文芸サークル青春白書 3〜放課後、白亜の洋館で
私は今、京都・嵐山にあるアールデコ様式らしき白亜の豪邸、柏木家にいる。
一緒にいるのはこの場に全く似つかわしくない、高校文芸サークルの部長・ジョン先輩と南米帰りの帰国子女・牧野さんだ。
柏木家のドアを開けると、10畳ほどの広さの玄関ホールが広がった。ホールはまったく左右対称のデザインで、ど真ん中にゆったりとした階段がそびえている。壁や階段手すりには銅らしき飾りが文様のように施され、まるで美術館の受付を思わせた。
これ、民家か?
吹き抜けの天井からは、まん丸い磨りガラスの灯りが何本も互い違いにぶら下がっている。
これ、民家か?
ただいまーって帰ってくる普通の家か?
白い壁、それを縁取る銅素材の直線美。牧野さんが言うように、これは美術で習ったアールデコ様式に違いない。
記念写真を撮りたかったがカメラがない。いや、そんな心の余裕もない。
玄関ホールに威圧されて30分ほど経っただろうか。
我々3人は今、ホール横のサンルームと呼ばれるガラス張りの部屋に通されている。
テーブルを挟んだ向かいに鎮座しているのは、あかねのママさま。
ワンレングスのショートボブに、鮮やかなブルーのワンピース。逆光のせいか顔の細部よりもシルエットが強調されている。まるで後光に照らされたような存在感だ。
これが、かの老舗コトブキ画廊のマダムである。
ママさまはジョン先輩のカップにアールグレイのおかわりを注いだ。
「ジョンさん、どうぞリラックスなさって。みなさんは合格だと言ったでしょう。あかねの入部は許可しますから」
「ありがとうございます。ですがママさま、さきほど我々の誕生日でお調べになったのは占星術の類いでしょうか」
「ぜんっぜん違うわ。四柱推命よ。占星術じゃなくて、自然科学の方則で人間の一生を読み解く運命学よ。占星術って言ってる人もいるんですけど違います」
あかねのサークル入部の判定には、四柱推命とやらで我々の運勢やあかねとの相性が占われたのか。その基礎情報として、それぞれの生年月日が必要だったのだ。
「中国の陰陽五行説って聞いたことないかしら。これが四柱推命の根幹なの。詳しくはまたの機会にね。時間は1週間あっても足りないくらいよ、奥が深すぎて」
「陰陽道のようなものでしょうか」
「部長のジョンさんはさすがね。陰陽道は、陰陽五行説が日本に伝わって生まれたものよ」
「安倍晴明で一気にメジャーに」
これなら私もわかる。何しろハルカという名前は、京都で安倍晴明を祀る晴明神社で名付けてもらったのだ。あの神社は名付け神社としても有名である。
先輩だけでなく牧野さんの表情も真剣だ。こんなことに興味を持つのだろうか。
「陰陽道といえば天体や暦、時間を考察する学問でっせ。そのトップエリートを育てる陰陽寮に憧れてますねん、私。そこの博士らは今でいう超エリート数学者ですからなあ」
「牧野さんは理系クラスやから数学繋がりのことは歴史も詳しいなあ。でもそんなこと習ったっけ?」
「ハルカ、習わずとも歴史はサイドストーリーと一緒に理解するもんや」
「ジョン先輩はわかってはりますな。してママさま、陰陽道にも繋がる四柱推命で導き出されるのは、一体どうような」
「四柱推命はね、アンタらの毎日の運勢、才能、一生の運気、アンタらが常に気をつけるべきこと、勉強や仕事の最適なパートナー、異性との相性、結婚相手、アンタらを破戒する相手、死ぬ日も運命に関することは全部わかるわよ」
「ひえー、それが自然科学の方則で割り出されると」
「そう言うてますやろ。シロウトが星占いするのとはワケが違う学問ですからね。中国の昔の武将は絶対に自分の誕生日を明かさなかったのよ。そんなことしたら敵に四柱推命で運命も弱点も握られて破滅しますわ。そやしね、アンタらも誕生日だけは迂闊に人に言うてはダメ。逆にこちらが探り出して、他人の運命を転がす側に回らないと」
ママさまはとことん、胴元側を意識した生き方をなさっている。さすが江戸時代から続く美術商にして画廊コトブキのマダム。
「ところでどうしてあんな娘を文芸サークルなんかに? ねぇハルカちゃん、中学から同じクラスであかねのオツム、わかってるわよねぇ」
はいと言っていいのか悪いのか。私はこの空気がまるで読めない。頼りになるジョン先輩をチラリと見た。
「ママさま、そこは安心なさっていただきたい。あかねさんがどうであれ、私が責任もって学内図書館で週1のカテキョ(家庭教師)を引き受けます。それよりママさま、あかねさんは大変な読書家です」
ジョン先輩は久生十蘭の『肌色の月』をテーブルに出し、あかねの氏名が記された図書カードを見せた。そして日本三大奇書を読み倒していることも告げる。
ママさまは瞼を閉じ、深い溜息をゆっくり吐いた。あまり嬉しくなさそうだ。選別した本に問題があったのか。
そして「ちょっと場所変えましょか」と、席を立った。
ママさまを先頭に、我々はサンルームを出て階段の奥に繋がる渡り廊下をひたすら進んだ。床はすべて大理石だ。心の中でウワーって声が鳴り止まない。渡り廊下はガラス張りで、庭の緑の芝生と地続きのようだった。
この家、ちょっとしたプチホテルではないか。ジョン先輩も牧野さんも気圧されて足取りフラフラだ。
廊下の突き当たりは母屋棟だと説明され、ドアのひとつが開かれた。
「さ、どうぞ」
なんじゃこれは……。自宅に図書室?
ジョン先輩のいかがわしい瞳が上下左右に素早く動いてる。
この人いま、棚段数と本を目算して蔵書数を計算してるな。
「5万冊はおありでしょうか」
計算、早っ
「もうちょっと少ないわね。うちは画集やら写真集やら判型の大きいものが多くて面積とってるから、その分、冊数は少なくなるわ。こっち来て」
スポットライトに照らされた本を横目で見ながら、ママさまに付いていく。
あ、「タカラヅカ歌劇」「グラフ」がこんなにズラリ。さてはママさま、ヅカファンか。後でゆっくり見せて欲しい。
「こっち、見てみなさい」
ママさまが指さす先にはあるのは久生十蘭の蔵書群だった。そしてその上段に、日本三大奇書『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』も、作家別に並んでいるではないか!
当然ながら初版本である。
「ここにあるのにわざわざ学校の図書館で借りたんですか」
「この初版本、サイン入りよ。ただでさえボロボロなのでもう触れないの。新しいのを買い足せばいいんだけど、借りれば貸し出しカードに名前を書くから内申点にプラスになるでしょう」
あかねがこんなに狡猾だったとは驚いた。
「おい、牧野、そんなとこにへばりつくな!」
牧野さんは大好きな江戸川乱歩を見つけ、初版本の匂いを嗅いでいる。どんな状況でも自分の欲には一直線だ。
「どうせバレるわね。みなさん、あのアホ娘あかねが三大奇書ですって?」
「???」
「あかねに借りさせて内申点も上げて、私が読んでるんです」
我々3人は硬直したが、妙に納得した。いや、これが自然の流れである。あかねはやっぱりあかねであり、このママさまにして日本三大奇書。
「ではママさま、率直に申し上げます」
率直にってアンタ、まさかジョン先輩。
「ママさま、うちのサークルのパトロンとして名誉職に就いていただけないでしょうか。悲しき私設サークルの身、資金がなく活動らしい活動もできません。同人誌出すのも、さっきからそこで乱歩本の匂いを肺に染み込ませてる牧野、彼女の父上ひとりにおんぶに抱っこ。爪に火を灯す思いで活動を続けている次第であります。牧野の父上も最近はいい顔してくれません」
「そうやったんか。アンタら苦労してはるんやね。私も高校時分は苦労したわ。部の顧問が頑固者でなあ。同人誌のチェックなんか戦時中並みの黒塗りしよるねん。結局、地下活動やったわ」
「ママさま、時代は違えど境遇は同じでございます!」
ジョン先輩、グッと懐に入ったか。
「牧野さんのお父さまは文芸に理解ないんやろか。ねぇ牧野さん、お父さまってどういうお人なんです?」
「うちの父親? ショーケンそっくりの遊び人ですわ」
「なんやて! ショーケンって萩原健一やで! 今、ちょっと危ない」
「その、ちょっと危ないショーケンです」
ママさまの顔色が変わった。ワンピースの腰辺りを掴んだ指先に力が入り、裾がめくれ上がっている。これはファンだ。大ファンだ。
ジョン先輩がにやりと笑った。牧野ナイス! そんな先輩の心の声が聞こえてきそう。海千山千のジョン先輩、一気に畳み込む気に違いない。
「ママさま、ぶしつけなお願いですが次号の同人誌、1号だけ資金援助お願いできませんか。パトロンは責任編集者として名前載せてるんです。新しいパトロンをママさまにバトンタッチする記念に、ママさまと牧野の父上の対談ページつくります。そんな記念号として大々的に……」
「よっしゃわかった! ジョンさん、アンタの心意気に惚れたわ。とりあえず1ロット100冊で前田印刷にねじ込んだるわ。あそこにはうちのパンフやらカタログお願いしてるから問題なしや。デザインから製本までグロスで頼んどく。対談のあとは大人同士の打ち上げで、いろいろと引き継ぎやらお話しありますからその辺りは・・」
「そんな心配いりませんて。放っておいてもママさまとうちのオッサン、そのまま祇園へゴーですわ。オッサンが黙って帰るなんてありえへん」
牧野さんが外人みたいな肩をすぼめたポーズで即答した。
「ええっどうしょ、ショーケンとなんて……」
ショーケンと違います。牧野権蔵です。ママさま。
私は決してそれを口にしなかった。
それより、この図書室の奥の壁に掛かっているあの大きな絵、あれは伊東深水の美人画ではないだろうか。画廊の家に贋作なんかないだろう。誰も絵の話しはしないけれど、私はずっと気になっていた─。
ママさまはまだソワソワしている。
「あの、牧野さん、とりあえずお父さまのお誕生日教えて」
了(3)
不定期に続く
↓前回の記録。豪邸・柏木家に辿り着くまでのお話しです。
illust ACよりカンパニーさんのイラストをお借りしています。