そうなバーテンダーのマスターが、首を縦に振って破顔した。
ええ歳したオッサンが、私にジンリッキーを飲ませてこんな話しをして笑ってる。こそばゆいような誇らしいような変な気分。
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そのとき、刈り上げヘアの若者が入ってきた。牧野さんである。彼女は大学に入るなり垢抜けて、すっかりオシャレ少女と化していた。
「ハルカ、なんでこんなとこにおるねん! まさかオッサンにナンパされたんちゃうやろな」
「ナンパしたんや、決まってるやろ」
「ナンパされたわ、アンタのお父さんに」
牧野さんはアホかと権蔵氏の足を蹴りながら、煙草をくわえた。
「火、ちょうだい」
「親に言うセリフか」
そう言いながら権蔵氏は使い込んだZIPPOをカチャッといわせた。
綺麗な炎に牧野さんがくわえセーラムを近づける。
「お父さんの前でも煙草、吸うの?」
「ハルカ、うちでは20歳すぎたらなんでも解禁でっせ。酒も煙草もやってええって言われたから、マジメにやってるだけのこと」
権蔵氏は「よう言うわ」と笑ってた。
なんやんねん、この親娘。
これが自由人か。これが帰国子女親娘か。
煙草の火を共有するふたりを見て、ジンリッキーを飲み干した。そろそろ退散の頃合いだ。
「ご馳走さまでした」と頭を下げる私に、「またな」と手を振る権蔵氏。牧野さんは横で手を合わせ、「ごめんナ」のポーズをしている。
入口付近で振り返ってふたりを見た。
刈り上げ娘の横でハイボールを飲む権蔵氏は、ショーケンには似ていたけれどやっぱり普通のオッサンだ。
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店を出ても辺りはまだ青白い。仄暗い上空には細い三日月がツンと済ましている。
こんな時間にほろ酔いの背徳感。それがじんわり気持ちいい。
濃いジンリッキーにやられたか、牧野親娘にやられたか。
次のカレシにホンモノを教えてもらえなんて、えらいカッコええこと言うてくれたな。でもあんなこと、絶対に自分の娘にはよう言わんやろ。他人の娘やから言えるんや。
カレシ出来たら紹介しよかな。
私は家から30分ほど離れた左京区元田中で一人暮らしを満喫していたが、足取りは御所方面の実家に向かっていた。歩け、歩け。
たまにはお父はんの顔でも見たろ。
あ、「酒臭い」って怒られるかも。
了
*(註)牧野権蔵氏が我が女子高を訪れる珍事は、次回の「高校文芸サークル青春白書」で▼
牧野さんや変人代表格のジョン先輩と過ごした濃厚な高校生活の様子は、別記事「文芸サークル青春白書」にて掲載 ↓