文芸サークル青春白書 5〜ジョン先輩の恋
女子校で、しかも殆どの生徒が付属中学からの持ち上がりで、当然ながら周りは女子だらけの毎日。
敏感にして貪欲な思春期である。こんな環境でいったい恋などできるのか。
これは私の奇妙な高校文芸サークルのことを記した物語である。
ベールに包まれた女子校は、その実、恋に於いてスタート地点から有利である。「女子校生」に対する堆き幻想を武器にして、己の魅力を2倍増しにすることも可能だった。このありがたき勘違いを利用しない女子などどこにいよう。
いるんだな。その特需、その特権を振りかざさないカタブツが。
文芸サークルの部長、ジョン先輩である。男子への興味は人一倍。なのに女子力磨きにまったく興味なしの非モテ女子。年柄年中、ジャージ着用でやり過ごす人である。
ただ、こんな変人だって恋はしていた。密かにしていた。
勝算などない恋を。
80年代真っ盛り、ツガイに恵まれない女子校・男子校界隈では、“紹介”と呼ばれる相互扶助の恋システムが自然発生的に、伝統的に受け継がれていた(京都だけかも)。いわゆるお見合い、合コンである。
誰かがめぼしい人数を集め、知り合いの女子校友だち、男子校友だちに声をかけてセッティング。それだけである。そんな恋合戦が横行していた。
ジョン先輩は、こういう作為的なシステムが大嫌い。恋は稲妻のようにある日突然感電するものなどとうそぶいているが、ただオクテなのだ。生意気な先輩だけどちょっとカワイイ。いや、そう笑ってもいられなくなった。
先輩は失恋確実の恋に溺れているのだから。
本人は隠しているつもりらしいが、恋心など誰の目にも明らかだった。
相手は文芸サークルの招聘コーチ、マッシュルームカットの某大阪芸大生。ジョン先輩がスカウトしただけあって、このコーチは文芸や本読みにかけては異常な才能を発揮していた。我々の創作小説講評会でも辛辣な意見をバッシバシ。
『十八歳の一条戻り川心中』というジョン先輩の変態創作短篇にも、「技巧に溺れすぎ、オチが飛びすぎ」とエグリまくった。
その上、エラリー・クイーン『Yの悲劇』の本読み会では、ジョン先輩の考察を「なぜもう一歩踏み込むことを躊躇する。評論家の意見なんか鵜呑みにするな。もっと独自解釈で羽ばたける視点を磨け。その根拠をつかみ取れ」と、私には「?」なことをカッコよく言い放つ。
さすがにジョン先輩はコーチの意図を汲み取り、連日2人で『Yの悲劇』議論を新京極のマクドナルドにて戦わせていたという。
ここでジョン先輩は稲妻に打たれたのだろう。コーチに無限の才能を感じ、太刀打ちできず、それが憧れとなり、服従してしまっているに違いない。
しかしその恋には障害があった。
コーチには彼女がいる。その女はサークルの本読みのときにコーチと共に現れ、コーチ以上にビッシバッシと我々を叩きまくる女傑であった。
しかもその生意気ぶり、厚顔無恥ぶり、変態ぶりはジョン先輩の生き別れの姉かと見まごうほど。
1点だけ違ったのは、この女傑は肉感的美麗な容姿に恵まれていたこと。
ただし肉感美女がヒステリックにわめく姿は滑稽で醜くかった。それに比べてジョン先輩は、もとがジョン・レノン崩れの顔にして鶏ガラ体型である。多少キイキイ言ったところで醜く変貌するほどの落差はない。
女として損しているのはどっちだろう。
この世は理不尽なことばかり。
最近は早々帰宅に勤しむジョン先輩だが、一応、サークルには顔出ししていた。今日も一番乗りで部室にいる。
「用事あるから先に帰るわ」
おいおいジョン先輩、先帰るって? 今、3時半。さっき授業終わったばかり。サークル始まったばかり。いきなり髪を梳かすのはやめてくれ。それより先輩、ヘアブラシなど持っていたのか。いつから女らしくなったのだ。
「ほな、お先」
そわそわしながら、先輩、退室。男に会う前の浮き足だった女子そのものだ。残されたサークル部員の牧野さん、あかね、そして私はまたかと顔を見合わせた。ドアを少し開けて先輩の行方を追う。まずはトイレ直行。
「ハルカ、今日もジョン先輩、2人で会うで。絶対に約束してるな。どこ行くか跡付けたろか」
「牧野さん本気? あ、ジョン先輩、トイレから出てきたで。ジャージ脱いで着替えてるやん! うっそーあのシャツ、アイロンかかってるわ」
我々3人は無言でジョン先輩の尾行態勢に入っていた。放置などできるものか。どうせ行き先は新京極のマクドナルド一択だ。
白昼堂々の尾行に於いて、我々は一目散に家路を目指す多くの真面目少女たちに感謝した。狭いバスの中でも姿が隠れる。
尾行は呆れるほど容易だった。いくら真面目少女たちに紛れていようが、普段のジョン先輩なら我々の気配を敏感に察知する。
でも今は、心虚ろな呆け女子。腹立たしいほど無邪気で無防備にして無頓着。
尾行チームは無慈悲で無遠慮にして無節操。
先輩は予想どおりの停留所で降り、予想どおり新京極のマクドナルドを目指す道のりを歩き始め、躊躇なく店内に入った。
「こう何もかも予定調和でことが進むとオモロナイな」
「まさか文学議論だけしてるとか? ハルカ、コーチに彼女と別れてくれとか言い出すと思う?」
「それはないやろ。でもなあ」
我々3人、いったい何を期待しているのか。フラれてこっそり泣き泣きする姿を見たいのか。それだけはゴメンである。
「お、コーチ発見! 予想どおりやけど彼女がおるのに彼女そっくりの性格の女子高生と2人で会うなんてヘンやろ。どんだけ趣味の悪い男やねん。しかも連日でっせ。密会や、密会」
牧野さんの言うとおり。マッシュルームコーチ、生意気女が好きなのはわかったけれど、豊満彼女に比べてジョン先輩ではルックス的にレベルダウン。女子高生ブランドがそんなにいいのか。
「なんであのちんちくりんのコーチがモテるんやろ。彼女よりもジョン先輩よりも、背、低いやろ」
罵詈雑言をほざきながらも怪しい2人のシートには近づけず、離れたところから表情を窺い窺いやきもきし、ジリジリすること数十分。
「師匠と弟子って感じでもないし、兄と妹でもないし、やっぱり普通のデートやろ、どう見ても」
「そうかなあ。でも部室にいるときより親密やな。なんかズルくない? 私らに隠れてコソコソと」
そうこうしているうちに我々は美しいワンシーンを目撃した。
ジョン先輩がはにかみながら笑っている。たまに頬杖をつき、髪をかきあげたりしている。その表情は神々しいほど柔和で麗しい。先輩に無縁だった「幸せ」という文字が光背のように輝いていた。
「完全に惚れとるな」
牧野さんが溜息まじりに呟いた。
女は「隠しごと」で出来ている。おおよそ取るに足りない「隠しごと」で。甘美であるが、それは秘すればこそなのである。
「牧野さん、アタシら見たらアカンもんを見たのかな。ポテトもなくなったしもう帰る?」
他人の幸せが妬ましいから言うのではない。いや、その気持ちが8割くらい占めているのだが、この恋はどう考えても微笑ましくない。
先輩が横恋慕して傷つくのか、それとも略奪愛で耐え難きバトル勃発か、そもそもこの2人、もうデキているのか。我々は陰ながら興奮しつつも恐ろしかった。
「私らもカレシ作ろ! 私、“紹介”組むよ。ジョン先輩みたいに近場でなんとかするより確実やわ」
あかねの提案に牧野さんが飛びついた。
「おー行く行く! あかね、私に“紹介”連敗の汚名返上させてくれや。好みのオトコはデビッド・ボウイ」
ちょっと待て。そんな高校生、気色悪い。
もう誰もジョン先輩を見ていない。ルックス100点満点のあかねでさえカレシなしだ。すべからくその現実に目を向けるべきだった。一番早く春が来るのは誰だろう。もう夏休み直前である……。
──後日談
ジョン先輩が卒業するまで、コーチとのことは触れてはいけない気がしていた。誰もがひっそり失恋したと思っている。その証拠に、夏休み明けにはいつものガサツな先輩に戻っていた。きっと何かを吹っ切ったのだ。何かを。
そもそも本当に恋していたかも怪しいけれど、あんなカワイイ先輩を見た日のことは忘れられない。
牧野さんもあかねも私も、のぞき見を恥じていた。ジョン先輩をからかう気などどこにもない。不実であったと思うばかり。きっとバチが当たったのだろう、3人とも“紹介”にトライしたけどカレシはできず。
とにかく、人の恋路は尾行したりのぞいたりするものではない。
先輩、ゴメン。
了(5)
不定期に続く
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